お嬢さま初体験
お父様がおっしゃっておりました。
「西園寺家の人間たるもの、つねに本物を知らなくてはならない」と。
申し遅れました。わたくし、西園寺ゆかりと申します。
好きなことは、ぼーっとすることと、美味しいものを食べることです。
さて今回は、ぼーっとすることです。
わたくし、気づいたのです。これまでずっと、自室や移動中の車の中で、ぼーっとしておりましたが、西園寺家の掟を守るのならば、ぼーっとすることも極めないといけません。
しかしながら、ぼーっとすることの本物とはなんでしょう?
セバスチャンに聞いたら、こう申しました。
「そうですね。私の場合、よくネットカフェに行きますね。こう広い屋敷にお仕えしているので、気分転換に、狭いところでゆっくりするのもいいものですよ」
ネットカフェ。
恥ずかしながらわたくし、ネットカフェに行ったことはございません。
ただ、近頃インターネットにはまっております。
ようやく履歴の消し方とF4キーとF5キーの使い方を覚えた所です。アップローダーの、ダウンロードキーはサイト別に暗記いたしております。
なるほど。興味ございます。
翌日。わたくしはセバスチャンに教わったネットカフェに出向きました。
見上げるほどの、おっきなビルでございます。総面積にしたら、西園寺家の別邸より少し広いぐらいでしょうか。 ――と思ったら、ネットカフェとは、このビルの一室のようです。
エレベーターで昇り、店内に足を踏み入れました。暗く退廃的な印象を受けます。
少々怪しげな雰囲気でございますね。これでわたくしも大人の仲間入りでしょうか。
「いらっしゃいませ」
店員の方が声をかけてくれます。フレンドリーで少しほっといたしました。
「お時間はお決まりでしょうか」
どうやら、ぼーっとするのにも、制限時間があるようです。世知辛い世の中です。
「それでは、いちばん長いのでお願いします」
のんびりするのが目的ですので、時間はたっぷり使わさせていただきます。
「かしこまりました。では、24時間パックでお取りします。お席はいかがしましょうか」
「ファーストクラスでお願いします」
「……は?」
あ、いけません。ネットカフェの場合、勝手が違うようです。
説明をしていただき、靴を脱いで入れるフラット席をお願いいたしました。ふらっとと言う響きがお気に入りです。
店員さんに教えていただいたお席に着いて、驚きました。
これはなんでしょう。
クローゼットどころか、わたくしのベッドより小さいのです。
果たしてこのようなところで、くつろげるのでしょうか。
…………
しかしなんでしょう。お席に上がりますと、妙に落ち着きます。
あら?
ふと気付きました。
お席にクッションが二つございます。
これはもしや――男女のいかがわしい行為をするためのものなのでしょうか。
そういえば靴がふた組置かれているお席もございました。ペア料金というのも設定されておりました。
わたくしは、背もたれ側の壁に耳を当てて、隣室の様子を聞き耳をいたしました。
静かでございます。
しばらくしていびきが聞こえました。どうやら熟睡しているようですね。
入口奥の壁に耳を当てます。
なにやら激しくキーボードをたたく音がします。なにかいやなことがあったのでしょうか。
次にパソコン側の壁に耳を当てます。
パソコンや机が邪魔で、上手く耳がくっつきませんが、怪しげな音が聞こえます。なにをされているのでしょうか……
ごくりと、つばを飲み込んで気づきました。
そういえば、カフェですのに、コーヒーや紅茶が用意されておりませんね。
店員さんが注文を取りに来る感じもございません。
仕方ないので、少しで歩いてみることにいたします。
迷路のような狭い通路を歩いておりましたら、ジュースの自販機を発見しました。
なるほど、セルフサービスのようです。これは、硬貨の出番ですね!
やはりカードや福沢はどうも味気なくてなりません。硬貨の質量感が良いのです。
お財布から百円玉を取り出します。キラキラ輝いていて、とっても綺麗です。 さて投入と思ったら、硬貨の投入口にテープが貼ってありまして、入れられません。
…………
誰でしょうこのように卑怯な犯罪を犯す輩は食べ物の恨みは恐ろしいということを骨の髄まで仕込まないといけないようです親や学校から何を学んだのでしょう低俗な塵の分際のくせに何とも巧妙かつ狡猾な仕掛けがマジむかつきますこのような大罪にはソレ相応の対価を断固要求いたしますこれが要因で第三次世界大戦が勃発してもわたくしは後悔いたしませんただ美味しいものを頂けなくなるのは一大事……
「ああ、これは全部無料なんですよ」
百円玉を握りしめて呆然と立ち尽くしているわたくしを見かけて、店員さんが教えてくださいました。
まぁ無料。なんと心地よい響きなのでしょう。
お金を入れなくても、ボタンを押すだけでドリンクが出てくるそうです。テープは間違ってお金を投入しないための措置のようでした。お客様のことを考えた素晴らしい対応でございます。
しかしながら……わたくしは自販機を前に圧倒されました。
西園寺家の人間たるもの、据え膳は戴かねばならないのです。
お店に無料サービスをして頂いたからには、これに応えねばなりません。すなわち、全制覇です。
自販機は、四台並んでおりました。
…………
負けました。
完敗です。
三台目までは制覇したのですが、四台目は無理でした。 特にあの、同じドリンクが三つも並んでいるのは、販促……いや、反則です。
あ、今自分でちょっと面白いことを思いついてしまいましたと思いました。
ああ、でもなんでしょう。今ならとっても心地よく眠れそうな気がいたします。
…………
尿意を催して目覚めました。
時間を確認いたしますと、ちょうど12時間ほど眠っていたようです。頭がすっきりいたしました。
おトイレ帰りに、店内を探検してみました。
こちらは禁煙席のようです。
値上がりしたのにおタバコをお吸い続けていらっしゃるので、きっと裕福な方々なのでし――
……嫌なものを見てしまいました。
いいえ、見ておりません。幻です。仮に実体だとしても、向こうに並んでいるのは、喫煙される方専用の自販機なのです。そうに決まっております。よって、全制覇の対象外なのです。
あわててその場から立ち去りますと、興味深いものを発見いたしました。
まあ、「ネットカフェ」なのに、漫画が置いてあります。
品ぞろえは、わたくしの家と大差ございません。しかしなぜでしょう。家の書庫で放置されているのと同じ本ですのに、ここだと不思議と読みたくなってしまいます。
とりあえず、持てるだけお席に持ち帰りました。
読み漁っておりますと、知らぬうちに時間が経ってしまいました。
なんてことでしょう。残り時間は、あと1時間半しかございません!
わたくしは、急いで漫画本を棚に戻しました。それから残り30分。全力でぼーっといたしました。
そして――24時間パックが終了となったのです。
無念です。
せっかくのネットカフェを、存分に堪能できませんでした。
是非また来たいと思います。そのときは四台目へのリベンジも果たしてみせましょう。
眩しい外の光を浴びながらわたくしは思いました。
……そういえば、ネットカフェの本場は、どこになるのでしょう?