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魔族王子に拾われた奴隷少年、魔眼で戦場を支配し世界統一の軍師になる  作者: 久能のの


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豊穣の大地と三つ巴の戦渦 03

 戦闘都市アルカイドの中枢に設けられた軍議場は、分厚い石壁に囲まれた堅牢な空間であった。壁に掛けられた燭台の炎が、かすかな隙間風に揺らめくたび、部屋の中央に鎮座する巨大な作戦机に落ちる将校たちの影が生き物のように蠢く。そこには、来るべき大規模な侵攻戦に向けた、張り詰めたような重苦しい熱気が満ちていた。

 作戦机には、細部まで精緻に描き込まれた大陸全土の地図が広げられている。灯火が揺らめく中、周囲を囲む歴戦の将校たちの視線は、地図上の西方深く、ある一点へと吸い寄せられていた。

 熱狂と殺気を隠そうともしない第三将ファルシオンと、一切の感情を排した氷のような静けさを纏う第七将ラングレー。およそ相反する性質を持つ二人の将軍が並び立つこの軍議は、彼らの放つ圧倒的な存在感に牽引され、まさに開戦前夜の白熱した空気を帯びていた。


「皆も承知の通り、我が軍の最終目標は西の彼方にある」


 軍の頭脳たるラングレーの抑揚のない、しかし静かに響く声が、軍議場の喧騒を冷ややかに撫で斬りにした。彼の中指が色付きの丸眼鏡を静かに押し上げると、長い指先が地図の上を滑るように動く。その指がぴたりと止まったのは、大河の流域に広がる広大な平野部であった。


「オーデンベルク王国。かの国は肥沃な大地と大河の恩恵を一身に受け、人間界において最大の人口と農業生産力を誇る巨大な封建国家だ。そして、今回我々がその心臓部から抉り取るべき絶対の標的が、この地である」


 ラングレーの指先が、こつんとくぐもった音を立てて地図を叩いた。そこには『プレンブルク』と記されている。


「プレンブルク大平原。オーデンベルク王国の中心都市が座する、広大な土地だ」


 ラングレーの言葉を受け、ファルシオンが腕を組みながら野生の獣のような金がかった瞳を細めた。彼のしなやかで強靭な筋肉が微かに躍動し、全身からは早くも血の匂いを求めるような鋭い殺気が立ち昇って、周囲の空気をびりびりと震わせている。


「オーデンベルク王国の穀物生産の約一割を、このプレンブルク一帯が担っているという計算になる。我が国の慢性的な食糧不足を根本から解決するためには、何としてでもこの喉首を食いちぎらねばならない」


 ラングレーは事実のみを淡々と並べ立てた。いかにその土地が戦略的、そして経済的に価値があるかを、感情を一切交えずに論理の刃で切り開いていく。その口調には、自身の導き出した分析結果に対する絶対の自信が裏打ちされていた。


「それに、俺たちにとっては願ってもない舞台じゃねえか」


 ファルシオンが豪快に笑い、鋭い犬歯を覗かせた。彼の声には、狩りを前にした猛獣の歓喜が露骨に混じっていた。


「プレンブルクは遮蔽物のない、見渡す限りの大平原だ。小細工が通用しねえ、真っ向からのぶつかり合いになる。大部分が平原魔族で構成されている俺たちグラン・ヴァルディア軍にとって、平原での戦いは庭を駆け回るようなもんだ。存分に暴れ回って、人間の軍勢を正面から物理的にすり潰してやるには最高の地勢だぜ」


 ファルシオンの好戦的な言葉に、周囲の将校たちもまた、熱を帯びた呼気を漏らした。彼らの脳裏にはすでに、広大な平原を駆け抜け、圧倒的な武力をもって人間の軍勢を蹂躙する自軍の姿が鮮明に描かれているようだった。

 末席でその様子を見つめていたハズラもまた、己の記憶に刻まれた平原魔族の恐るべき機動力を思い返していた。統星の率いる騎兵隊が、首なし馬を駆って風のように戦場を駆け抜けるあの光景。障害物のない平原であれば、彼らの突撃を阻むものは何もない。ファルシオンの言う通り、地形という要素のみを切り取れば、グラン・ヴァルディア軍にとってこれ以上ないほどの有利な盤面であることは疑いようがなかった。


「如何にも。地の利は我々にある」


 ラングレーの言葉は、将校たちの熱狂に冷水を浴びせるように静かに響き渡り、再び軍議場に引き締まった緊張感をもたらす。


「敵軍の指揮を執るのは、オーデンベルク王国の将軍、マクシミリアン・フォン・ローエンシュタインだ」


 抑揚のない低い声が、重厚な石壁に響き渡った。作戦机に広げられた地図の上に視線を落とすことなく、ラングレーの思考の奥底ではすでに膨大な情報が交錯し、緻密な予測が組み立てられているようだった。


「彼らが我が軍に向ける最大の刃は、個々の武勇ではない。その圧倒的な数だ」


 ラングレーの言葉に、軍議場に集う歴戦の将校たちの顔に微かな緊張が走った。オーデンベルク王国が誇る莫大な人口資源から生み出される物量作戦。ハズラは無意識のうちに己の手を強く握りしめ、かつて学んだ魔族と人間の根本的な違いを反芻していた。

 魔族は生まれながらにして強靭な肉体と高い戦闘能力を持つ。個体によっては角や鱗、剛腕といった先天的な武器を備えており、武装がなくとも恐るべき力を発揮する。しかし、その一方で極端に出生率が低く、総人口が少ないという致命的な弱点を抱えていた。一度兵を失えば、それを補充するには人間よりも遥かに長い年月を要する。母数が少ないがゆえに兵士の喪失が国力へ与えるダメージは計り知れない。

 対して人間は、個体としての戦闘力は低く、肉体も脆弱である。武器や防具、そして兵站がなければ戦力を維持することすら難しい。しかし、彼らには魔族を遥かに凌駕する圧倒的な出生率と総人口があった。豊富な資源を背景に、大軍を組織しての物量作戦や人海戦術をためらいなく実行できる。兵の損耗を何よりも嫌うグラン・ヴァルディア王国にとって、削り合いの消耗戦に持ち込まれること自体が致命的なリスクとなり得るのだ。


「そして、その無尽蔵の兵力をさらに厄介なものへと昇華させるのが、オーデンベルクの宮廷魔術師団による集団魔術戦法である」


 淡々と続くラングレーの説明に、ハズラは背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 魔族の身体は、皮膚や鱗そのものが極めて高い魔法耐性を持っている。人間が放つ中級程度の魔法であれば、特別な防具がなくとも無傷で弾き返すことが可能だ。同数の人間相手であれば、多少の被弾を無視して一方的に蹂躙することすらできる。


 しかし、人間の魔術師たちはその個としての脆弱さを、異常なまでの連携技術によって克服してくる。

 百人、千人という単位の術者が意識と魔力を完全に同期させ、一つの巨大な現象を構築する。それは個人の限界を遥かに超えた超高火力を生み出し、魔族が誇る強固な魔法耐性の許容量を強制的に突破して、肉体を消し炭に変えるほどの理不尽な破壊力を持っていた。


「それだけではない。彼らは後方の魔術師部隊から、前線で戦う騎士に対して何十種類にも及ぶ強化魔法を重ね掛けしてくる。筋力増強、反応速度の劇的な上昇、皮膚の硬化、さらには損傷を瞬時に塞ぐ自動治癒。生身の脆弱な人間であっても、魔術師の魔力が供給され続ける限りは、一時的に上位の魔族将軍とも互角に渡り合う疑似的な英雄を作り出す戦術までも有しているのだ」


 脆弱なはずの個を、圧倒的な数とシステムによって強大な軍事力へと編み上げる人間の恐ろしさ。ハズラはその血も涙もない効率的な仕組みに、底知れぬ恐怖を覚えた。個人の武勇に頼るのではなく、軍隊という一つの巨大な装置として機能する人間の戦い方は、ある意味で非常に理にかなっており、だからこそ不気味だった。

 その隣で、軍の最先鋒であるファルシオンは獰猛な笑みをさらに深くし、傍らに立て掛けた無骨な大剣の柄をギリッと強く握り込んでいた。どれほど巨大な数と魔術の壁が立ち塞がろうとも、それを真っ向から物理的に叩き割る闘争の歓喜を想像しているかのように、彼の放つ殺気はますます鋭く研ぎ澄まされていく。

 人間の理知的な集団戦術と、魔族の圧倒的な個の力が正面から激突する。その凄惨な戦局の全貌が、ラングレーの静かな言葉によって軍議の場に容赦なく描き出されていた。


「だが、盤面を完全に支配するためには、まだ考慮すべき不確定要素が存在する」


 ラングレーの抑揚のない低い声が、熱を帯びていた軍議場の空気を一瞬にして氷点下へと引き下げた。彼は中指で静かに丸眼鏡を押し上げると、作戦机に広げられた地図の別の一点へと細い指を滑らせた。

 そこは、豊かな大河の流域とは対極にある、魔族領と接する殺伐とした荒野のフロンティアである。


「今回の侵攻において、最大の懸念事項となるのがこの勢力だ。オーデンベルク王国の同盟国である軍事国家、エイデン・マルク辺境騎士領」


 その名が発せられた瞬間、居並ぶ将校たちの間にぴりっとした緊張が走った。ハズラもまた、戦場の空気を肌で知る観測者として、無意識に呼吸を浅くして次の言葉を待った。

 エイデン・マルク辺境騎士領。そこは、常に魔族との血みどろの戦闘に晒され続けている最前線であり、過酷な環境で生き抜くための実戦主義を極めた特異な軍事国家であった。


「中央の生ぬるい政治を嫌う、野犬の群れのような連中だ」


 ファルシオンが大剣の柄から手を離し、忌々しげに、しかし強者を明確に認めるような荒々しい響きを含ませて鼻を鳴らした。彼の言葉通り、そこは王権や貴族のしがらみを唾棄し、自らの剣と血のみで不毛の土地を切り拓いてきた荒くれ者の騎士や傭兵たちの吹き溜まりである。己の力だけを頼りに領土を築き上げてきた彼らは、自らの居場所と誇りを守り抜くという士気の高さにおいて、オーデンベルクの正規軍とは比較にならないほどの執念を秘めていた。

 ラングレーはファルシオンの言葉を遮ることなく、淡々と事実を積み上げていく。


「彼らを率いる団長、ディートリヒ・ヴァイス。この男が束ねる対魔族戦闘のエキスパート集団の存在は、我々の侵攻計画において致命的な障害となり得る。オーデンベルク王国が我が軍の侵攻を受けた際、彼らがただ静観することはあり得ない。間違いなく、同盟国として、そして我々を狩る連合軍としてこの戦線に参戦してくるだろう」


 魔族の戦術や特性を骨の髄まで熟知し、異常なまでの士気で立ち塞がるエイデン・マルク軍。もし彼らがオーデンベルクの巨大な本陣と完全に合流し、その防衛の一翼を担うことになれば、いかに星辰七将を擁するグラン・ヴァルディア軍といえども、その進軍には計り知れない出血が伴う。平原での決戦において、背後や側面に彼らのような精鋭部隊が展開されれば、戦局は一気に泥沼の様相を呈することになる。

 堅牢な石造りの軍議場に、かつてないほどの深刻な危機感が、冷たい水のように静かに、そして確実に浸透していくのをハズラは肌で感じ取っていた。

 ハズラは静かに目を閉じ、脳裏に戦場の情景を思い描いた。魔眼を持たない今の状態であっても、老執事から叩き込まれた空間把握能力と、紫苑から学んだ大局的な視点が、彼の中で複数の戦線を同時に展開させていく。

 正面には無尽蔵の兵力と超高火力の魔術を誇るオーデンベルクの壁。そして側面には、死を恐れぬ猛犬のようなエイデン・マルクの精鋭たち。この二つの強大な勢力が完璧に連携した時、我が軍はかつてない窮地に立たされる。ならば、どうする。どのようにしてこの絶望的な挟撃を回避し、勝利の道筋を見出すのか。


 ハズラが再び目を開くと、作戦机の向こう側で、ラングレーの眼鏡の奥の瞳が、薄暗い灯火を反射して怪しく光っていた。感情の読めないその表情の裏側で、すでに彼なりの完璧な解答が用意されていることは明白だった。ファルシオンもまた、獰猛な笑みを浮かべたままラングレーの次の言葉を待ち構えている。


 将校たちの息遣いすら聞こえるほどの静寂の中、壁の燭台の炎が爆ぜて、小さくぱちりと音を立てた。

 敵の連合はいかなる手段を用いても阻止しなければならない。それが、この場にいる全員の共通認識であった。グラン・ヴァルディア軍の命運を懸けた、前代未聞の侵攻作戦。その全貌が、今まさにこの石室の中で形作られようとしている。

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