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Bitter Orange, in the Blaze.  作者: 紅崎ナヤ
九.戦慄の走る時
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111.迷いと不安と



 クリュウは違和感を覚えていた。

 目の前にある景色はいつもと何ら変わりないのだが、どこかそこに横たわるものが歪んでいるような……。

(なんだろう。空気の流れがおかしい……のかな?)

 ちりっと肌に何かが焼けつく気がして、思わず両腕を抱くようにする。

 その違和感の正体を探そうと辺りを見回すが、やはりどこもかしこも同じ景色が落ちているだけだった。

 妖精族は空気の動きを人間の何倍も敏感に感知することができる。

 クリュウもまた、今日の空気の異変を察知していたのだ。

 一体これは何だろうか、まるで空気中のエネルギーが、ゆるやかな速さでどこかに吸い寄せられていっているような――。

「大丈夫か?」

 ふっと顔をあげると、スイが手袋をしながらこちらを見下ろしている姿があった。

 スイの手はよく見れば火傷の痕だらけだ。

 それを隠す為にいつも手袋をしているのだと知ったときには、傷を治すことは出来てもその痕まで治すことのできない我が身を悲しく思ったものだった。

「うん……」

 クリュウは言葉を濁して、翡翠色の瞳を揺らめかせた。

「なんだか空気が騒がしいんだ。僕の気のせいだといいんだけど……」

「……」

 スイは黙ったまま暫く目を伏せ、そうして机に立てかけてあった剣を携える。

 止め具がぱちりと小気味好い音をたてて、――妙に響いた。

 クリュウはそんな姿をじっと見つめ、小さく呟く。

「スイ。無理、しないでね」

「ああ」

 スイが小さく頷くと、クリュウも頷いて、意を決したように彼の肩まで飛んでいった。

 早朝のレムゾンジーナは冬も近く、空気は少々肌寒いものとして感じられる。

 そして、その大気は極限まで張り詰めて――。

 彼らは潜んでいた暗がりから、外へと踏み出していった。


「ゲリラ戦に最も有効なのは波状攻撃だ。一隊目を撃破したからって安心するんじゃねぇぞ」

 表へと姿を現したスイはかすかに瞳を細めた。

 海からの風になぶられながらも、珍しくヘイズルが外にでて、指示を飛ばしていたのだ。

 彼は外見に似合わずあまり外出をしない。昔も必要最低限しか顔をみせなかったはずだった。

 ……やはりそれだけ状況が緊迫しているということなのだろう。

 ヘイズルはスイの姿を見止めると、軽く手をあげて挨拶の代わりとした。

「敵さん、動き出すぞ」

「――ああ」

 既に作戦で使われる経路は全て頭に入れてある。

 スイは頷いて、その視線をヘイズルが片手に持っていたものにやった。

 ……それは木と金属を組み合わせて作られた、長く独特の形をした杖のようなものだ。

施条銃ライフルってシロモノさ。この前ダブリス家でお前たちがもらってきたもののひとつだ。こんなものを貴族たちは造ってたんだよ。……本来はかなり前から発明されてたんだが、これは誰でも簡単に人を殺すことを可能にしちまうからな、そうなったら騎士の貴族たちが衰退することが目に見えている。だから世の闇の奥に押しやられ、この世に存在するということを知る者ですら一握りになっちまったわけだ』

 スイは少し前に聞いたヘイズルの説明を思い出して、かすかにその瞳の蒼を揺らめかせた。

 その施条銃を見るたびにいつかの少年の持っていた、黒き天使の刃を思い出すのだ。

 あれは今ヘイズルの持っているものを極限まで小さくし、なおかつ形状にもこだわったものなのだろう。

 あまりにも軽々しく人の命を奪う兵器。これからはそんなものが戦に当たり前のように使われる時代がくるのだ。

 ヘイズルの手がスイの肩に軽くおかれて、……彼は小さな声で囁いた。

「背後からの支援は抜かりない。おまえは攻めを休めるな」

 しかしそれも一瞬のこと。気がつけばヘイズルは、見た目によらず猫のようなしなやかさでスイから離れ、屋根に上って町の端に目を向けている。

 もちろんそこにあるのは目指すべき、貴族の陣地だ。

「――お、きやがった」

 本ばかり読んでいるというのにどれほどの視力があるというのか、ヘイズルは遠くのわずかな動きを察知して合図を送った。

 すると横にいたリエナが緊張した面持ちで頷き、それぞれに指示をだす。

「主力部隊は作戦通り北西部に展開! 重火器類隊は南西と北から支援するように、決して焦るな、地の利はこちらにある!」

 彼女の声に便乗するかのように、風が一風、海から吹きぬけた。

 集まっていた彼らは一様に武装し、ひきしまった表情を湛えている。

 彼らもまた、今日という日を……、世界が再び動き出す日を待っていたのだ。

 貴族たちのような大部隊とはいえなくとも、身軽で個々の能力の高い集団は、それぞれ合図を確かめ合うようにして――。

 そうして、ヘイズルを見上げた。

 今まで彼らを引っ張り、この組織をここまで育て上げた張本人は、そんな様子を屋根に座ったまま見下ろして、にやりと笑う。

 それは、最後の止め金を外したかのような言葉だった。

「――行け」

『おおっっ!!』

 全員が、それぞれの想いを込めてそれに答えると――街に溶けていくかのように一気に散らばっていく。

 たった数百人の部隊は、あっという間にその場から姿を消した。

 ――そして、スイもまた……。

 ゆっくりと足を踏み出し、クリュウと共に一本の道を駆け出す。

 みるみるうちにうちにその後姿は消えていった。


 物資、人材、共に不利なこちらにとって、ここで長期戦になるのはなるべく避けなければならない。

 スイの役割は早くに敵のふところに飛び込み――、この世界の支配者とされるウッドカーツ家の者を打ち破ることだ。

 子供、嫁を含め、その家に名を置くものは全て瞳を血のような紅で染められるという。

 陣地にさえ忍び込めれば、目を見ただけでウッドカーツ家の者かどうかを見分けられるだろう。

 ……風が背中を押すように強くなぶった。

 貴族たちの合図だろうか、空に木霊するのは様々なかぶら矢の音――じきに交戦の音も聞こえ始めてくるだろう。

「クリュウ、上に」

「うんっ」

 スイの肩口で頷くと、クリュウは一度飛び上がって遠方を伺った。

 小さな黒い影がこちらに向かってくるのが見える。――こちらに敵意をもって襲い掛かる、敵のものだ。

 一度スイにそのことを伝え、クリュウは再び飛び上がっていつでも魔法が放てるように構えた。

 ゆっくりと、しかし着実に進んでくる影たち……、クリュウたちはそれらをすり抜けて、その奥へと乗り込むのだ。戦いは避けるに越したことはない。

 ――刹那、少し離れたところで爆音が聞こえた。心臓ごと揺さぶるような音に肩を飛び上がらせ振り向くと――黒い煙が昇っているのに気付く。

 恐らくこの街に数多仕掛けられた地雷を敵が踏んだのだろう。

 ……戦いが始まっているのだ。

 人と人が殺し合う、多くの命が夢のように消える、戦というものが……。

 一体誰が悪いのだろう。クリュウはあの黒い煙の元でおきているだろうことを予想して、唇を噛み締めた。

 きっと貴族たちが悪いのだろう。民をないがしろにした時代を300年も続け、世界を止めた……。

 そうだ、世界は今、貴族を中心として動いているのだ。たった少数の人間の思惑で、この世界は成り立っている。

 そんなことがあっていいはずはない。

 クリュウの目に映る人間たちは、皆平等に、それぞれの道を進もうとしている。

 もし彼らが縛られることなく、危険を冒すことなく暮らせられる時代がくるのだとしたら――。

 その時代を迎えるためにも、今、こうして戦っているのだろう。

 こうやって、哀しみを乗り越えて……ひとは、歴史を塗り替えていくのだろう。

 ――しかし?

 クリュウはそれだけでは納得のいかない自分を感じていた。

 それ以外に道はないのだろうか。

 今、ここにいて、これからここで散っていくであろう彼らは、人間なのだ。親を持ち、生を受けてこの世に生まれてきた――。

 それは、だれもが同じ。

 なのに、こうすることでしか世界は解き放たれないのだろうか……。

 ――いつか、風吹き荒れる草原でであったひとに言われた言葉を思い出した。

 ダムいっぱいに溜まった水は一気に溢れ出す。そこにおきる波は大きく、誰にも止めることはできない。

 なら、自分たちはその波に、世界の波に呑まれるしかないのだろうか……。

 しかし、現実の時の流れはクリュウの思考と同時に止まってくれることはなかった。

 建物の影に隠れながら近付いてくる者たちが、気がつけばすぐそばまで来ているのだ。

 クリュウの体の大きさでは彼らも空に浮かぶ存在に気付くことはない。

 ぐっと奥歯を噛み締めてクリュウは、全ての迷いを心の奥底に封じ込めた。

 今はスイの助けとならなければいけないのだ。

 だから、戦う。――そう、戦うのだ。



 ***



 ――パンッ!!


 空気を揺るがす無慈悲な音。銃口からは煙が一筋、空へと上っていく。

 ヘイズルの狙った先では、既に血だまりが広がりつつあった。

 横でリエナが目を丸くしている。

 ……当たり前だ、ヘイズルが屋根の上から狙った相手までは軽く500メートル離れている。

 狙いを定めるときこそかなり緊張していたようだったが――、これはもう神業としか思えなかった。

 テスタたちが奪取してきた銃は約50本。それでも随分な数だ、これだけの生産及びその秘密保持にいくらの富がかかったかわからない。

 弾をいれて引き金をひく、という簡単な扱い方から、それぞれ仲間に配られたはずだったが、これだけ遠くから打てるのもヘイズルくらいのものだろう。まるで初めて扱ったとは思えない。

「今までに使ったことがあるのかい? こんな距離で打つなん――」

 しかしリエナの言葉は最後まで続かない。ヘイズルが人差し指を彼女の目の前に突きつけたからだ。

 ……つまりは黙っていろということなのだろう。

 当たり前だ、今いる場所は……戦場なのだ。

 丁度ヘイズルたちが拠点としている地下への入り口の近く。守るべき最後の一線に、彼らはいた。

「昔、ちょっとな」

 ヘイズルは独り言のように呟いて、弾が尽きた銃をリエナに渡す。リエナは既に弾が装填されているもう一丁を入れ違いに渡した。この銃は一度打つごとに弾を入れ直さなければならないのだ。

 弾丸が装填された銃を手馴れた仕草でくるりと向きを変え、ヘイズルは再び屋根の影からほぼうつ伏せになった状態で狙いを定めた。

 栗色の瞳が極限まで細くなり、銃口が――。

 ――ダンッ!!

 激鉄があがる音が大気に満ちる。リエナはヘイズルが狙った先の方へと視線を向けた。

 そこにはやはり先ほどと同じように銃に撃たれた男が倒れている。

 空の銃に弾を装填しながら、リエナは彼の狙いの正確さに舌を巻いた。

 この場所は主戦から離れているため、敵からの攻撃はないかわりにこちらからの攻撃も遠すぎて出来ない。

 ……そう、出来ない筈だったのだが、それを目の前の男がいとも簡単に可能にしてしまったのだ。

 あまりに遠い場所からの遠距離攻撃。確かに仕留められる敵の数は少ないが、なにもしないよりはましだ。

 次の瞬間、ヘイズルとリエナはとんできた風の刃を捉えて屋根の影に頭を引っ込めていた。恐らくは流れてきた魔法だろう。

 しかしそれでも頭上を通り過ぎる魔法の威力はすさまじいものだ。

 ばりばり、と老朽化していた近くの屋根が飛んで空に散る。それらは瞬く間に砂嵐と代わり、運ばれていってしまう。

「おー、すげぇ」

 屋根の影に隠れたまま、ヘイズルは口笛を吹いてみせた。その口元が不敵に笑う。

「魔法部隊を主力にまわしてきたか。ふん、短期戦でカタをつけようって魂胆が丸見えだな」

 そのままそっと視線を激戦地に向けた。丁度高くなった屋根の上だ、街の様子がよく見える。

 やはり激しい戦闘がそこここで起こっているようだった。魔法を使っているのは主に敵の部隊だ。

 しかし、様々な箇所で時折大きな爆発が起こっているのは相手の攻撃ではないだろう。ヘイズルの知識で作り出した爆薬を全員に持たせているのだ。それは火をつけて投げるだけですさまじい爆発を起こす――。

「だがこちらには好都合か」

 そう呟いた瞬間には、彼は既に装填された銃を構えていた。

 高い場所から弓を引く者に狙いを定めて、引き金をひく。

 銃口が火を噴いて、弾丸が飛び出た。それは確実の相手を捉えて、打ち倒す。

「とりあえずは優勢のようだね」

 再び空になった銃に弾を装填しながらリエナは言った。最初にぶつかった地点からみれば、明らかにこちらの方が押しているのだ。

 先ほどから次々と入ってくる戦況報告も、現時点で悪いものは一つもなかった。

「ヘイズル、南に敵襲が!」

 ――そんな報告が入ってきたのはどれほど経った頃だろうか。ヘイズルは振り向かずに敵の方を睨んだまま呟く。

「そっちにも入れてきたか。なにふり構わずって感じだな。――リエナ」

「ああ」

 聡明な彼女は、名を呼ばれただけで察したようだった。

 すぐさま屋根から辺りにいる者に指示を飛ばし、南の方向を睨む。

「私がいなくて平気かい?」

「おお、心配してくれるのか」

「今死なれると志気が落ちるんだよ」

 にべもなく言いながらも。リエナは腰のレイピアを確認して、屋根から飛び降りた。

 ここから戦況がどうなっているか一望はできるが、その細部にいたるまでは確認できない。一体前線ではどんな戦いが待っているか、……予想もつかなかった。

「南は高低差が激しいぞ、上からの攻撃に気をつけてな」

「誰に向かっていっているんだい」

 そう言い残すと、先ほどの指示に従ってやってきた十数人の部隊に合図をしてリエナは走り出した。

 それに続いて部隊も走り出し、瞬く間にその姿は消えてしまう。

 周辺にいるのはヘイズルを含めて10名程度。ヘイズルという司令塔と、街を駆け回って戦況を報告したり合図を送ったりする者たちだ。

 ヘイズルは背後の海を確認した。先ほどの海戦で既に敵の姿は見えない。

 その海中にはいまだにテスタたちが潜んでいるはずだった。

 あの戦いは上出来だった、……油断こそできないものの、きっとテスタの使う術は貴族たちの度肝を抜いたことだろう。

「ヘイズル、まだあれはださないのか? そろそろ準備をはじめた方が」

「……そうだな」

 もう一発だけ弾を繰り出すと、ヘイズルは仲間からの声に小さく頷いた。

 そうだ。テスタたちがダブリス家から奪ってきたのは銃だけではない。

 貴族たちがその力を注ぎ込んで復活させた、失われた文明の遺産……。

 おそらくそれが世に登場した日には、歴史の一大事として後までその出来事が伝わるようになるだろう。

「フェイズ、操作方法は覚えたな?」

「へーいへい。あんなん使うの趣味じゃねーんだけどなー。本業と正反対じゃねーか」

 言葉を返したのは、物陰で暇そうにあくびをしていたフェイズだった。

 まるで気持ちの良い朝を満喫するかのように、彼はぐっと体を伸ばす。少し離れたところでは火と矢が飛び交っているというのに、だ。

「ふん、あんなものを使えるだけの学を持った自分を恨めよ」

「天才も辛いもんだなー」

 本当に困った、という風にフェイズは肩をすくめてみせた。

 ヘイズルは口元だけで笑って彼に出動命令を下す。

「うだうだいってないで、とっとと行ってその天才ぶりとやらを発揮してこい」

 フェイズは一度赤紫の髪を軽くかきあげ、さも面倒くさそうに立ち上がった。

「りょーかい」

 そのままあたかも遊びにでも行くかのように、ポケットに手をつっこんで歩き出す。

 風は相変わらず止むことを知らず、彼の服の裾が大きくはためいて踊っていた。



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