恐怖の来訪者 3
少女はアカリのことをジッと見下ろしていたかと思うと、今度は何も言わず思い切りアカリを挟み込むようにして両手を机の上に勢いよくついた。またしてもアカリの体は机の振動で揺られ、尻餅をついてしまう。
そのまま上から覆いかぶさるようにしてアカリの真上15センチくらいの、ちょうどアカリにとっての部屋の天井くらいの高さに顔が位置するような体勢になられてしまったので、スタジオの照明は完全に少女の体で遮られてしまった。少女の顔を照らしていた光が消えて、頭上には光を失った大きな少女の顔があった。髪の毛が重力にしたがってだらりとアカリに向かって垂れさがっていた。少女の艶やかな真っ黒な髪の毛がアカリのすぐ真上に降りてきている。画像で見たら素敵な印象を持ったキリリとした目つきが今はとても恐ろしいものに見えた。
「な、なんのつもりですか!」
アカリは声を震わせながら叫んだ。何を考えているのかわからないけど、とにかくアカリに怒っていることだけはわかる目の前の少女が怖くてしかたなかった。顔、髪の毛、手、周囲の全てに彼女が存在していることへの恐怖心でアカリは怯えた。
「あなたこそどういうつもりよ!」
アカリの言葉にようやく少女が応答してくれたけど、まったく心当たりのないことへの怒りをぶつけられて困惑する。どういうつもりも何も、この少女とアカリは初対面なのである。訳のわかっていないアカリに対して補足するように少女は続ける。
「いきなり沙希の前に現れて、突然仲良くなっていっぱい写真撮ってもらって、あげく私と沙希が一緒に会う時間を奪っていくなんて!」
「ま、待ってください。意味が分かりません。わたしは別にあなたの時間を奪おうとか、そんなつもりまったくないです」
感情的になっている少女の大粒の飛沫を直に受けながら、アカリが必死に落ち着かせようとするけれど、少女はまったく落ち着く気配はなかった。
「うるさいなっ! 私から沙希を奪わないでよ……!」
そう言って少女が机についていた右手をゆっくりとアカリの上へと動かして、掛布団みたいにして覆いかぶせた。もちろん掛布団なんて優雅な物ではない。少し少女が力を入れればアカリは潰されてしまうのだから、処刑装置とでも言った方が良いのかもしれない。今は少女は力を軽くしか加えていないけれど、また先程みたいに感情の赴くまま力を加えられてしまえば少女の体重にのしかかられて潰れてしまう。
「待って、本当に落ち着いでください!」
もう少女はすっかり自分の世界に閉じこもってしまっているから、アカリの言葉を聞き入れる気配はない。
「あなたがいけないのよ、私と沙希の関係を裂こうとしているあなたが! 小さくてかわいくて凄くムカつく! 二度と沙希の前に現れないように、このまま潰してしまいたいわ!」
そう言いながら少女はゆっくりと力をかけていく。苦しくなって、むせて咳が止まらなくなる。止まらなくなっている時に、今度はなぜか水の塊が降ってきて顔に直撃したから、余計に苦しくなる。
(何、この水? まさかこの子、唾液をかけてきたんじゃ……!)
少女の排出した水が口に入って溺れそうになりながら、そんなことを考えたけれど、落ち着いて頭上を見ると、その水が口ではなく瞳から落ちていることに気がついた。
(泣いてるの……?)
至近距離でアカリのことを見つめていた大きな瞳から次々と涙が降ってくる。アカリの周辺にボタボタとコップをひっくり返したみたいな水量の水が降り続けていた。
なぜだかわからないが少女は泣いている。泣きたいのは本当はアカリのはずなのに、なぜか少女のほうが泣いていた。わけがわからないけど、このままでは本当に潰されてしまうかもしれないという恐怖でそんなことを考えている暇はなかった。
「お願い、やめて! 苦しい! 潰れちゃいますから!」
そう叫ぶと少女はフッと力を抜いた。相変わらず手が覆いかぶさったままで怖いけれど、力は緩めてくれたようだ。わたしに触れ続けたまま、少女が静かにすすり泣く声だけが室内には響いていた。
「ごめんなさい……」と小さく少女が呟いたような気がしてアカリはますます訳が分からなくなった。彼女の気持ちは全く理解できないけれど、感情が昂っていることはなんとか理解できそうだった。
「あの、良かったらお話聞きましょうか……?」
とにかく彼女の感情の理由を探ろうと、恐る恐る声をかけた瞬間に、ドアが勢いよく開く音が聞こえた。
「綾乃ちゃん、何やってんの!」
沙希さんの声が室内に響き、驚いた拍子にほんの一瞬手にもの凄い力が加わり、危うく衝撃で胃液を吐き出しそうになってしまった。だけど、そんなアカリのことに構っている余裕がなさそうなくらい、少女が慌てて沙希さんの方を見た。
「沙希……」
アカリに嫌がらせをしていた瞬間を目撃された少女の顔色が一気に真っ青になった。慌ててアカリの上から手をどけて気を付けの姿勢をしている少女。だけど、沙希さんは追及の声を緩めなかった。
「あなたアカリちゃんに何しようとしてたの!!」
日頃冷静な沙希さんから聞いたことのないような悲痛な叫び声を聞いた。そのまま室内に入って来た沙希さんの脇をすり抜けて、スクールバッグを持って、少女は大慌ててで逃げるようにして室内から出て行った。
「ちょっと、待ちなさいって!」
沙希さんの静止は聞かずに、少女は逃げていった。
少女を捕まえるのは難しそうと判断した沙希さんは、今度は心配そうな瞳でアカリのことを見つめた。
「アカリちゃん、大丈夫だった?!」
苦しくてむせていたアカリの元へ慌てて沙希さんがやってきた。顔いっぱいに付着した来訪者の少女の涙を手のひらで拭いながら、心配してくれている沙希さんのほうに笑顔を向けた。口を開くと否応なしに入ってくる彼女の涙は随分としょっぱいように感じた。