第16話:相互認証(ハンドシェイク)と密着プロトコル
前回の第15話では、教団の徹底した管理社会の象徴である「聖別身分証(ホーリー・ID)」の壁に阻まれたシンとリィルを描きました。
IDを持たない二人は宿に泊まることもできず、廃棄された魔導バスをセーフハウスとして、一つのコートに二人で包まり体温を分け合う「物理的なクラスタリング」で凍える夜を越えました。
今回の第16話では、いよいよ帝都のメイン・ゲートを突破するための偽装工作が本格始動します。単独の偽造IDでは弾かれるという強固なファイアウォールに対し、シンが導き出した最適解は「ペア・アカウント(夫婦ID)」の構築でした。
そのためには、二人の心拍、体温、魔力波長を完全に一致させる「相互認証」が必要となります。極限状態で行われる、二人の「強制同期」の行方をどうぞ見守ってください。
廃棄された魔導バスのひび割れた窓から、白み始めた朝の光が差し込んでいた。
冷たい鉄の箱の中、俺は一定のリズムで上下する小さな重みを感じて目を覚ました。
「……すぅ、すぅ……」
俺の長コートの中で、リィルが俺の胸板にすっかり顔を埋め、子猫のように丸まって「スリープモード」に入っていた。昨夜は寒さと緊張で身を強張らせていたが、今は俺の体温を完全に自分のものとして取り込み、安心しきった寝顔を見せている。
「……深い階層まで落ちているな。よほどシステムが疲弊していたらしい」
俺は彼女を起こさないよう、慎重に腕を抜き、コートの温もりだけを残して身を起こした。
帝都の正門を突破するためには、今のうちに「身分証(ID)」の偽装工作を完成させておかなければならない。
俺はバスの運転席に潜り込み、埃まみれの制御盤を開けた。旧式の通信モジュールを引きずり出し、自分の端末と物理ケーブルで接続する。
「よし。教団のネットワーク基盤は、古い規格のままだ。このモジュールの認証キーを書き換えれば、一時的な『聖別身分証』は作れる」
画面に緑色の文字列が滝のように流れ落ちる。俺は慣れた手つきで教団のセキュリティホールを突き、偽の住人データを構築し始めた。
だが、書き込みの最終段階で、赤いエラーメッセージがポップアップした。
『警告:帝都第一居住区へのアクセスには、ペア・アカウント(夫婦ID)の生体同期ログが必要です』
「……なるほど。単独の偽装IDでは、入り口の強固なファイアウォールに弾かれるわけか」
「……んんっ。監督、なにしてるの……?」
目を擦りながら、リィルが寝ぼけ眼で身を起こした。はだけたコートから、無防備な白い肩と、乱れた銀色の髪が覗く。
「おはよう、アシスタント。厄介な仕様変更が入ったぞ」
俺は端末の画面を彼女に向けた。
「帝都の正門を抜けるには、『愛し合う夫婦』としてシステムに認識される必要がある。それも、単なる書類上のデータじゃない。二人の心拍数、体温、そして魔力の波長が、常に一定の距離内で『同期』していることを証明する生体ログが必要だ」
「……ど、同期って、つまり……?」
「手を繋ぐ程度の通信帯域じゃ足りない。完全にゼロ距離で密着し、互いの生体情報を共鳴させる『相互認証』のプロセスだ。……今からテストを行う」
「えっ!? ちょ、ちょっと待って心の準備が――」
有無を言わさず、俺はリィルの手首を掴み、再び俺の膝の上へと引き寄せた。
「きゃっ!」と短い悲鳴を上げたリィルの背中に腕を回し、彼女の華奢な身体を俺の胸にぴったりと押し付ける。
「暴れるな、パケット(情報)が欠損する。俺の呼吸に合わせろ」
「む、無理よっ……! 近い、近すぎるってば……っ!」
リィルの顔は真っ赤に茹で上がり、その胸の奥底で早鐘のように打つ心音が、重なり合った俺の胸板を通してダイレクトに伝わってくる。
俺は彼女の首筋――翼の付け根にある魔力結節点に、そっと指先を這わせた。
「ひゃうっ……!?」
「魔力の波長を合わせる。お前の回路に、俺の識別信号を流し込むぞ。……同調率、現在45パーセント。足りないな」
俺はさらに腕の力を強め、リィルの耳元に顔を寄せた。彼女の甘い吐息と、微かに震える体温が俺の理性をノックするが、あくまで俺は「エンジニア」として冷徹にシステムを構築しなければならない。
「これ、ただのテスト……仕事、仕事だから……っ」
リィルはギュッと目を閉じ、自分に言い聞かせるように震える声で呟いていた。
――その時、バスの外から「ザクッ、ザクッ」と複数の重い足音が近づいてきた。
『おい、この廃棄ブロック、微弱だが不正なマナの波形が出てるぞ。中を確認しろ』
宿場町を巡回する、教団の衛兵だ。
リィルの肩がビクッと跳ねる。
「……息を止めろ。完全に同期させるぞ」
俺はリィルを錆びついた車体の壁に押し付け、自分の体で彼女を完全に覆い隠すように覆い被さった。
バインッ、と彼女の柔らかい胸が俺の胸板に強く押し潰される。
「……っ!」
声を出せないリィルが、抗議するように俺の背中に爪を立てた。
だが、その極限の緊張感と、俺の体温による強制的な包み込みが、結果として二人の魔力循環を急激に加速させた。
『同調率、98パーセントを突破。ペア・アカウントの認証を完了しました』
端末の画面が緑色に光り、偽造IDの生成が完了する。
同時に、バスの錆びたドアが外から力任せに開けられ、鋭い魔導灯の光が車内を舐めるように照らし出した。
『……ん? おかしいな。スキャナーには、上層居住区の「登録済み夫婦」の生体シグナルしか映っていない。不正アクセスじゃなかったのか?』
『スキャナーの乱反射だろう。こんな鉄屑の中に、まともな市民がいるはずがない。行くぞ』
バタン、とドアが乱暴に閉められ、足音が遠ざかっていく。
完全に気配が消えたのを確認し、俺はゆっくりと身体を離した。
「……認証バイパス成功だ。見事な同期だったぞ、リィル」
「はぁっ……はぁっ……! あ、あんたって人は……っ!」
リィルは顔を真っ赤にして息を乱し、涙目で俺の胸をバシバシと叩いた。
「いきなりくっついたり、耳元で喋ったり……! 心臓が、エラー起こして破裂するかと思ったじゃない……っ!」
「すまん。だが、これで帝都の正門を抜ける『鍵』は完成した」
俺は生成された銀色のIDプレートを指先で弾き、リィルに見せた。
「明日はいよいよ本番だ。この密着状態のまま、何食わぬ顔で帝都のゲートを歩いて通るぞ」
「……うぅ、最悪。あんたのせいで、私の寿命(耐久値)は絶対に縮んでるわ……」
恨めしそうに俺を睨むリィルだったが、その瞳の奥には、確かな信頼の光が宿っていた。
鉄屑のバスの中で迎えた朝。俺たちは偽装のIDと、ほんの少しだけ本物に近づいた「熱」を胸に、世界の中心――帝都へと歩みを進める準備を整えたのだった。
第16話をお読みいただきありがとうございました。
今回は、これまでのサバイバルから一歩進み、帝都のシステムを欺くための「偽装夫婦プロトコル」が始動する回となりました。
シンにとっては「パケット欠損を防ぐための密着」に過ぎませんが、リィルにとっては「心臓がエラーを起こす」ほどの過負荷だったようです。
作中で描かれた「同調率98パーセント」という数値は、シンの正確な魔力制御と、リィルの抱いた極限の緊張感が生み出した皮肉な成果と言えるでしょう。
衛兵の目を盗み、鉄屑のバスの中で「登録済み夫婦」として認識された二人は、いよいよ世界の中心へと足を踏み入れます。
次話では、この偽造IDを手に帝都の正門「聖別検問所」へと挑みます。
緊張のデプロイ(本番)を乗り越えた先に待つ、暴力的なまでに旨い帝都グルメ「黄金の焼き小龍包」の描写にもご期待ください。




