夜の帳
「今日は眠るつもりは無いから、大丈夫だよ」
勇者はそう言った。
まるで何もかも知っている様な口ぶりだった。
勇者は私に向かって困ったように笑った。
「今更何を言っても遅いかもしれない。
君は何もかもを失ってしまっている」
「どうして……」
何故なにもかも知っている様に言うのか。分からず私が聞く。
声は上手く出ずしわがれている。
「もう、普通でいようと願うのはやめたんだよ。
普通の幸せを追い求めるのは」
勇者ははっきりとそう言った。
それから私に手を伸ばし髪の毛をそっと撫でる。
「君の髪の毛の色が最初どんな色だったかもはや思い出せない」
そう残念そうに言う。
私にも分からないから最初からこういう色だったのかもしれないのに変だ。私も思い出せない。そんな気分になる。
それに勇者が私に触れた。
それだけで嬉しくなってしまうのでやめて欲しい。
今はそんな余裕はない。
それでも聞かずにはいられなかった。
「普通の幸せって?」
「……そうだな、きれいなお姫様と結婚するとかかな」
勇者は言った。
それは幸せなことだろうと私も思う。
だから私もそれが叶えばいいと思った。
「でも、それだと『魔王を倒して英雄になりたい』も普通の幸せになってしまうわ」
私は言った。
途中何度やっても貴族が勇者を殺してしまうことに気が付いたころ考えたことがある。
精神に関与する魔法で彼をもう貴族と関わらせない方が幸せなのではないかと。
実際に多分何度かは試した。
その度、魔王は倒されず、人類は魔族によって壊滅的な打撃を受ける。
そのさなか勇者は必ず責任を問われ人によって殺されてしまうのだ。
普通の立身出世したい欲であるとか、強くありたい気持ち、そして美しいものを美しいと思う気持ち。
そういうものが勇者という人を作り上げている。
それが私の好きになった勇者だ。
だからそれを変えてしまってもどうしようもないという事はもう知っている。
なのに魔王を倒した勇者が、普通の幸せはいらないと言っている。
それにこの後の自分の立場をまるで知っているようだ。
おかしい、何もかもが今までと違っている気がする。
私はどうしたらいいのか分からなくなってしまう。
勇者の“幸せ”っていったい何なのだろう。
普通の幸せはもういいという事は、本当の“幸せ”なのだろうか。