綾乃の失恋 7
綾乃さんの涙は止まりそうにはなかった。堪えていた気持ちが一気に漏れたのだろう。
「あの、綾乃さん……」
アカリが静かに尋ねると、綾乃さんが「何?」と首を傾げた。
「わたしのこと、綾乃さんの鼻先にくっつけてもらえませんか?」
「どういうつもり?」
綾乃さんは不思議がりながらも、指示通り運んでくれる。
「運んだけど……」
「もっと近づけてください」
「鼻水ついちゃうわよ……?」
綾乃さんは困ったように首を傾げた。
「手を近づけてくれなきゃな飛び移っちゃいますよ」
「落ちたら困るからやめてよね……」
綾乃さんは渋々アカリのことを鼻先に近づける。ズズッと鼻水を啜る音が調子の悪いスピーカーみたいに大きな音で聞こえた。その度にアカリの服が綾乃さんの巻き起こす呼吸の強風に耐えられず、服が少し引っ張られてしまっていた。
「何するつもり……」
アカリが静かに綾乃さんの鼻先に近づいた。そして、ギュッと鼻先にしがみついた。鼻水がスカートにくっついて、じんわりと濡れていっている。
「え? 何してるの?」
「鼻が一番抱きしめやすいので」
「い、意味がわからないわ……!」
ギュッと綾乃さんの鼻に抱きついてみた。形が整っていて、スッと鼻筋が通っているから、抱きつきやすかった。ギュッと綾乃さんの鼻に抱きついて、頬をくっつける。
「寂しい時や、悲しい時は抱きしめ合うのが一番良いですから。綾乃さんと同じサイズだったら、ちゃんと抱きしめられたんですけどね」
本当は綾乃さんにきちんとハグをしたかったのだけれど、残念ながらそれはできない。
「ねえ、ずっと私アカリのこと、意味がわからないのよ」
「何がですか?」
「アカリは優しすぎて、意味がわからないのよ……。私、初対面であなたの首を折りかけたのよ? そんな相手に優しくするなんて、意味がわからない」
「実際に折られてたら、優しくしなかったですけど、綾乃さんは本気ではわたしのこと傷つけなかったじゃないですか。それに、リリカのことを見つけ出してくれました。大切な人を助けてくれたんですから、優しくしますよ」
それに、一度鼻先にキスをしてしまったドキドキ感もあるし。綾乃さんに好意を抱く理由はいくつもある。
「理由を聞いても、やっぱりアカリは優しすぎて意味がわからないわ……。でも、ありがと……」
綾乃が目を瞑って、両手で周囲からアカリを隠すようにして覆った。ギュッと綾乃さんの顔にアカリがくっつけられた。周りからみたら、きっとくしゃみが出て両手で口を覆っているようにしか見えない。だけど、今手のひらで包み込まれた中にアカリはいる。
それ以上、綾乃さんは何かをするわけではなかった。ただ、綾乃さんの口と鼻と手のひら覆われた世界にアカリは閉じ込められた。少しずつ湿度が高まっていき、アカリの体の全てが綾乃さんの体温や吐息で満たされていく。心臓の鼓動がドンドン早くなっていった。
「ありがと、アカリ」
そして、そのままギュッと服越しのお腹にキスをされた。
「わたしだって、綾乃さんのことわかりませんから……!」
アカリが顔を真っ赤にしながら、今度は鼻先にキスをした。本当に、お互いに何をしているのだろうか。さっきは小さな体だと綾乃さんを抱きしめてあげられなかったから、嫌だった。でも、今は小さな体だと、誰にもバレずに外で綾乃さんの吐息や体温に包まれながらキスをし合えるから、悪いことだけではないのかもしれない、と思える。
お互いに唇は離したけれど、まだ綾乃さんはアカリのことを手のひらで覆ったままだった。嫌な気はしない。むしろ、とても心地良い。
互いにせっかく心地良さに浸っていたのに、突然綾乃さんのスマホが鳴り出した。そっとアカリを離して、膝の上に乗せてから、電話に出た。相手は桃香ちゃんだったみたいで、今公園にいることを伝えていた。
「もうすぐ桃香が迎えにきてくれるみたいよ」
綾乃さんが優しく微笑んだ。もう少し心地良さに浸っていたかったけれど、これ以上浸っていたら、きっと感情がおかしくなってしまいそうだったから、ちょうど良かったのかもしれない。とりあえず、綾乃さんが元気になってくれたら良いのだけど、とは思った。




