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Bitter Orange, in the Blaze.  作者: 紅崎ナヤ
九.戦慄の走る時
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116/151

115.少女の戦い



たゆたう光 大気に満つる風 森羅万象の理 生々流転の源


地に閉ざされしたぎる炎 天の怒りを嘆く雷鳴 美しき氷の刃の輝き


その全て 我が懐に作られしもの


その全て 我が懐から放たれしもの



 ***



 セルピはぎゅっと拳を握り締めた。

 今、彼女はたった一人だ。いつも横にいてくれるピュラやスイ、クリュウの姿は……ない。

 この辺りは比較的本拠地に近いから安全だろうが、それでも孤独というものが原始的な恐怖を引き起こす。

 空は雲ひとつない快晴だというのに、彼女の心は凍るほどにこごえていた。

 時折聞こえる爆音に、びくりと肩をすくませる。そのたびに、黒髪をなびかせながら先を急ぐ為に足を速めた。

 セルピはピュラと同じく戦闘に交じることはなかった。

 スイの希望もあったし、――ピュラはともかくとして、セルピはあまりに戦闘向きではない。

 だから彼女たちはあちこちを走り回って戦況を聞きに言ったり、指示を伝えたりすることに徹していたのだ。

 現在、セルピは南地区から本拠地に向けて帰る途中だ。

 早朝から走りっぱなしですっかり息があがっていたが、それでも走った。

 大通りを避けて、頭に叩き込んだ街の横道の地図を思い浮かべながら、最短ルートで進んでいく。

 確か次の角を右に曲がり、そのままずっと進めば本拠地の見える通りにでるはずだ。

 早くピュラに会いたかった。ほんの少しでもいいから、落ち着ける空間が欲しい。

 そうして彼女が曲がり角に差し掛かった刹那――。

「動くな」

「――っ!」

 刹那、セルピは色を失った。

 首筋に――冷たい感触。

 剣だ。剣が、つきつけられている――!

 心臓がぞくりと跳ね上がり、呼吸が消える。

 驚きに一瞬死んだ視界をどうにか取り戻すと、4、5人の男たちが自分を取り巻いているのが見えた。

 明らかに貴族の兵だ。どさくさに紛れて運良く少数で潜り抜けてきたのだろう。

 すると男の一人がセルピの姿を嘗め回すように眺めて、口元に歪んだ笑みを浮かべた。

「おやおや、こんな可愛い女の子が反乱軍にいるのか?」

 剣を彼女に突きつけたまま、セルピの顔に手を伸ばす。

 びくりとセルピは肩を飛び上がらせるが、それ以上の抵抗はできない。仮にも刃が突きつけられているのだ。

「本拠地まで案内してもらおうと思ったが……こりゃあ上玉だな。どうする?」

 男が他の男たちに視線を投げると、それぞれヒャハハと下卑た笑い声を漏らす。

 セルピは体中が恐怖に体温を失っていくのを感じた。それでいて、心臓の辺りが猛烈に熱い。がくがくと足が冗談のように震えている。

 目の前に、複数の男。ピュラも、スイも、クリュウも、――イシュトも、いない。皆、刃を持っている。力で勝てるわけがない――!

(だれか……っ!)

 セルピは涙すら凍りつかせたまま、来るはずもない助けを心の中で叫んだ。

 魔法さえ唱えられれば。……しかし、この状況では少しでも詠唱を口走れば気付かれてしまう。

 恐怖に麻痺しかけた頭で必死に考えた。


 ――本当は集中力さえ高められれば詠唱なんていらないんだ


 ふっと、心の中に……声。

 あの草原で、クリュウが言っていたこと、だ……。

 魔法とは、集中力が全ての要となるため、――その気になれば詠唱もなしで使えるのだと、彼は言っていた。

 できるだろうか。そんなこと、やったこともない。

 しかし、今はそれしか頼れるものが無さそうだった。

 セルピは涙がでそうになるのをこらえて、歯を食いしばる。

「どうした、怖くて口もきけなくなったか?」

 怖い。そうだ……怖い。

 守ってくれるひとは誰もいない。

 ――しかし、だけれども。

 その道を選んだのは、自分自身なのだ。だから、こんなところで負けるわけには、いかない――!

 ぎゅっと唇を血が滲むほどに噛み締めた。

 心の中で詠唱を囁く。じっと瞳の色を研ぎ澄ませて、空気の流れを見つめた。

 チャンスは恐らく一度だけだ。緊張に震える体を奮い立たせて、セルピは目の前を見据えた。

 男の姿、目の前にひとり……。その周りをとりかこむ空気の流れ、世界の流れ。万物は全て動いている。大丈夫――捉えられる。

 目線を動かせて空気の流れを集束させながら、セルピは拳を握った。

 その朝の泉の煌きを宿した瞳が、男を最後に見据える――。

「……精霊の御名において」

 突然、目の前の少女の口からそんな言葉が漏れたのに、刃を突きつけていた男は拍子抜けたように目を瞬いた。

 しかし次の瞬間にはにやにやと笑ってみせる。

「ははっ、こいつはすげぇや。嬢ちゃん、魔法ってのはな、それだけで発動できるもんじゃ――」

 しかし、言葉は続かなかった。

 少女の深い瞳に吸い込まれたように、男は体の動きを封じられていたからだ。

 直度、セルピは弾かれるようにひるがえって走り出していた。

「な、なんだっ!?」

「妙な技を使いやがったっ、逃がすな!」

 突然の出来事に、男たちの顔に驚きが浮かぶ。しかし次の瞬間には、動きを封じられた以外の面子で彼らも走り出していた。

 彼らとてセルピに仲間を呼ばれてはひとたまりもないからだ。

「そっちにまわれ!」

 すぐに男たちが2手にわかれる。

 セルピは体中が体温を忘れたように冷えていくのを感じながら、口の中で詠唱を唱えていた。

 いつでも次の魔法を使えるようにして、辺りを走り回る。

 あちこち無茶苦茶に曲がったので、道などわけがわからなかった。しかし止まれるはずもない。

「殺せっ!」

 誰かがそう叫ぶのに、心臓が握りつぶされるような感覚を味わう。

 底のない悪意、殺意――。泣いてはいけない、前が見えなくなってしまう。

 しかしそれでも、セルピの目じりには涙が浮いていた。

(怖い……っ)

 呼吸するごとに肺の痛みを覚えるほどに息がきれている。喉が切れて、口の中は血の味で一杯だ。

 ――次の瞬間、腕に焼けつくような痛み。

 コンマ2秒の差で、そこをかすめた矢が地に突き刺さる。

 びりっと激痛が走ったかと思った直後には、あたたかい液体が腕をつたって流れ出していた。

 その思いがけない出血量に胸が凍りつく。殺される、殺される――!


「……がぁっ!」


 その刹那のことだった。

 思わず立ち止まりそうになったセルピの背後で、何かがどさりと倒れる音。

「……ふぇ?」

 そのまま崩れてしまいそうになりながらも、セルピはすんでのところで立ったまま振り向いた。

「セルピっ!!」

 一瞬、幻かと思った。

 そうして、その顔が安堵に歪むのにそう時間はかからない――。

「ピュラ」

 言葉になったのは、そこまでだった。

 視線の先に立っているのは、鮮烈な緋色の娘。

 その顔は今は緊張に険しくなっているが、――それでも、いつもの、いつもの……。

「セルピ、大丈夫っ!?」

 そうしてセルピを背後から狙っていた弓使いを倒したピュラが駆け寄ってくると、セルピはその場にへたりこんだ。

 全ての力が抜け切ってしまったかのように、大粒の涙をぼろぼろと零す。

「ぅっ……ぅあっ、……ピュ……えっぐ」

「あんたねえ! 泣いてるヒマがあったら周りを見渡しなさいっ、敵は一人じゃないんでしょ!」

 飛び込むようにして抱きついてきたセルピをピュラは引き剥がして、引っ張りあげるようにして立たせた。

 豊かな赤い髪、燃えるように熱い橙の瞳。いつもと同じ――強い、強い、彼女の姿だ。

「ほらっ、急いで!」

 今いる場所は狭い横道だ。挟み撃ちにされたら打開は難しい。

 セルピの怪我をしていない方の腕をひったくるように掴むと、ピュラは猛然と走り出していた。

「だからあんたを一人にしとくのは心配だったのよっ」

「ご、ごめん……っ」

「うだうだいってないで、今は走るわよ!」

 面倒くさそうにピュラは言って、次の角を右折する。

 恐らくセルピを心配して探しに来てくれたのだろう。セルピは心の奥底からの安堵を覚えていた。

 とても心強い。ひとりでないということが、こんなにも心強い――。

 しかし、ピュラの瞳は険しいままだ。走りながらピュラは逡巡しているようだった。ただそれも束の間、何かを決心したように再び足を速める。

 曲がって、また曲がって……、とある一角まできたところで、ピュラは突然立ち止まった。

「ふみゅっ?」

 後ろを走っていたセルピが思わずその背中に激突する。

「わっ……、ピュラ、どうしたの?」

 その場は狭い裏路地だった。丁度家の玄関の前らしく、塀が開いて玄関と庭への道が見える。

 セルピは突然立ち止まったピュラに再び疑問を投げかけようとした。しかし――。

「セルピ」

 くるりと振り向いたピュラの瞳が、ガーネットピアスと同じようにちらっと煌く。まるで閃光のように鋭いその瞳に、セルピは一瞬言葉を失う。

 するとピュラはセルピの肩に手をかけて、言葉を紡いだ。

「あなた、ひとを殺したことがある?」

「――ふぇ?」

 突然のことにセルピはおかしな声をあげる。ピュラの顔はいつもと変わりない。焦りも怒りもない。とても……強い瞳だ。

「ないなら、ここで隠れて待ってなさい。見てて気持ちのいいものじゃないわ」

「……ピュラ? 何する――」

 困惑するセルピの言葉が終わらぬうちに、ピュラは彼女の黒髪をくしゃりと撫で付けた。

 その視線は表路地へと向かう。そして、その先には――。

「敵をこれ以上中にいれるわけにはいかないし、外にだすわけにもいかないわ」

「――え?」

 セルピの瞳が、ざわめいた。

「奴ら、この辺りに本拠地があるって知ったかもしれないでしょ。――帰すわけにはいかなのよ」

 ぱちん、と音をたてて装着していたナックルの金具が外れる。全力で龍流拳術を使うというのだろう。ナックルごしに使うのではない。

 その意味するものを悟ったセルピの顔から、目にみえて色が消える。

「ピュ、ラ……っ!」

 すがるような声になったセルピに、ピュラは小さく笑ってみせた。

「別に私が死ぬわけじゃないんだから。こんなところで死んでたまるかってのよ」

 そう言うなりピュラは辺りの気配を探りながら、セルピを残して足を踏み出す。

「――ピュラは」

「ん?」

 走り出しかけたピュラを、セルピは引き止めていた。瞳には再び涙が滲んでいる。

 セルピの小さな喉が、ぽつりと言葉を紡いだ。

「ひとを、殺したことが」

「あるわよ」

 ピュラは迷うことなく答えていた。一点の乱れもない、事実だけを述べる声。

 彼女はそうしないと、生きてこれなかったのだ。

「スラムでも、旅途中でもね。もう何人になるかわからないわ」

 言い終わった頃には彼女は再び走り出していた。

 あっという間にその姿は角を曲がって消えていく。

 セルピはその家の前にうずくまって、唇を噛み締めて……。

 ほんの少し、泣いていた。



 ***



 目の前に立った少女は、素手。武器のひとつも帯びていない、丸腰もいいところだ。

 男たちは突然目の前に現れた娘のそんな姿に、驚きを隠せないようだった。

「……なんだァ? さっきの子の仲間か?」

 彼女の男を見据える冷め切った瞳に、どこかうすら寒いものを覚えながら一人が言う。

 すると、他の一人が笑みを湛えながら彼女に向けて近寄ってきた。

「なんでもいいじゃねーか。ほら、見てみろよ。こいつガーネットピアスなんか持ってやが――」

 そうやってピュラの顔に手を伸ばそうとした男の手は、――彼女に届くことはなかった。

 ぱしっ、という音と共にピュラの手によって腕が掴まれていたのだ。

 ピュラの瞳が全てを焼き尽くす灼熱の炎に燃え上がる――。

「――っ!?」

 男が目を剥いた瞬間には、もう遅かった。

 彼女が流れるような動きで腰を落としたと思った次の瞬間、そのしなやかな拳が煌きをまとって繰り出されていたのだ。

 仲間が駆け寄る暇もなかった。男が一直線に10メートル後方の壁に冗談のように叩き付けられる。その衝撃で壁に亀裂すら入っていた。男は――もう再起不能の状態だろう。

 レムゾンジーナの風が相変わらず吹き付けているというのに、辺りの空気はみるみる氷結していく――。

「私の連れが世話になったわね」

 ぱっと彼女が握っていた手を開くと、ほのかな明かりが宙を舞う。

 橙色の瞳に映るのは、言葉を見失っている幾人かの男……。

「悪いけど、死んでもらうわ」

 まるで野生の獣に遭遇したかのように男たちはその小柄な娘を凝視していた。

 しかしそんな態度が癪に障ったのか、ひとりが彼女を睨んで剣を構える。

「このアマ、一人やったからっていい気になりやがって」

 その声に我に返ったのか、ひとり、またひとりと男たちが各々剣を構える。

 しかしピュラはまるで夜の泉のように静かだった。彼らの動きを一つも見落とさぬ瞳が、ぎらりと閃光を放ち――。

 刹那、男たちの視界から赤毛の娘の姿は消えていた。

 突然のことに目を見開く男の一人は――、直後、顔の側面に尋常でない衝撃を感じている。

 弾かれるようにして振りあがった足が彼の頬に食い込んだのだ。

 ふっとそのまま腰を落としてピュラは横に手を伸ばす。そのままもう一人の服の裾を掴み、勢いに任せて反対側に振り切った。

 遠心力をもってして、男はそのまま嘘のように飛ばされて地に叩きつけられる。

 きっと今のピュラの瞳を見て寒気を覚えぬ者はいないだろう。

 そう、彼女は『何も見ていなかった』。

 まるで本能がそうさせるかのような動きに容赦はない。精密にコントロールされた機械のような動き、舞うようなあでやかさ。

 しかしその行為は人を殺しているということ。ぱっと舞った血が彼女の頬についた。白い頬を彼女の髪と同じ色が彩る。

 ぎらぎら輝く瞳の光は消えずに、彼女は無慈悲に手を休めることもなく――。



 ***



血に飢えた死神の鎌 祝福を振りまく天使の調べ 精霊の御心のままに生きる者


無数の骸は大地に消え 太古からの呪縛は未だ解けず 怒るる竜の雄叫び 牙を剥くものたち


その全て 我が言葉に紡がれ 成りしもの


その全て 我が言葉に還り 再び溢るるもの



 ***



「――えっ?」

 その瞬間、クリュウは背筋が凍ったように青ざめた顔で、顔をあげていた。



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