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変化する日常

「コントロールが乱れてきたぞ! あと打者三人、ここまできたら狙えんだろ!」


 口元を覆い隠したキャッチャーミットから叱咤する声が発せられる。


「わかってますよ! わざわざマウンド上まで来なくて良いっすよ。全然動揺してないっす。ほら、早く戻って下さいよ」


 そう不満げに答えるかずに、


「お前、ホントかわいくないな。先輩の優しさを感じろよ。大体お前はな――」


 説教を始めるマウンド上の捕手。


「まぁまぁ、和を信じてやろうじゃないか」

「そうそう。説教してる場合じゃないだろ。早く散らないと、審判に睨まれるぞ」

「審判より、監督のほうが睨んでんだけど……」


 口々に周りの選手はそう言いながら、リラックスしている様子だ。


「お前らは和に甘いんだよ。今まで俺がどんなに苦労してきたか」


 和の相方である捕手が苦い顔をしてうなだれる。


「そもそも先輩たちが、もう少し点を獲ってくれれば良かったんですよ。俺たち京和ってこんなに打線が弱かったでしたっけ?」

「今の発言は、強豪京和に入ってエースピッチャーを一年で張るお前だから許される発言だからな。まったく……」


 和の発言に皆呆れ顔をしている。


 ――舞台は夏真っ盛りの甲子園。

 全国高等学校野球選手権の決勝戦九回裏ノーアウト一塁、スコアは1―0。そして、相手のスコアボードのH欄は0。この状況に甲子園内は熱狂に包まれている。


「ここでノーヒットノーラン達成しちゃうと、俺も歴史に名を残せますね。俺、記録にも記憶にも両方残る選手になりたかったんですよ」


 照れながら言う和に、捕手はミットで頭を小突く。


「アホ。そういうことは死亡フラグになっちまうんだよ。――ったく、ほかのみんなも、いつも通りやれば良いんだからな! 皆、練習を思い出せ!」


 捕手の声にその場にいる全員がしかめっ面をする。


「うっ……」


 和がグローブ越しに鈍い声を出す。


「おいおい、大丈夫か……」

「ちょっと、マジ勘弁してくださいよ。練習思い出して吐くところでしたよ」

「その様子だと大丈夫だな! よし、皆あとアウト三つ、行くぞ!」


 そう締めてみんな苦笑しながら散って行く。


「ったく、あの人は……」


 そう呟く和の口元は緩んでいた。


 ――審判の合図で試合が再開される。

 照りつける太陽、試合の再開に沸く観客。その光景の中、和は硬式球の縫い目にしっかりと指をかけて、セットポジションから第一球を投げた――


* * *


 ピピピピピッ、と無機質な音が部屋に鳴り響く。


「ううっ~~」


 覚醒していない頭のまま発信元に手を伸ばして、目覚まし時計を止める。

 いつも目覚めはあまり良くない和だが、今日はその中でも特に悪い。

 窓からはカーテン越しに日光が降りそそぎ、小鳥のさえずりが耳に聞こえる。今日も快晴だなと思いつつ、カーテンを開けると外には十数人の報道陣が遠巻きに集まっている。それを見た和は重い気分のところ、さらに気が滅入った。

 玄関前には二人の自衛隊員が直立不動で立っており、家の横付けに車両がまだ止まっている。


「はぁ~、学校行きたくねー」


 大きな溜息を吐きながら、登校準備に入る和だった。


「おはよう、お兄ちゃん」


 登校準備を終えて食卓に顔を出すと、元気一杯春爛漫げんきいっぱいはるらんまんで挨拶をしてくる和泉いずみ。目の前の妹の笑顔で少しだけ気分が軽くなる。

 テーブルには二人分の食事が用意されていた。白米、味噌汁、焼き魚、玉子焼き、といったいつもの和食が並んでいる。ちなみに、堺家の朝は和と和泉が一緒に先に食べて、母と和歌、香はそれぞれ別時間帯で食べる。昔は母が作っていたが、和泉が高校に入学してからは二人の食事は和泉に任せるようになってしまっていた。


「おはよう。和泉、外見たか?」

「うん……。今日は一緒に登校しないほうがいいよね?」


 少し声のトーンを落として和泉は聞く。


「一緒に出るとさすがにな……。俺が先に家を出るわ」

「そっか、しょうがないね……。――とりあえずご飯食べよっか」


 和泉は気を取り戻して席に座った。


「そうだな。おっ! 今日も和泉の手料理は上手そうだな」


 和は出来るだけ場が暗くならないように、いつもの調子で席に着いた。

 そのまま二人で朝食を取っていると、不意に和泉が遠慮がちに言う。


「……お兄ちゃん、無理しないでね。いつでも私を頼ってね。もちろん、お母さんや和歌お姉ちゃん、香お姉ちゃんもみんな、いつでもお兄ちゃんの味方だよ」


 その言葉に和は朝食から目を離して和泉のほうを見る。すると和泉の目尻に少し光るものが見えた。


「ば~か、何言ってんだよ。俺が頼るんじゃなくて、お前が俺を頼るんだよ! な~に、時間が経てばまたいつも通りの日常に戻るよ。心配すんな」

「そ、そうだね。すぐ戻るよね」


 和は和泉を心配させないように明るく言って、ご飯を掻き込んだ。

「ほら、おかわり」

「もう、お兄ちゃんってば……。そんなに急いで食べると喉につまるよ」


 そう言って目尻を拭って、和泉はご飯をよそう。その表情にはいくばくかの笑顔が戻っていた。

 二人が食事を再開して間もなくピンポーン、とチャイムが鳴った。


「誰だよ? こんな朝に……。今行きますよっと」


 食事を中断して玄関に向かう和を和泉は不安そうな表情で見送った。


「はいどなたですか?」

「は~い、ども~。今日から私が君を護衛します、千歳百紀ちとせゆきって言います。宜しく~」


 そう言って、満面の笑みでVサインする女性。髪は亜麻色のショートパーマ、顔のパーツもそれぞれが整っている。雰囲気も明るめでぱっと見て女子大生に見える。格好は昨夜の直と同じ黒の服装だが彼女と比べて、目の前の女性の態度と口調はまるで違う。


「…………」


 とりあえず和は目の前の状況を確認した後にそっと玄関のドアを閉めようとする。

 だが、ガッ、と足と手を入れて新聞の勧誘員と同じ行動を取る百紀。百紀の口元が少しヒクついている。


「ちょっと、ちょっと! それはないんじゃない~。話ぐらい聞いてよ!」

「すみません。新聞は間に合ってますんで、お引き取り下さい」


 目を細めてドアを閉める手に力を入れる和。


「何言ってんのよ。護衛よ、護衛~。護衛するから開けなさい!」

「ちょっ! そんな顔を無理やり入れられると怖いって!」

「だって、本気で閉めようとしてるでしょ君! ――わかった! わかったわよ。ちゃんとするから!」


 必死の形相の百紀に仕方なしにドアを開放する。


「もう、冗談が通じないんだから……」


 唇を尖らせながら百紀はぶつぶつと文句を言う。


「ホントに護衛してくれる人ですか?」


 目の前に女性に疑惑の目を向ける和。


「ホントよ! まったく失礼しちゃうわね~。私も『レグルス』の一員よ」

「レグルス?」


 聞きなれない単語に思わず復唱してしまう。


「あ、まだちゃんとした説明を受けてないんだ? 私から説明してもいいんだけど、時間喰っちゃうし後で直から説明あるでしょ。――そうそう、ちなみに直は私の妹だからね」


 姉妹? そう考えると目元が似ているな、と和がそんなことを考える。

 そこで百紀は眉をキリッと上げて睨んでくる。


「ちょっと今私たちのこと似てないと思ったでしょ? 直の方がかわいいと思ったでしょ? 付き合うなら直の方だなとか考えたでしょ? 大体会う人会う人みんな同じこと言うのよ! 『直の方が美人だ』、『直の方がお淑やかだ』、『妹さんの番号教えてくれよ』、『妹さんも胸でかいの?』、ふざけんじゃないわよ! そもそも男なんてね――」


 被害妄想ひがいもうそうに取り付かれたかのように喚き出す百紀。体からは黒いオーラが出ているようにも見える。


「いや、そんなこと全然思ってないですって! むしろ二人共――」

「お兄ちゃん、大丈夫?」


 なかなか戻って来ない和を心配したのか、和泉がひょっこりと顔を出す。そのとき、和は本能的にこの人の前に和泉を出しちゃいけない気がしたのだが、時すでに遅かった。


「きゃー、かわいい。あなたが和泉ちゃん? よろしくね~。私、千歳百紀っていうの。今度から百紀お姉ちゃんって呼んでね」


 先程までの黒いオーラは飛散して、百紀はいつのまにか和泉の前まで行き、自分の胸に和泉の顔を押し付けた。もちろん、きちんと靴は脱いである。


「え? ちょっと、お、お兄ちゃん助け、むぎゅうー」


 その豊満な胸に和泉は抵抗むなしく、なすがままにされる。


「ちょっと、千歳さん! 和泉から離れて!」


 百紀から和泉を引き剥がそうと和は間に入ったが、見た目とは裏腹に力強くて中々引き離すことが出来ない。


「和泉ちゃん、かわいいね~。資料見たときから思ってたの~。直と妹交換するー。今日から私の妹ね。はい、決定!」


 そうして和泉に抱きつく百紀は非常に満足げであった。



「いや~、ごめんね~。興奮しちゃった。私、昔からかわいいものには興味が尽きないの」


 リビングのソファーに座って悪びれた様子もなく言う百紀。


「「…………」」


 和と和泉は静かに食事を再開する。


「いや~、でもこれ見て! どのチャンネルも君の話題で持ちきりよ。ほらほら、自宅前だって!」


 そう言ってテレビを指差す百紀。


「「…………」」


「こんなに集まっちゃって。まったく、司令が突拍子もないことするから。こりゃ~和君、登校大変よ」


「「…………」」


「あの~、二人とも? まだ怒ってるの?」


 テレビから視線を外して不安げな目で二人の方へ向き直る。


「ごちそうさま」


 その視線を無視して和は食器を片付けようとする。


「お兄ちゃん、私がやるからいいよ。お兄ちゃんはもう出たほうが良いよ、今日はきっと大変だろうし……」


 和泉は心配そうに上目づかいで言う。

 そんな和泉の様子にリビングから明るい声が聞こえる。


「大丈夫だって、和泉ちゃん! 私が和君を守るから。こう見えても、そんじゃそこらの奴には負けないんだから!」


 そう言って両手を挙げて自信満々なポーズを取っている。


「「…………」」


 二人はその様子に冷たい視線を送り返すだけだった。


「じゃあ、いってくるー」

「うん、いってらっしゃーい」

「和泉ちゃん、いってきまーす!」


 洗い場で食器を洗っている和泉に声をかけて、そのまま和は出ようとする。しかし、玄関のドアノブに手を伸ばしたところでそれは止められた。


「和君、ここからは真面目にいきましょうか」


 さっきまでとは打って変わって真面目な表情だ。


「俺、ずっと真面目なんですけど……」


 そんな和の返答に百紀はいささか困った様子になり、


「ごめんなさい……」


 今までの行動に反省したのか百紀はしゅんとする。


「はぁ~、もういいですよ。改めてお願いします、千歳さん」

「うん。――あ、直と区別がつかないから百紀でいいわよ。ごめんね、ちょっとおふざけが過ぎたわね。これから宜しくね」


 照れた様子で和に手を差し出す。

 差し出された手を和はしっかりと掴む。その際、お互いに真っ直ぐ見つめ合う形になった。


「な、何か照れるね、てへへ」


 握手が終わった後、百紀は何だかもじもじとする。


「じゃあ、行きますね」


 百紀の様子に反応するとまた時間を喰われると思い、和はドアノブにさっさと手を伸ばした。


「あっと、待って和君。一応確認するわね。学校までは徒歩で十五分。報道陣が殺到するだろうけど何も答える必要はないわ。適当にやり過ごしながら敵意は持たれないようにしましょうね」


 そう言って、最後はウインクで締めくくる百紀であった。


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