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Bitter Orange, in the Blaze.  作者: 紅崎ナヤ
九.戦慄の走る時
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109.包囲網の中



 思わずクリュウはひとりでに呟いていた。

「す、すごい音……」

 ヘイズルたちから少し離れたところ。横にはピュラやセルピ、そしてスイもいる。

 その場にいる誰もが、山であがる音の群れに耳を傾けていた。

「ピュラ……」

「何怖がってるのよ。音だけじゃない。ったく、うるさいわねーこの音」

 服の裾を掴んできたセルピと違って、ピュラは相変わらず冷静だ。

 辺りに緊張の静寂が訪れていただけあって、音はどこまでも大気を大きくゆるがせていく。

 スイは目を細めた。おそらくこの音はこちらに相手の数の多さを知らしめ、包囲されていることの恐怖をかきたてるものだろう。

 戦場では兵の数もさることながら、心理というものも勝敗の重要な要因になるのだと、いつだったか兄に聞いたことがある。

 けたたましい音は青空一杯に散っていく。

 しかしそれが止むと、今度は妙な静寂がそこに落ちた。

 そのまま数分を、沈黙が襲う。


「――相手の様子を誰かに偵察に行かせた方が良いのでは?」

 だれか一人が沈黙に耐え切れず、ヘイズルに言った。

 しかしヘイズルは腕を組んだまま微動だにしない。

「いや、ここは時間を稼げるだけ稼げ。今、テストたちが物資ルートを破壊しにいっている」

「ヘイズルっ!」

 少々慌てた声に顔を向ければ、走ってきた一人が片手に一枚の紙切れを持って走ってくるところだった。

「どうした?」

「矢文が……」

 走ってきた男はヘイズルに折りたたまれたそれを渡す。

 怪訝そうな顔をするリエナの横でヘイズルは紙を開いた。


『革命を企てし者どもよ、今すぐ武器を捨てて投降せよ。さすれば身の安全は保障されるだろう。

 明朝まで沈黙を守る場合は、精霊の御名において汝らに容赦なく刃を向けることになるだろう。

 ハルム・ウッドカーツ』


 最後に署名と共におされたウッドカーツ家の印は、間違いなく本物だとヘイズルは瞬時に判断する。

「ウッドカーツ家……!」

 横でリエナが口の中で叫んでいた。

 ウッドカーツ家、貴族の頂点に立つ者。そして、300年という間の閉鎖でこの世を、時の流れを、全て縛り付けた張本人。

 リエナにとって、世界で一番憎むべき相手だった。

 しかしヘイズルはその署名に得に動じることはせず、少々後頭部をかくだけで次の言葉を続けた。

「貴族だけあって礼儀正しいな。敵の攻撃は明朝だそうだ。リエナ、皆を中に戻らせろ。ここにいるだけだと体力の無駄だ」

 突然思いもよらぬ指示をされたリエナは、一瞬目を丸くした後に……また怪訝そうな顔つきになる。

「奴らを信じるというのかい? こちらが油断しているところを見計らって、攻め込んでくるかもしれない」

「いいえ、その可能性は低いですね」

 ふいにこの場にはあまり相応しくない、澄んだ声。……ハルリオだった。

「どうしてだい」

 彼の姿を見止めた瞬間、目を鋭く光らせるリエナが問う。

 ハルリオは風で少々乱れた髪を撫でつけながら目を細めた。

「貴族側としてもこの戦いはなるべく避けたいものでしょう。元々、今の貴族側の内面はかなり荒れていますし、貴族間での戦争も疑われています。そんな中でこんな非力な民の集まりと戦って無駄に金と軍力を使いたいはずがありません」

「は、悪かったね、非力で」

 とげとげしく返したリエナに笑ったのはヘイズルだった。

「おお、俺たちゃ非力だが、非力だからこそ出来ることがあるだろう」

 まるで敵に包囲されていることもお構いなし、という具合の喋り方だった。

 ぱんぱん、と手を叩いて呼びかける。

「なにはともあれ、一度中に入れ。今は茶でも飲んでゆっくり休んでおくんだ」

「ヘイズル」

 小さな声で横から呼びかけたハルリオに、ヘイズルは視線だけで返した。

 ハルリオはその瞳に真摯な光を湛えて、あまり他に聞こえないように呟く。

「貴族たちは恐らく」

「へ、わかってるさ」

 しかし言葉が終わるよりも早く、ヘイズルの声が音を紡いでいた。

 ヘイズルは一度山の向こうに目をやって、口の端を吊り上げる。

「奴らの考えそうなことくらい、お見通しだ。……ま、最初はお手並み拝見というところだな」

「対策は?」

「ふん、考えてあるさ」

 栗色の瞳の奥に不敵な光を湛えたまま、ヘイズルは踵を返して中へと向かった。

 空は快晴、冬の近いのびやかな青には雲の一つも見当たらない――。



 ***



「どうしてすぐにあれを使ってしまわないのです? それさえすれば奴らなど、いとも簡単に……」

 ハルムは従者の進言を手を振って止めさせた。

 軽く息をついて、横にあったガラスの水に口をつける。

 魔法によって血の色に染められた瞳を細めた。

 レムゾンジーナの周囲を取り囲む陣地のひとつ。

 テントの外では部下たちがせわしなくこれからの戦いの準備に取り掛かっている。

「お前が、その力が、以前、どんな惨事……いや、災厄をを引き起こしたか分かっているのか?」

 従者を睨むようにして、言った。

 彼はその瞳の色に圧倒されて言いよどむ。

 いくら上の者たちの命令とはいえ、ハルムは最後の最後までその力を使うまいとしていた。

 そうだ、300年前のあの災厄。それは書物でしか読んだことがないが、あまりもの衝撃的な文章に眩暈を覚えたほどだ。

「あれを使うのは最後の手段だ。彼女の身体に異常は?」

「いえ、スゥリーの報告によれば健康だそうです」

「そうか。今は――休ませておけ。まだ戦に慣れぬ娘だからな」

「……御意」

 胸に手をあてて頭をさげた従者をハルムは一瞥して、机に広げられたレムゾンジーナの見取り図に目を落とす。

 三日月形をした町は山に囲まれ、へこんだ部分が港になっている。

 外からの攻略が難しい町だ。ハルムのいる場所はまだ草原地帯だったが、四方から囲む為にところどころ森の中に無理矢理陣を張らせているところもあった。

 地の利はこの辺りのことを隅々まで知っているであろう彼らにある。

 しかも海から絶えず吹き付ける風はこちらにとって向かい風……。不利なことが多い。

 多少の犠牲は避けられそうになかった。

 そういえば三年前も同じようにこの町を襲う為、こんな風に町の地図を検証したものだったか……。

 明日の朝にはウッドカーツ家の艦隊がこちらにつく。

 陸の方で陽動している間に海から攻め込み、一気に四方から叩くのが勝つ為の一番早い方法だろう。

 しかし、ひとつ気がかりなのは彼らをまとめている人物のことである。

 一体何者なのだろうか。

 嫌な予感がしていた。ハルムは彼の姿を悪魔のごとく狡猾な人物だと踏んでいる。そう簡単に殲滅させてくれるだろうか……。

 これからはじまるであろうことをハルムは予想して、今までに幾度となく感じた炎と血の臭いを思い出し、……自ら目を閉じていた。



 ***



 リエナはヘイズルを探していた。

 一旦、見張りを除いた仲間たちを中に入れて待機させたのだが、どさくさにまぎれて彼の姿が見えなくなってしまったのだ。

 今になって始まったことではないが、全くもって訳の分からない上司である。

 頭が良いことだけは認めるのだが、どうにも扱いづらい人間だった。思わず溜め息が零れる。

 敵に発見され一網打尽にされるのを防ぐため、現在自分たちはいくつかの基地に分散して潜んでいる。

 もしかしたらここではない、他の基地に行っているのだろうか……。

「……全く」

 リエナは雑に髪をかきあげると、捜索を諦めることを決意した。

 きっと彼なら指示が必要になったときにひょっこりと戻ってくるだろう。

 何故だろうか、いつでも『彼なら』と思ってしまう自分がいる。

 あの見透かすような表情は何を考えているのか分からない点もあったが、……それでも、だからこそ彼を見ていると負ける気がしないのだ。

 もう少しわかりやすい行動をとってくれれば最高なのに、とリエナは考えて、……戦闘の前夜だというのに小さく笑っていた。


 夜になったとはいえどもレムゾンジーナの風が止むことはない。

 スイはそんな町の中を歩いていた。

 必ず相手側は間者として……こちらの動向を探る為にごく少数、しかもかなり腕の立つものをこちらに忍ばせてくると思ったからだ。

 もしもこちらの詳しい居場所や武具の具合などを知られてしまっては、その分こちらが不利になってしまう。

 ……ここまできてしまったからには、敵の術中に陥るわけにはいかないのだ。

 視界は、暗い。月明かりだけが頼りだ。遠くに敵陣のかがり火が見える。

 そんな暗がりの中、ほんの少しの動きでも探れるように目を細めた。

 大通りよりも目立ちにくい横道を中心に、足音をたてずに歩いていく。

 視界一杯に広がる町の影……、だがとある道にでたところで四方を見渡す前に、スイはその身を固くしていた。

 しかし、一度剣の柄にかけた手を再び離したのは、……そこから見えた屋根の上に座る影が見知った姿だったからだ。

 ――ヘイズルだった。

 まるで銅像にでもなったかのように、堂々と屋根の上に座っている。

 彼はじっと山の方を見据えたままだった。

 こちらに気付いていないのだろうか、こちらまで10メートルほどしか離れていないのに微動だにしない。

 一体何をしているのだろうか。見張りは他にいるはずだ。

 しかも丸腰で目立つ屋根の上に座っているというのは――?

 スイはシルエットとなったその姿をあらためようと、気配を消したまま足を踏み出した。

 ……しかし、彼はその一歩を踏み出すまでしか許されない。

 思わず息を呑んで足を止める。

 進もうとした道に、巨大な障害物を見つけていたのだ。

 四角い、……背丈は自分と同じほどにまである箱のような、巨大な影。暗くてその全貌はよくわからない。

 つい最近まで、こんな場所にこんなものはなかったはずだ。

 ――これは、一体?

 そう思ったスイが、その巨大な影に気をとられている数秒のことだった。

 突如、何かが空気をかすかに震わす音。

 そして、戦慄すら覚えるほどの爆発的な殺気――。

 スイはとっさに顔をあげた。しかしすぐさま目を見張って、辺りを見回す。

 先ほどまで絵になったように屋根の上にいたヘイズルの影が、嘘のように消えていたのだ。

 すぅっと体温が抜けていくのを感じて、スイは口元を引き縛った。

 彼は一体、何処へ行った? ……この違和感は、一体。


 ――どさっっ!!


 心臓が飛び上がる。

 剣を一瞬で引き抜き、音の方へ構えた。

 彼がその光景を認識するのがあと一瞬遅かったら、彼はその方向に向かって剣を振りかぶりながら走り出していただろう。

 しかし、スイはその動きを止めていた。

 目の前に月明かりによって浮かび上がる、光景。

 思わず、何かを口にしようとするが……それすら、かすれた喉が許さない。

 ヘイズルが、黒い影――恐らくは人間――を後ろから地に押さえつけるようにして、拘束していた。

 黒ずくめの影は必死で抵抗するが、無情にも甲斐はない。恐らくはスイの探していた、貴族が放った者だろう。

 ヘイズルは暴れる影を軽々と拘束したまま、動く様子もみせなかった。それこそ銅像のように、力が入っているのかと怪しくなるほどだ。しかし実際には……抵抗を完全に封じている。

「よぉ」

 ヘイズルは影に向かって、仲間に挨拶でもするかのように話しかけた。

「お前、本当にそれで目が二つついてるのか? 動きが散漫だ、注意力も判断力もまるで足りないな。貴族の間者もよっぽど落ちぶれたもんだ」

 最後は嘆くように呟いてみせる。

 それでも抵抗を続ける影に、ヘイズルは僅かに腕を動かせた。

 ひねりあげられた影は声にならない悲鳴をあげる。風がかすかに動くのをスイは感じ取った。

「元気だけはいいみたいだな。どうやったらどんなに苦しんでも死ねない苦痛を味わえるか、教えてやろうか?」

 囁くような、声。

 スイは思わず口元に手をやる。

 ヘイズルは恐ろしいほどに普段と変わらぬ口調で続けた。

「帰ったら主人に伝えてもらおうか。ここには鬼も悪魔も潜んでいるが――」

 月明かりに青白く浮かぶ口の端が禍々しく吊りあがる。

 まるで、それは。


「それ以上に恐ろしい、――それはそれは恐ろしい、『人間』がいるってことを、な」


 ……もしここが昼間であったなら、どんなにスイの顔が蒼白になっていたかよくわかったろう。

 それほどにヘイズルの声は冷淡で、……死神が舞い降りてきたようにすら思えた。

 そうだ、無慈悲に嗤いながらその鎌をちらつかせているような……。

 不意に、がくりと影の力が抜けた。

 ヘイズルは冷めた目で暫くそれを眺めると、無造作に影を放り出して立ち上がる。

 軽く肩をすくめた彼の、今は闇の色をした目がスイを……とらえた。

 それがすぅっと細められると、逆にその中の光は深くなる。

「よぉ、スイ」

 笑いかけてきた。しかしそれはこの夜の空気の深いところまで染みていく。

「見回りか? ご苦労なこったな」

 そこまできて、やっとスイは剣を鞘に収めた。

 ヘイズルの足元に落ちる影は、もう動かない。……既に息絶えているのだ。

「……これは」

「奴らが放った賊さ。特殊訓練を受け、暗殺から密偵までどんな汚い真似もしてみせる。そして、相手に捕らえられたときは主人の思惑を知られる前に、自害することが義務付けられている。奥歯に毒を仕込んでやがるのさ」

 ――骨のない奴らだ、とヘイズルは腰に手をやって一歩二歩と歩き始めた。

 スイはそれを動けないまま凝視するだけだった。

 先ほどの一瞬の動き……、まるで、それこそ訓練されきったような。昨日今日で覚えられるようなものではない。

 そういえばと、ヘイズルと出会ってからはもう数年が経っているのに、全く彼の生い立ちを知らない自分にスイは気付いた。

 豊富な知識量、熟練された動き――、どこかで習ったのだろうか?

 しかしその思考は、ヘイズルがスイの前にあった巨大な四角形のものに手を触れたことで止まってしまった。

 ヘイズルはその形を確かめるようにしている。月に照らされた笑みが、一層深まる――。

「……それは何なんだ?」

「ああ、ちょっとした舞台装置だ」

 ヘイズルは塊をこんこん、と軽く叩いてみせた。鈍い音からして金属ではないようだ。

 怪訝そうな顔をしたままのスイに向けて、言葉は続いた。

「三年前の、この町が燃えた日の出来事はお前にとっての恐怖だったろうが……、」

 ふっと何かが心の中に吹き込む。スイにとって、恐らく永遠に忘れられないであろう炎の記憶。

 スイはまだこの頃知らなかった。今、目の前にあるような巨大な塊が、いつのまにか町全体に配置されているということに……。

「それは貴族たちにとっても恐怖だったということだ」

 その場に伏した影には興味を示さず、それだけ残すとヘイズルは帰り道の方へと歩き出した。

 スイはじっと巨大な塊を見据える。舞台装置、ヘイズルの机の地図に記された赤い点、恐怖、三年前の――。

 ……まさか?


 しかし、それで彼がなにをできるわけでもなく。


 スイもまた、踵を返して歩き出していた。

 そうしてまた夜が、明ける。



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