襲撃
学校を出て数分、誰も口を開かないので和が仕方なく声を上げた。
「あのー、どこに向かってるんですか?」
和の質問に百紀が後ろを振り向き、呆れた声を出す。
「何、直まだ説明してなかったの? 和君困ってるじゃない。それなら朝に私が説明すればよかったわ」
「……姉さんは黙っていて下さい。ちょうど今から説明しようと思っていたんですから」
苦しい言い訳だが、それに構わず直は厳しい視線を百紀に向けた。
それを受けて百紀は「はいはい」と答えて顔を前に戻す。
「すみません、和さん。説明が遅くなりました。これからレグルスの本部に来て頂いて、諸々の説明と訓練を受けて頂きます。その後、夜に関東チャンネルのテレビ番組に出演予定となっています」
突然のスケジュールに和はポカンとする。
「えっ、テレビ出演?」
その様子に義明は突如笑い出す。
「あははははっ。そりゃそうだよな。俺だったら嫌だわ。くくくっ」
「平山さんは黙っていて下さい」
直の声に義明は笑いを止めてしゅんと大人しくなる。
「和さんがマスコミに対して嫌悪感を抱いているのはわかります。ですがこれも作戦の内ですので……。でも私がフォローしますので心配しないで下さい。マネージャーである私に任せてください。――それと昨日預かっていた携帯をお返ししますね」
そう言って、和の手に携帯を手渡す直は手を絡ませる。
見ると直の視線には非常に熱が篭っている。
「まぁ、しょうがないか。フォローしてくれるなら助かるけど、マネージャーってどういうこと?」
さりげなく和は直の手を離して返却された自分の携帯を見る。携帯にはメールや着信が数多くあった。
名残惜しそうな感じで和の手を見た後、直は和の疑問に答える。
「……はい。今後和さんのマネージメントは私がやらせて頂きます。テレビ出演や取材などの管理です」
「そっか。もう何でもいいや」
携帯を見ながら、投げやりな返事をする和。そうして携帯をチェックしていると色々と気になる文章が目に入ってくる。
「あと、和さんには今日から関東チャンネルの敷地内に住居を移してもらいます」
「…………」
「そんな悲しそうな顔をしないで下さい。私も同じ部屋とはいきませんでしたが、隣に住んでいますから」
「そうじゃねえよ!」
そういう大事なことはもっと前に言って欲しいと思う和。なにしろ姉妹たちから「どういうこと、あんた引っ越すの?」「引越し業者が来ているのだけど」といった怒りのメールが複数、和の携帯に来ていた。
和が頭を抱えていると、
「もちろん私も隣に住んでいるからね! にしし」
「俺もな! 同じ場所に住んでいるから」
前の二人がニヤニヤしながら同じ様な事を話す。
「まぁ、率直に言えば部隊のみなさんが住んでいます。私は別に二人だけでも良いのですが……」
ぶつぶつと呟く直。
自分の置かれている状況が着実に変化していることを実感して、げんなりする。
そんなところに、義明から急に真面目な声がかかった。
「二人共、シートベルトはもちろんしてるよな?」
「? はい、してますけど……」
和と直は不思議そうに顔を見合わす。
「二人共、後ろは見ないでくれよ。……百紀、後ろの白のセダンどう思う?」
「……さっきから付けて来てるわね。ニットにサングラス、おまけにマスクと。怪しんでくださいと言ってるようなものね」
車内にさっきまでとは違い、重苦しい空気が漂う。
「様子見るか」
義明は車を左に寄せて路肩に一旦停車した。
「…………」
車内が沈黙に包まれる中、後続車のセダンはそのまま通り過ぎた。
「う~ん微妙だな。サングラスで目線が見えなかったが……。少し遠回りしていくか」
そうして再び車を発進させる。
「良く気づきましたね、義明さん」
「俺ぐらいになるとこんなのは当たり前だよ。後続車には常に気を配れってね」
こうは言うが声にはうれしさを隠しきれていない。
「和君~、私も気づいてたんだから~。褒めて褒めて」
「さすがですね、姉さん」
間髪いれずに妹が姉を褒める。
「…………」
褒められたのに押し黙る百紀。
和はこの状況にもう本当仲良くしろよこの姉妹、と思わずにはいられなかった。
運転を再開して数分後、義明から呆れた声が発せられる。
「まいったね。こりゃ黒だわ、百紀どうする?」
「……そうね、幸い交通量は少ないわ。多少荒っぽくしてもいいから巻きましょう」
「了解!」
二人の会話で和は察しがついた。先程の車に再び尾行されていると。
四人の間に緊張が走る中、和の左手に暖かいものが触れる。
「…………」
和が横に視線を移すと直が和の手をしっかりと握っていた。
和は先程とは違って、その手を握り返す。
義明は速度を上げて車線変更を繰り返し、前の複数の車をどんどんと追い抜いていく。
しかし――
「ちっ、やはり追いかけてくるか。だったら――」
アクセルをさらに踏み込む義明。そうして速度を上げる車は十字路の交差点に差し掛かろうとしていた。その時、交差点前の信号機は赤になろうとしていたが義明はスピードを緩めることなく、そのまま突っ切って絶妙のタイミングで右折する。
「これならどうだ?」
義明がバックミラーに目を移す。と同時に、後ろからクラクションと車の衝突音が鳴り響いた。
白のセダンは赤信号などお構いなしに交差点に進入して側面からの車と衝突していたのだった。しかし、他の車と衝突したセダンはすぐに動き出して、そのままスピードを上げて迫ってくる。
「おいおい、マジか!」
「無茶苦茶ね……」
溜息を吐く百紀。
「ああ。しかし、どうしたもんかな。……ん? あいつ、左に車線変更しやがった。だったら――」
義明はスピードを上げて、左側車線を走っている前の車を追い抜くと同時に左に移る。形としては義明たちと白のセダンの間に車を一台はさむ形にした。
「このままの状態を保って、またぎりぎりのタイミングで仕掛けるか」
「あれ? ヨッシー、あいつまた右に車線変更したわ」
右に車線を移した白のセダンが一気にスピードを上げて、和たちの車を通りすぎようとする。
その時、
「――みんな伏せて!」
百紀が叫ぶ、と同時に直は和を引っ張ってその上に覆い被さる。
その直後、車内の窓が次々と割れる。それはまるで氷の板がいともたやすく割れる様だった。
「クソがっ!」
悪態をつきながら何とかブレーキを掛ける義明。
そ白のセダンは、そのままけたたましいエンジン音を響かせて走り去っていく。
「あの野郎、撃ってきやがった! ――みんな、怪我はないか?」
義明はガラスの破片で塗れた車内を見渡す。
「私と和さんは大丈夫です!」
直が身体を起こして、しっかりとした声で返答する。
この急な出来事に和は呆然としながらも感謝の言葉を口にする。
「えっと、取り合えず助けてくれてありがとう、直」
「……っ! いえ、大丈夫ですよ、和さん」
和の感謝の言葉に、驚きと照れが入り混じった表情をする直。
二人の様子を見ながら義明は、後ろの一般車がこちらの急ブレーキにきちんと反応してくれたことに感謝をした。
「百紀も大丈夫――」
助手席への声を止める義明。まさかと思い、和はシートベルトを外して前の座席に身を乗り出した。助手席を見るとぷるぷると体を小刻みに震わせて身体を伏せている百紀がいた。
その表情を後ろから伺うことは出来ずに思わず心配する和。
「……百紀さん」
和が百紀の肩に触れる。
「――――す」
「えっ? どこか怪我をしたんですか?」
百紀の呟きはあまりに小さくてきちんと聞き取れなかった。
和はさらに前に身体を乗り出して、百紀の表情を伺うことにした。
「っ!」
百紀の顔を見た和は思わず後ずさってしまい、そのまま後部座席に腰を下ろしてしまう。
なぜなら助手席には、こめかみに青筋が浮かび上がらんとするほどに顔を真っ赤にした鬼がいたのであった。そのあまりの形相にあやうく悲鳴を上げそうになった和。
「……殺す殺す殺す殺す殺す」
百紀から刺すような低い声が聞こえる。
和は静かにシートベルトを再び着用して覚悟を決め、その様子を直は不思議そうに見つめた。直の表情は「どうしたんですか? まるでこれから死地に行くみたいですよ」と言っている。
百紀がゆっくりと顔を上げて前方を睨んで声を荒げた。
「ヨッシー、さっきの車、今すぐ追って!」
「……言うと思ったよ。うしっ、了解!」
ギアを入れ替えて一気に動き出す車。
「きゃっ!」
準備が出来ていなかった直が短く悲鳴を上げる。
急発進の反動が体に重く圧し掛かりながら、車は猛スピードで公道をひた走る。
義明は次々と車線変更しながら他の車を追い抜く。もはや信号は関係なしで絶妙のタイミングで車間をすり抜けていく車に辺り一帯はクラクションの嵐である。だが、そんな事はお構いなしにただひた走る。その様相は通報されていても致し方ない運転であった。
「いたわ!」
いつのまにか窓から半身を乗り出して前方を眺めていた百紀が大声で叫ぶ。
「そのまま後ろからぶつけて! で何としても左車線に移させて。さっきのお返しをするわ。ったく、なめんじゃないわよ」
そう言って百紀は窓から半身を戻して腰のホルスターから銃を持ち出す。
「二人共、さっきと同様に伏せといてくれよ」
「了解です!」
和はヤケ気味に返事をして身を伏せる。直も同様の姿勢で身を伏せた。
「よし、つっ込むぞ!」
右車線をさらに加速する義明の車。そして、瞬間、激しい衝突音が辺りに響き渡った。
義明は白のセダンに後ろから全力でぶつけたのである。
「おらっ!」
続けて何度も前方のセダンに衝突させる。
セダンはこの状況にたまらなくなったのか、ハンドルを左に切ってこちらの追突から逃れようとする。
「ナイス。ヨッシー、今よッ!」
「ああ!」
左車線に移動したセダンの横に付ける義明。さらにハンドルを左に切って横から車体をぶつける。
「さっきのお返しよ!」
百紀は相手に向かって銃を連射する。甲高い発砲音が車内に何度も木霊する。
相手のセダンの窓ガラスはほぼ全て割れて、百紀の銃撃と横からの追突でそのままガードレールにぶつかり力なく停車する。
セダンが止まったことを確認した義明は前方に停車する。
「二人共、外には出ないようにね!」
百紀と義明が一斉に車外へ飛び出した。
「抵抗しても無駄よ! 手を挙げて出てきなさい!」
二人が銃を向けながらセダンにゆっくりと近寄る。
ガチャッとドアが開いてセダンから運転手が右手を押さえながら出てきた。マスクとサングラスで顔が隠れているが、表情は恐らく苦痛で歪んでいるだろう。
「あんた、何者?」
静かに問う百紀にふらふらと近寄る運転手。
「おい、そこで止まれ!」
義明の静止の声が聞こえないのか歩みを止めない運転手。そして突如、百紀に向けて走り出した。ぶらりとした右手には光り輝くナイフが見える。
「ったく!」
義明が引き金に力を込めようとする。
「待って、ヨッシー! 私に任せて」
百紀が自信満々に言って直後容赦なくトリガーを引く。
周囲に鳴る乾いた音と同時に、銃口から発射された弾丸は相手の右太股に命中して地面に鮮血が飛び散った。
激痛に運転手はたまらず悶絶して立ち止まる。
「せりゃー!」
悶絶している相手に走り出して頭部に右ハイキックを追加で食らわす百紀。
「ぐはっ」
運転手はマスクでこもった声を出して倒れる。すかさず義明が近寄り、体を押さえてつけて動けないようにする。
「ヨッシー、そのままお願いね。警察に連絡っと」
周囲は一連の騒動にざわついていたが、平然と携帯を取り出して通報する百紀。
車内で騒動の終結を見終わった和と直は、ほっと息を吐いた。
「……百紀さんって、昔からあんな感じ?」
「はい、怒ると手が付けられません。すぐに怒ります。はっきり言って姉さんは野蛮ですよ。ちなみに妹の私はお淑やかですよ、和さん」
さりげなくとは言えない自己PRに和は生返事をする。
「ふーん、そっか」
そんな和の態度にぷぅと頬を膨らませる直だが、しばらくしてポツリと呟く。
「……でも頼りになります。姉さんは」
そう言って百紀を見る直の表情は穏やかで、そこから姉妹の絆が確かに感じ取れたのであった。