大学を退学した俺にとってのタイミーのシーガイア披露宴アルバイト
(小説家になろうで初めての作品です。)
(日記短編小説)
俺の名はリケルト。あくまでも自分の芸名だ。
俺は令和6年の夏まで大学に通っていた。
医療分野の臨床検査技師のコースの学部に所属していた。
しかし、実習の単位を取得するための十分な技能が足りず最低限の成績が得られなかったことで、大学2年で退学することになった。
しかし、その年の冬はアルバイトに没頭することにー。
大学の中で臨床検査技師コースというコースがあり、気になったからその面白さや奥深さを知るためにそこに入ってみた。
しかし、在学中に2年生で実習を受けた際につまづいてしまった。
俺が在学時の実習で上手に活かしすことが出来なかった、俺が今まで培ってきた知識、ノウハウー。
大学で必要なるための技能が圧倒的に足りず、クラスメイトの皆とのレベルが同水準レベルからだんだん引き離されそうになるくらいスキルが引き離されたことに加え、
単位や実習で最低限の取得基準を達成出来ず大学で絶望する時期があった、、
しかし、俺が誤解や勘違いをして欲しくないのが、臨床検査技師は決して、残酷でオススメ出来ない職種では無いとを言う事だ。
臨床検査技師は
検体検査と呼ばれる、人の血液や尿、身体を検査して体内の成分をはじめ、人間の身体のあらゆる部位の検査を行う業務と、人の身体の状態を直接診る仕事である身体検査も行う医療分野の職業である。
つまり検査のスペシャリストだ。
通常行う業務が、人々の命を救う、
非常に素晴らしい職業である。
検査に必要不可欠な診断を下す為に、その成分の割合を正しい視点で判断を行って現場を検査結果で回していくー。
確かに職業難易度としてはそこそこ難しいが、
基本的に勤務体制がきちんと管理されているし、必ずしも危険性が高く、ブラックな職業ではないとよく聞いていた。
得意な人は普通に楽しくやっているし、好きな人もいる。
ただただ俺が苦手で向いてなかった分野だったからだ。
端的に言えばスキル不足。
俺は実習を受ける時、どこの誰から見ても真面目に見えるほど真剣にやっていたが、やはり対応がコミュ症気味だと先生方からはあまり積極的には見られないようだ…。
話し合ってもクラスメイトと意見は食い違いことはよくあるし、
実践試験で患者様に電極を取り付ける際のシュミレーションでは、掛け声の仕方が適性かどうかの判断の信用性が低い事や、電極の位置を確認したが正しく取り付けられなかったような事が重なり、実習単位を落とす結果に繋がった。
自力でいくら猛勉強して努力しても空回りや正しく解釈出来なかったりする事が多かった…。
才能の壁にぶち当たったというよりかは、
自分が人生で大学で学んだ分野の仕事を自分がしている姿がだんだん想像できなくなっていったんだ。
自分が医療分野が不向きで不器用なのだと学期が進むごとに徐々に分かっていった。
なので
俺が通っていた大学で学んでいた検査技師の分野が自分に合わず
むしろ残念なことに、自分の人格形成の弊害になっていたのだ。
俺が専攻していた臨床検査技師は一つ一つの検体検査が人の命に関わる事だとは以前から思っていたが、
2年次の面談で担当の先生のお話を聞いて、
わずか一つのミスが病院や医療施設の経営や存続にここまで重大なレベルで関わってくる深刻さは自分の想像を遥かに超越していた…。
加えて、検査室はとても寒かった…。
精神的にも、物理的にも、寒さが体力を削っていた。
これだと病院や医療施設内で業務を担う事を想定する上でプレッシャーでマインドが不安定になってしまいがちだなと自分が一番、絶望的なほどに思った。
もし、自分が猛勉強して医療関係の会社に就職したとしても自分のミスで誰かの生命が危険にさらされてしまうのがとにかく恐ろしかった。
俺は学習内容にも難しさを感じていた上に、実習を受ける際にも環境に個人的に閉塞感も覚え、検査室での実習の時も、精密な検査を業務を想定して行う事に莫大な緊張感を要した。
寒い検査室や診断室で検査や測定して重労働で辛い中で的確な判断を下さなければならない。
失敗に厳しい為、精神的にも辛い仕事なのだ。
自分にその分野の適性のなさを感じたのと、自分自身の非力さから、自分がこれだけ怯えるのも無理はないと思った。
よって、俺は大学を退学した。
進学先と別れた後はアパートからものを引き上げた後、
地元に帰りゆく姿を見た時は心や目を焼き付くように浮かび上がるような風景がそこにはあった。
そしてー。
今では直接会えない仲間や先生
今は実感する事の出来ない大学の雰囲気
足掻いても極度の緊張やプレッシャーの中での達成できなかったノルマによって
自分の臨床検査技師としての可能性に既に限界を感じた。
サークル仲間や親しい先生達に会えなくなるのは寂しかったが、皆がいつかチャンスがあれば、こっちにまた寄る場合にはいつか会おうねと言ってくれて嬉しかった。
医療知識の基礎を学んでいた途中までは良かったが、
学習内容についていけなくなった事で手放す事になった
大学にいた時の素晴らしい要素は多かった。
だけど、
最後まで大学の勉強をやり抜いて医療知識を身につけるために、自分にやれるだけの事は大学でも頑張って燃焼しきったし、
それでも上手くいかなかったのは仕方が無いので割り切ってしまう事で少しは気持ちが楽になれた。
なので切り替える事にした。
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それから大学を退学したその後は、今までのスキルや実習で学んだ掛け声をしてきた経験を活かせるかは分からないけど、
どこかのアルバイトを応募して思い切って別物の景色も経験してみる事にしてみた。
まずはタイミーのアルバイトのホテルスタッフ研修会を本格的な業務が始まる前に受けてみた。
場所は宮崎市が誇るフェニックスシーガイアリゾートという高級ホテルの辺りだ。
コンベンションセンターと呼ばれる、
主に結婚式やパーティーなどで使われる施設である。
披露宴で使われるホテル近くのそこの会場が俺のバイト場所だ。
研修会では
講師スタッフからセッティング、ボトルサービス、バッシング、テーブルマナーなどのスタッフとしての必要な技能を教わったので、
研修会後に思い切って仕事を精一杯、頑張りたいと思った。
それにしても、バイトアプリであるタイミーからこんなに素敵で豪華な場所で仕事させてもらえるなんて有り難いなと思ったときの経営者や従業員達の懐の寛容さは計り知れないと数え切れないほど思った。
三野さん(仮名)という、同期の人もいた。
そしてバイト当日、少し緊張気味の中、三野さん率いるタイミー組のメンバーと共に午前中に眠い目を擦りながらバイトを始めた。
その日は日曜日。結婚式のカップルを出迎える仕事を俺の人生で初めて行う当日だ。アルバイトの一員として。
スタッフの方々は温かい眼差しで社会人としても新人である自分を迎えてくださった。
アルバイトとしての業務が始まった。
最初は以前から不安を感じていたお客様への接客だ。
三野さんはお客様へ明るく丁寧な対応を、流暢に行う。
僕はあたふたとしながらも、お客様に対して真摯な対応をするためにナプキン置き専用のお皿を下げたり紙袋をテーブル下に置いたりするサービスをしてみたが、
やはり対応や声かけの姿勢が立派に見えず、自分の接客は微妙なのを痛感した。
焦ったような口調だったのが反省点だ。
その後、研修会に講師をしたスタッフから裏方の方面の仕事が向いてるのではないかと言う事で、
食事の準備や配膳の業務で料理をセッティングしたり、乾杯までで使ったゴミを処理したり、配膳台の位置の確認を行ったりして、接客とは違った方面でも大いに活躍出来た。
また、食べ終わった皿やグラスを片付ける業務も積極的に行ったりもした。
配膳台を移動させて食事をお出しする際には、ゆっくりと丁寧に運び、決して料理を落としたり、形を崩したりする事にならないように慎重に運んだ。
きっちりとシェフの方々が調理して、盛り付けてくださった食べ物をお客様に完璧な状態で配膳出来て本当に良かったなとつくづく自分でも感じられたので、
自分からもっとお客様だけでなく従業員スタッフの方々に精一杯貢献出来るようにしたいと思い、食器の片付けから、全力で積極的な勤務を行った。
コミュ症気味な自分でも、お客様に自分が出来る限りのサービスを全力で行なうことが出来てだいぶ嬉しかった。
その日は働くことの楽しさやアルバイトとして働く意味について知ることが出来た。三野さんからも、頑張りを評価してもらえたので達成感が大いに感じることが出来た。
これからもここで働きたいなと思ったし、タイミーアプリをインストールして本当に良かったと思った。
タイミー会員として大学の臨床検査技師コースとは別の形でも活躍出来て本当に自分が適切に動けるような分野や場所で働けるのが不安だった。
それでもホテルスタッフ研修会の後、しばらくシーガイア宮崎で働いてみたけど、ここで働いているスタッフの皆さんの対応が親切だった。
とにかくみんな明るくて、お互いをフォローし合っていた。働けば皆さんが肯定的に評価をしてくれるから、自分も働きやすかった。
今思えば、その日曜日は初めて披露宴会場のサービススタッフになって正式に給料が支払われるアルバイトの仕事をしたけど、「人々を迎えること」、「もてなすこと」、「仲間として受け入れること」の素晴らしさをはっきりと思い知った。
僕にとってのタイミーのシーガイアで働く意味は、「これから入ってくる仲間も迎えて下さる先輩も一緒に入った同期の人も、互いのことを認め合い助け合えるような存在として見て、仕事の中で自分達に出来る限りの責務を全力でする」ということだ。
そして、サービスをする人も受ける人も、お互いが幸せになれるような環境を構築をする。
その考え方が、きっと自分だけでなく社会も幸せにしていくものだなと思えた。
臨床検査技師コースでは上手く馴染めずにクラスメイトに共についていくことが出来なかったが、
ここ宮崎市が誇る素晴らしい洗練の地 フェニックスシーガイアリゾートならきっと自分のセンスや個性で、活躍していけるかもしれない…!
大学の一部クラスメイトとはライン上でやり取りしていて、普段から連絡をし合っている。辞めた後もコミュニケーションが取れているので、友達が出来た上でも大学に行って良かったと思ってる。
あと大学で学んだ患者さんへの声掛け、衛生や食品に関する知識も、
ホテルスタッフの接客や料理の配膳、洗い物などの業務で活かすことが出来て嬉しい。
少なくとも大学で学んだ分野は無駄じゃなかったことだなと感じた。
これからもホテルスタッフの仕事に活かせるものがあれば活かしていきたいし、もし今後ホテルスタッフでない職場に転職した時にも、持ち前のセンスやスキルを活かしたいと感じている。
そして最後までのお読みになってくださった読者の皆さんに最大限の感謝を申し上げます。
✧♥ありがとうございました!♥✧