表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔族王子に拾われた奴隷少年、魔眼で戦場を支配し世界統一の軍師になる  作者: 久能のの


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

36/50

閉ざされた森の外交戦 02

 車輪が乾いた土を深く噛み、ガタゴトと小刻みで不規則な揺れを伝えてくる。四頭立ての首なし馬が牽く堅牢な馬車は、グラン・ヴァルディア王国の広大な平野を抜け、東へと真っ直ぐに進路を取っていた。

 窓の外を流れる景色は、王都周辺で見慣れた見晴らしの良いステップ地帯から、徐々にその様相を変えつつある。地平線までどこまでも続いていた青草の海は途切れ、代わって高くそびえ立つ古木が天を覆うように密集し始めていた。目指す先は東の隣国であり、人跡未踏の深い原生林の奥底に位置するエルフの選民国家、ユグドラフである。


 国境に近づくにつれ、空気はひんやりと重い湿気を帯びてきた。肺に吸い込む風には、青々とした苔と、長い年月をかけて堆積した腐葉土の匂いが混じっている。それは、数千年にわたって他種族の侵入を冷たく拒絶し続けてきた、静かで重苦しい原生林の威圧感そのものだった。

 ハズラは揺れる車内で姿勢を正し、窓の外の鬱蒼とした森の景色をじっと見つめていた。彼の膝の上で軽く握られた両手には、無意識のうちに力が入っている。胸中には、出立前に主君である統星から課された重い課題が、暗雲のように渦巻いていた。


『この旅を通じて、ジェベの持つ広い視点を観察しろ。そこから、国家間の力学を見る目を学ぶのだ』


 統星の威厳に満ちた声が、今も耳の奥で反響している。

 ハズラは己の能力である魔眼を駆使し、霧に包まれた谷や分厚い鉄扉の向こう側に潜む敵兵の座標を正確に捉え、戦局を有利に導いてきた自負はあった。視界を遮るあらゆる物理的な障害物を透過し、対象の魂の火を見出すその能力は、間違いなく戦場において無類の強さを発揮する。

 しかし、それはあくまで目の前に提示された局地的な戦場という、極めて限定された盤面の中での話だ。

 国と国とがどのような思惑で動き、この世界という巨大な地図がどのような力学で構成されているのか。物心ついた時から冷たい石床の小屋に鎖で繋がれ、今日一日をどう生き延びるかだけを考えてきた奴隷上がりの彼にとって、それは想像もつかないほど遥かに高い視座だった。


 自分はまだ、本当の意味で世界を知らない。統星の描く「魔界と人間界すべての統一」という途方もない覇業を真に支えるためには、ただ物理的な遮蔽物の向こう側を見るだけの力では足りないのだ。戦局の有利不利だけでなく、その戦いが国家に何をもたらし、歴史のうねりの中でどう位置づけられるのかを理解する深い知性が不可欠である。己の無力さと、主君から寄せられた途方もない期待の重さに、ハズラは気圧されるように唇を強く噛み締めた。


 そんなハズラの固い緊張をよそに、向かいの席に座るジェベは、乾草色のくせっ毛を揺らしながら実に飄々とした様子でくつろいでいた。

 古くから馬と共に生きてきたという伝説的な遊牧種族、古騎族の若き将。一見すると少年とも少女ともつかない中性的な容姿で、常に眠たげに半眼を開けている彼は、この堅苦しい外交の旅にあっても全く気負った様子がない。窓から入り込む風の向きを確かめるように時折指先を舐め、空を流れる雲の形や、梢を揺らす大気の微かな動きをぼんやりと眺めている。

 ハズラはジェベから目を逸らさず、その一挙手一投足を観察し続けていた。彼がどのように世界を見渡し、風の流れから何を感じ取っているのか、少しでもその感覚を盗み取らなければならない。


 やがて、地理の把握と天候予測に長けたジェベは、風の音を聞くのに飽きたのか、ふと思いついたように手元の荷物をごそごそと漁り始めた。


「そんなに肩を張らなくてもいいよ、ハズラくん」


 ジェベは飄々とした笑みを浮かべ、バサリと音を立てて一枚の大きな地図を膝の上、そしてハズラとの間にある小さな机の上へと広げた。

 年季の入った分厚い羊皮紙に描かれた大陸の図面には、各国の領土や複雑な地形が極めて精緻に書き込まれていた。使い込まれたインクの微かな匂いと、古い紙の埃っぽい匂いが、馬車の中に漂う。


「……とはいえ、ただの親善旅行気分でも困る。これから向かうユグドラフという国が、グラン・ヴァルディアにとってどれほど戦略的に重要な意味を持っているか、少し頭に入れておいた方がいい」


 ジェベの黄金色の瞳が、普段の眠たげな印象から一転して、静かな理知の光を帯びた。それは、猛禽類が遥か上空から獲物を見定める時のような、鋭く澄み切った色合いだった。彼のしなやかな指先が、地図の中央に描かれたグラン・ヴァルディア王国の広大な領土をトントンと軽く叩く。


「いいかい。地図を見てみて」


 促されるままに、ハズラは身を乗り出して地図を覗き込んだ。


「グラン・ヴァルディアがこれから覇を唱え、西の人間たちの領域や、南の勢力圏へと軍を進めるとしよう」


 ジェベの指先が、地図の上を滑るように動いていく。西方に広がる肥沃な大河と穀倉地帯、辺境の開拓騎士団領、そして南方の海に浮かぶ魚人族の多島海域。グラン・ヴァルディアが今後直面するであろう激戦の地を丁寧になぞった後、その指は再び地図の右側――東の果てに記された、深い緑のインクで塗りつぶされた領域でピタリと止まった。


「その時、この東に位置するユグドラフは、進軍する僕たちにとって『完全な背後』になる」


 その言葉の響きに、ハズラははっとして息を呑み、ジェベの顔を見上げた。

 戦場という局地的な盤面において、背後を突かれることがどれほどの致命傷となるか、軍の観測者として戦局を見つめてきた彼には痛いほど理解できた。正面の敵に意識と戦力を集中している隙に、無防備な背中を刃で貫かれる恐怖。いかに強靭な肉体と高い魔法耐性を持つ魔族の精鋭部隊であっても、視界の外からの不意打ちは部隊の連携を容易に崩壊させる。

 それが、一対一の戦闘や部隊間の局地的な衝突ではなく、国家という巨大な規模で起こり得るのだと、ジェベは明確に示しているのだ。


「彼らエルフは、森を強固な古代魔法の結界で閉ざし、他種族との交流を一切拒絶しているひどく排他的な連中だ。自分たちの聖域を守るためなら、外界の血なまぐさい覇権争いには決して関わろうとしない」


 ジェベは地図上の緑の領域を指の腹でゆっくりと撫でながら、声音を一段低く、ひんやりとしたものに変えた。


「だが、もし……そんな彼らが何らかの理由でグラン・ヴァルディアに牙を剥き、明確な敵に回ったらどうなると思う? あるいは、さらに東の向こう側にいる大国に唆されて、無防備な僕たちの背中へ一斉に攻撃を仕掛けてきたとしたら」


 ハズラの背筋に、氷の塊を押し当てられたような冷たい悪寒が走った。

 主力軍が西の人間勢力や南の異種族との果てしない戦線に完全に釘付けになっている状況で、突如として東の国境が破られる。背後から無数の見えない魔法による狙撃の雨が降り注ぎ、命綱である補給線は寸断され、防衛の手薄な王都そのものが直接的な危機に晒される。


「……完全に、挟み撃ちになります」


 絞り出すようなハズラの震える声に、ジェベは小さく、だがひどく重々しく頷いた。


「その通りだ。前と後ろ、両方から首を絞められれば、いかに僕たちの軍が強大で、統星くんの指揮が優れていようとも、為す術もなく終わる。国家としての完全な死だ」


 ジェベの言葉は、数十人、数百人の死傷者という戦術レベルの被害ではなく、国家そのものが地図上から跡形もなく消滅するという、桁違いの凄惨なビジョンを突きつけていた。

 ハズラは広げられた地図を食い入るように見つめた。ただの平原と森、海と山が色分けして描かれただけの古い図面が、一瞬にして恐ろしい刃を幾重にも隠し持った、巨大で残酷な処刑台のように見えてくる。

 統星が「視野が狭い」と指摘したのは、まさにこのことだったのだ。目の前の敵をどうやって素早く倒すかばかりを考えていては、いつか必ず足元をすくわれて国ごと滅びる。盤面全体を見渡し、自国の立ち位置と周囲の勢力との関係性を俯瞰し、あらゆる可能性を計算できなければ、到底この乱世を生き残ることはできない。

 しかし、ハズラの脳裏には一つの大きな疑問が拭えずに残っていた。彼は広げられた地図から視線を上げ、向かいに座るジェベへと静かに問いかけた。


「ですが……グラン・ヴァルディアとユグドラフの間には、古くから不可侵条約が存在しているのではないでしょうか?」


 ハズラは控えめに、しかし確かな疑問として口にした。

 エルフたちは数千年にわたって外界との接触を絶ち、森の結界の内側で永世中立を貫いてきた歴史がある。両国間には明確な不可侵の盟約が交わされており、お互いの領土を絶対に侵さないという強固な合意があるはずだ。彼らが自ら進んでその平穏な条約を破り、無益な戦端を開くとは到底思えなかった。国家間で交わされた公式な約束がある以上、背後を脅かされる危険性は限りなく低いのではないか。

 その言葉を聞いたジェベは、馬車の揺れに合わせて軽く肩をすくめ、ふっと微かに鼻で笑った。

 風を読み、自然の過酷さと共に生きてきた彼の瞳には、甘い理想論を語る子どもを見るような、老成した諦念の色がはっきりと浮かんでいた。


「書面上の約束、ね」


 ジェベは吐き捨てるように言い、乾草色の前髪の奥で黄金色の瞳を鋭く光らせた。


「いいかい、ハズラくん。そんな紙切れ一枚に書かれた約束だけで、自分たちの背中が絶対に安全だと信じ込めるようなおめでたい馬鹿は、この乱世には一人もいないよ」


 ジェベの淡々とした、しかし有無を言わせぬ言葉が馬車の中に重く響いた。

 それは、戦乱の世を長きにわたって生き抜いてきた古騎族としての、一切の幻想を排した極めてシビアな現実認識だった。


「相手が条約を守ってくれるはずだ、なんていう希望的観測に頼って自国の命運を預けるのは、目隠しをして断崖絶壁の縁を歩くのと同じくらい愚かなことだ。条約なんてものは、状況が変わればいつでも反故にされる。自国の利益が脅かされたり、他国からより魅力的な条件を提示されたりすれば、彼らは平気で森から出てきて、僕たちの無防備な首を掻き切るだろうさ。軍事的な絶対の安全を保障する盾になんて、決してなりはしないんだ」


 あまりにも現実的で生々しい政治観を前に、ハズラは返す言葉を完全に失った。

 奴隷時代、主人の口約束などいくらでも破られるのを嫌というほど見てきたはずだ。それなのに、国と国との大きな約束となると、なぜか絶対的なルールとして機能すると思い込んでしまっていた。己の認識の致命的な甘さを恥じ入り、ハズラは膝の上で静かに拳を握りしめた。

 ジェベは地図の上を滑らせていた指を止め、窓の外の鬱蒼とした深い森へと視線を移した。


「だからこそ、今回の式典出席は、ただの愛想笑いを浮かべて美味しい酒を飲むような親善外交なんかじゃない。真の目的は、ユグドラフのご機嫌を取り、彼らが決して『自国と敵対する側』に回らないように、こちらから強固な関係を維持し続けることにあるんだ」


 ジェベの言葉が、複雑なパズルの最後のピースのように、ハズラの思考にピタリと嵌まった。


「無防備な背中を預ける相手とは、常に握手をしておかなければならない。向こうが裏切る理由を徹底的に潰し、僕たちと手を結んでいた方が得だと思わせ続ける。そのための布石を打つ。だからこそ、統星くんは危険を承知で、自らこの森の奥深くまで赴くのさ」


 ハズラはごくりと息を呑み、事態の深刻さと、この旅に隠された真の重みを完全に理解した。

 これまでのハズラの視点は、魔眼が捉える局地的な戦場――城門の裏側に潜む伏兵や、敵の弱点といった戦術的な範囲に留まっていた。しかし今、ジェベが明確に示しているのは、地図という広大な盤面の上で国家そのものをどう動かし、どう防衛するかという、遥かに巨大な力学だった。

 この任務は単なる儀礼的なものではない。グラン・ヴァルディア王国の存亡に直結し、統星が掲げる今後の世界統一に向けた侵攻計画の成否を分ける、極めて重要な防衛上の配慮であったのだ。


 武器を交えない場所にも、恐ろしい戦場がある。

 笑顔の裏で言葉と計略を交わし、互いの利益と恐怖が複雑に絡み合う政治という見えない戦場。

 ハズラは静かに目を閉じ、深く息を吸い込んだ。肺を満たす湿った森の空気が、先ほどよりも少しだけ冷たく、そして鋭く感じられた。

 統星が自分をこの任務に同行させ、「ジェベの視点を学べ」と命じた真意が、ここに来てようやく骨の髄まで腑に落ちた。国家間の思惑が交錯する政治という戦場において、真に盤面を見渡すための、より広範な戦略的な視野。

 それを確実に己の裡へと刻み込み、いつの日か主君の背中を完全に守り抜く最強の観測者となるために。ハズラは静かに目を開け、決意に満ちた黒い瞳で、再び目の前の巨大な地図へと向き直った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ