桃香のお仕事 8
「リリカちゃん、お眠だったんだねぇ」
目を覚ましたリリカは、桃香の温かい手の上から降ろされているところだった。
「あ、ごめんわたし寝ちゃったのね……」
「気にしないでいいよぉ。疲れちゃったんだよねぇ」
ゆっくりと体を起こして、周囲の景色を見たときにリリカがハッとした。桃香の手から下ろされた場所の周囲には丈夫な白い柱がたくさんある。
「何やってんのよ!」
桃香が可愛らく微笑みながら自然な調子でリリカのことをハムスター用のゲージの中に入れようとしたから、慌てて止めた。
「どうしたのぉ?」
慣れた手つきで鍵を閉めようとした桃香のところに跳ねながら向かって、ゲージに触れている親指をペシペシと叩いた。
「やめてよ! 閉じ込めないでってば!!」
「あ、お水だよねぇ! 後で取ってくるから大丈夫だよぉ」
「だからそのやり取り出発前にもしたけど、そう言う問題じゃないんだってば!!」
よくわかっていない様子の桃香にリリカは苛立った。
「ねえ、リリカだって、いきなり巨大な女の子に檻に入れられたら嫌でしょ? 身動き全然取れないのよ?」
「うーん、モモカはちゃんとご飯が出るなら良いかなぁ。学校にもお仕事にも行かなくていいし」
やっぱり話が通じない子で、嫌になりそうだったけど、桃香は意に反して、鍵を開けてリリカが出られるようにしてくれた。
「でも、リリカちゃんが嫌なんだったらやめとくねぇ」
「え……、あ、ありがと」
てっきり無理やり閉じ込めてしまうものかと思ったから、思ったよりもすんなりと出してもらえて、リリカは困惑した。
リリカの体をソッと摘んで、ゲージの外に置いた。
「ゲージ直してくるから、机から落ちないように気をつけてねぇ。下にいたらモモカ、気づかずに踏んじゃうかもしれないからぁ」
「落ちないように気をつけるけど、あんたも気をつけてよね」
呆れたように言うと、桃香が困ったように笑った。
「気をつけるけど、モモカドジだから気をつけてもうっかりしちゃうこともあるかもしれないんだぁ」
多分本人には悪気はないのだと思う。けれど、その言葉はリリカの胸をキュッと痛みつけた。嫌な記憶が蘇る。悪意のない暴力に突然襲われたあの日の記憶が。
「ねえ、桃香……」
突然声を暗くしたリリカに桃香が顔を近づけて、首を傾げた。
「どうしたのぉ?」
「ウッカリだったらわたしのこと傷つけても許されるわけ?」
「え……? どうしたの、リリカちゃん……。モモカ、また嫌なこと言っちゃったかなぁ……」
心配そうに覗き込んでくれるこの子が、本当に悪い子ではないのはわかっている。これは桃香への八つ当たりだ。だけど、リリカの感情が溢れてしまっていた。
動かない左足をさすりながら、リリカは続けた。
「悪気がなければ、わたしのこと踏み潰しても良いのかって聞いてるのよ!」
気付けば涙が溢れて、声もとっても感情的に大きくなっていた。
突然泣き出したリリカを見て、桃香が困ってしまっていた。
「ご、ごめんねぇ。モモカ、リリカちゃんが何で怒ってるのかわからないよぉ……。でも、リリカちゃんに意地悪したいわけじゃないんだよぉ……。リリカちゃんが傷つくのは嫌だよぉ」
桃香が泣きそうな顔をして、そっとリリカのことを両手で包み込みながら、器用に小さなリリカの頬を桃香の頬にくっつけていた。桃香の頬で、リリカの小さな涙の雫が拭われる。
訳がわからないなりに気遣ってくれているのはわかる。だから、本当は今日会ったばかりの桃香に八つ当たりをしたり、感情をぶつけたりするのは良くないということはわかっている。でも、止まらなかった。
「やめてよ! 触らないで!」
「……ご、ごめんねぇ」
桃香が小さなリリカにも聞こえないくらいか細い声で謝ってから、そっと机にリリカを戻した後、近くにハンカチを置いた。
「お布団用意できなくてごめんねぇ、それで寝てね……。モモカ、寝る準備してから寝るから、あと1時間くらいしたら電気消すねぇ……」
桃香はリリカの方を見ずに、そっと柔らかい柔軟剤の良い匂いのするハンカチを置いて、逃げるようにして部屋から出て行ってしまった。一人ポツンと残されたリリカはため息をついた。
「ごめん、桃香。桃香は悪くないのよ、本当に……」
ハンカチの中に体を隠すようにしながら、リリカは眠りについたのだった。




