『ヒーロー』に指名される日 (前編)
「私、天王寺悟は本日を持って、関東地方のヒーローを引退することに致しました」
テレビの中の短髪でガタイの良い、熟練した顔つきの男性、天王寺悟はそう答えた。
大ニュースである引退会見がテレビを通して始まり、各家庭の食卓に色を添えている。
そう本日二〇十五年五月を持って、関東地方担当のヒーローである天王寺悟が引退する。このことは前々から大きく報道されていたことだ。
『ヒーロー』――四年前からそういうモノが現れ、いつのまにかその名称でよばれる存在になっていた。テレビや新聞などマスコミの影響だろう。警察、消防、救急などあらゆる組織と協力して事件、事故、災害の調査を行い、そして解決する。そんなモノが日本には八人いる。
その八人は地方毎に分かれてそれぞれ活動している。
二〇一五年、日本は徐々に貧富の差が広がり始めて、犯罪も増加傾向となっている。そんな中、ヒーローは強化外骨格(通称 武装攻殻)を装備してあらゆる局面で活躍している。
この武装攻殻が誰にでも装備できるかといえばそうでもない。
詳しいことは世間には発表されていないが日本所有の物であり、また海外との摩擦を生まないために二〇一一年に国際攻殻条約で海外使用は禁止とされている。
そして、そのヒーローの一人である天王寺悟が引退する。ただの引退ということならばこれほど大きな騒ぎになってはいないだろう。
なぜなら本来ヒーローは正体を現さない。事実、全国にいる他のヒーローが誰かなど一般人は知らない。まして、ヒーローの引退など前代未聞である。
この天王寺悟は一ヶ月前に突如メディアの前で自分の正体を明かした。そのときのメディアの過熱ぶりは相当なものであった。
そうして正体を現した悟がすぐに引退するということは、何かしら重大な発表が再度あるのではないだろうかとますますメディアを賑わした。
「母さん、おかわり」
堺和がからっぽになった茶碗を母親に差し出した。この少年、自分で染めたのだろうか髪は少し黒色が見えるが全体的に茶色のショートぎみとなっており、目も鼻も整っている。外見は良いか悪いかと言えば良い方に入るだろう。幼さと逞しさが微妙に入り混じった十七歳の少年である。
「はぁ、天王寺さん引退しちゃうんだ。残念、お母さんファンだったのに……」
大きな嘆息を交えながら呟く少年の母親、知恵。その知恵に対して呆れた声が飛ぶ。
「ファン? この人、正体明かしたの一ヶ月前じゃん。確かに大ニュースになったけど、一ヶ月でファンとか……。お母さん、ミーハーすぎ。死んだ父さんが浮かばれないよ」
そう答えながら、さほど興味なさげに携帯をいじっている和の姉――和歌。茶髪で肩から少し下までの髪をトップで束ねてお団子ヘアにしており、顔立ちは目元ぱっちりの小顔である。
「和歌、行儀悪い。食事中は携帯を操作するのやめて」
和歌を注意しながら、行儀良くご飯を食べるもう一人の姉――香。こちらは腰まで伸ばしている黒髪ロングヘアー。容貌も端正といえる女性。
こちらの二人の女性は二卵性双生児であり現在二十歳。同じ環境で育ったが、和歌はいつも騒がしく、香は冷静沈着と性格は対称的だ。
「……母さん、おかわりー」
和の手にはまだ茶碗の重さが感じられている。先程から母に差し出したままの状態である。
その茶碗の重さが手から失われる。ひょいっと、横から取られたせいだ。
「はい、お兄ちゃん、ご飯」
母の代わりにおかわりのご飯をよそい茶碗を返す妹――和泉。昔から二人の姉より和に懐いていた少女。今年で十六歳。黒髪をショートボブにしており、容姿は若干垢抜けてはいないものの後三、四年経てば二人の姉に負けない麗しい女性になるだろう。
「サンキュー、和泉。――どうせマスコミがいろいろ嗅ぎまわって嫌になったんだろう? そもそも正体なんて明かさず、ひっそりと他の人にバトンタッチすればいいんだよ。ヒーローなんて現れて四年だけど、正体晒した人なんてこの人以外に誰もいないじゃん」
「あんたたち、ちょっとうるさいわよ! 最後まで天王寺さんの言葉を静かに一言一句聞き逃さないようにね」
そう言って、知恵はテレビから目を離さない。
そんな知恵を尻目に、和歌が携帯をコネコネ弄りながら別の話題を持ちかける。
「ところで和、そろそろ将来の進路とか決めた? 野球が出来ないんだから、せめて進学するか就職するかぐらいは決めといた方がいいわよ、もう高三なんだし。日々無気力に過ごしていても時間の無駄よ」
その言葉に瞬時に香と和泉が反応する。
「和歌!」
「和歌お姉ちゃん!」
香と和泉がキッと和歌を睨み付ける。
「……なによ。私は和の為を思って言っているんだからね! ずっと昔のこと引きずるのも我が家らしくないし。それに和もようやく立ち直って来ているんだし。そろそろ新しい夢を持った方が和の為よ。人間目標がないと堕落の一途を辿るばかりよ」
「でも和にそう言うのは少し早いわ。もう少し気持ちの整理が必要よ。立ち直ったといっても、まだそんなに時間は経ってはいないのだから。……それに何だったら私がずっと和の面倒を見るわ」
「ちょっと! 何どさくさに紛れて言っているの? 私が面倒みるわよ」
二人の言い合いが違う方へと過熱していく。
「はぁ、また始まったよ。昔からすぐ俺のことをおもちゃのように扱うんだから……。ったく」
和は溜息を吐いて、ご飯を口に入れる。
「もう! お姉ちゃんたちはまたそうやって揉めるんだから」
和泉も二人の姉の様子を見て頬っぺたを膨らます。
しばらく姉達の争いを見ていた和だが、
(そろそろ止めるか、そうしないと本気でケンカし出すからなこの二人)
と二人の会話がキリの良い所で口を出す和。
「ちょっと二人共、ストップ! 二人が心配してくれることは凄くうれしいんだけど、正直まだ自分のやりたいことが見つからないんだ。そもそも何でいつもケンカし出すんだよ?」
「う、うるさいわね。わかったわよ、でも和は何かに一生懸命になっている姿が一番似合うからね。……あと、ごめん」
最後に小さく呟く和歌。
「いや、別に謝ってくれなくても良いから。俺の質問に答えて欲しいんだけど……」
和はそう返して二人を見る。
「昔からこうなのだから和は気にする必要はないわよ。それより私からも質問なのだけど、新しい学校には慣れたかしら。可愛い子はいるの? まさか彼女とか出来ていないわよね。出来たらすぐに言うのよ」
香がまくし立てるように話す。
その言葉に和歌も和泉もうんうんとなぜか頷いている。
三人の様子を不思議に思いながら和は答える。
「学校には慣れたよ。クラスのみんなも良い奴ばっかりで。後、彼女とか出来ても姉さん達には絶対に言わねえ。……何か怖えから」
最後の方をボソッと小声で呟く和。
「和~、あんたホント最近生意気よね」
和歌は顔を引くつかせて和を細目で見ている。
「…………」
香は和の返答に無言で食事を再開するが不機嫌そうだ。
「もう! お兄ちゃんったら」
和泉も不満げだ。
こうして何だかんだと堺家の食事はいつも通りに進んでいく。そんな中、知恵が熱中して見ているテレビでは、引退会見が終盤に差し掛かろうとしていた。
「みなさまの中には、『なぜ正体を明かして、一ヶ月で引退するのか?』、『なぜこんな引退会見を行うのか?』など疑問に思っていらっしゃる方が大勢いることは重々承知です。ヒーローは正体を明かさずそのまま後継者に黙って引き継ぐことが正解でしょう。しかし、私はそうはしたくなかった。なぜなら、次の後継者には正体を明かしてから活動してもらおうと考えております。その為に、私も正体を明かして一ヶ月という短い期間ですが、活動して参りました」
記者たちがざわついているのがテレビを通して伝わってくる。
「今から私の後を継ぐ者をここで発表させて頂きたいと思います」
その瞬間、フラッシュが大量に焚かれ、記者のどよめきも大きくなる。
「おいおい、マジかよ。次のヒーローは大変だな。テレビ局のいいターゲットじゃん。でも打ち合わせどおりなんだろうな」
適度な温度のお茶に口をつけて和は冷めた目でテレビを見つめる。
「そりゃそうでしょ~。こんなの台本よ、台本。世間の注目を集める為にやってるに決まってんでしょ」
和歌も和と同様な態度でテレビを見ている。
「そうね。これで発表された人が出てきて所信表明をして終わりでしょうね。でも、視聴率は高いと思うわ」
香は淡々とご飯を食べている。
「誰かな? ドキドキしてきちゃった。私の知ってる人かな~?」
和泉は胸の前で手を合わせている。
「どうせ、警察とか自衛隊とかそっち関係の人だから、俺らが知ってるわけないじゃん。ねぇ、母さん?」
母に話を振る和だが、何も反応が返って来ずにうな垂れる。
(さっきから俺に冷たくない? 母さん。何かしたっけ? 俺)
母は相変わらず画面に釘付けだ。本当に一言一句聞き逃さないようにしている。
だが、次のテレビから流れた音声によって、堺家の食卓の時が止まることになった。
「二代目、関東地方のヒーローは、開名高等学校に所属している堺和君です」
画面上の悟がはっきりと断言する。
「本日はこのことを告げたかった。詳しいことはまた後日に。それではみなさん、失礼します」
爆弾発言を残して悟は退出する。それに群がる記者たちで現場は正に大混乱だ。
食卓にはテレビから流れる無機質な音だけが響いている。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
誰も口を開く者はおらず、和歌、香、和、和泉の四人は驚きからか、テレビから目が離せずにいた。そして、先程までテレビに釘付けだった知恵だけがテレビから視線を外し、ズズッとお茶をすすり、ほっと息を吐く。
しばらくして食卓の時が動き出す。
「……これは一体どういうことだよ!」
和は立ち上がり、抗議の声を上げる。
「どういうことも何もテレビで言ってた通りよ」
母が和の顔を見てあっさりと答える。
「はあ? おかしいだろ、これ! そもそもなんで母さんは驚いてないんだよ!」
和歌も和泉も口を半開きにして絶句している。香もぶつぶつと何か小言を繰り返している。
「だって、母さん事前に知っていたもの。まぁ、落ち着きなさいよ」
そう言って、知恵はにこやかな表情を和に向ける。
「これが落ち着けるか! 俺がヒーロー? なんでいきなりテレビで名指しされなきゃいけないんだよ。マジ勘弁してくれ……。明日から外歩けねぇし、学校行けねぇよ」
「ダメよ。学校休むのは許さないわよ。あきらめなさい。和歌、香、和泉も早く食べないと、ご飯冷めちゃうわよ」
それ以上特に何も言うことがないのか、知恵は食事を再開した。他の家族からしてみれば無責任に映っていることだろう。
その後、すっかり食欲がなくなった和は食卓を離れてリビングでテレビを見始めた。どのチャンネルもさっきの話題でもちきりだ。早いところなどでは和の顔写真が映し出されている。その光景に何か思うところがあるのだろうか、和の顔と心中は今や暗黒面に陥ろうとしていた。
また先程まで自宅の電話が鳴り響いて和の携帯も着信音が絶えなかった。しかし知恵が自宅の電話線を抜いて和だけでなく姉妹の携帯も没収して電源を切った。
知恵曰く、「しょうがないじゃない。こう言われているんだから」だそうだ。
(何がしょうがないだよ。そもそも誰に言われてんだよ。まずそいつを俺の前に連れて来い)
一人心の中で愚痴る和であった。