桃香の家にて 2
「大変だよぉ。すぐに脱いでよぉ」
「は、はぁ?」
「早く脱ぎなよぉ」
「い、嫌よ!」
今のリリカは、桃香の手の上に乗せられて、至近距離で座っている状態なのだ。巨大な瞳に晒されながら脱ぐなんて恥ずかしい。
「脱がないとダメだよぉ」
「へ、変態なの?」
「変態じゃないよぉ。脱がないと服洗えないよぉ」
「え? 洗うって……?」
「お気に入りのお洋服なのに、汚れたままじゃ嫌でしょ? モモカ、器用だから洗ってあげるねぇ」
優しく微笑む姿は、先ほどまで理解不能な行動を続けていた桃香と同一人物には見えなかった。
「いいわよ、家に帰ってから自分で洗うから!」
「早く落とさないと、汚れも臭いもこびりついちゃうよぉ。お気に入りなんでしょ?」
「そうだけど……」
桃香は嫌な子だけど、初対面なのに吐瀉物のついた洋服を洗わせるなんて気が引ける。
「脱がないと、モモカ無理やり脱がしちゃうからぁ」
桃香がリリカのことを机の上に置いてから、リリカの服を剥ごうとしてくる。
桃香の大きな指がリリカのワンピースの袖を器用に摘んでいる。このまま力を入れて強引に脱がされると、誤って破かれてしまった時に着られる服がなくなってしまう。
「両手上げてねぇ」
「や、やめてってば! わかったわよ、自分で脱ぐわよ!」
諦めて、桃香の視線に晒されながら、机の上で服を脱いだ。下着は着ていなかったから、慌てて胸と股は手で隠した。
「ちょっと洗ってくるから待っててねぇ」
「あ、待ちなさいよ! わたし裸なんだけど!」
「うん、だからすぐに洗ってくるねぇ」
「違うわよ! 何か羽織るもの頂戴って言ってるのよ!」
あぁ、と桃香は納得してから、引き出しからハンカチを持ってきた。
「ごめんねぇ」
桃香の周りにヘアサロンで付けてもらうカットクロスみたいにクルクルと巻き付けた。柔軟剤のいい匂いがしているのは良いんだけど、手が出せないから、なんだか捕まっているみたいで嫌だった。まともに身動きが取れない姿はあまりにも無防備で、心もとない。
「ねえ、なんとかならないの? わたしがここで小動物に襲われたら、そのまま食べられちゃいそうで怖いんだけど!」
「それもそうだねぇ……」
桃香がリリカのことを鷲掴みにした。
「ちょ、ちょっと何すんのよ!?」
「手洗い場に連れてくんだよぉ。わたしと一緒にいたら安全だよぉ」
握ったまま、リリカのことをお風呂場に連れて行ってしまった。
「運び方気をつけなさいよね!」
首から下をギュッと握って、上下も気にせず歩いていく桃香。
そのまま手洗い場に連れて行かれて、歯磨き粉の横に寝かされた。
「ミント臭いんだけど!」と文句を言うリリカの声は、勢いよく出された水の音にかき消された。すごい勢いで出る水の音は聞こえる。だけど、洗っている様子を見ようと下を見たら、そのまま転がって洗面台の棚部分から落ちてしまいそうだったから、怖くて動けなかった。
「ねえ、わたしの大事な服破かないでよ!」
「大丈夫だよぉ。モモカ、器用だもぉん」
自称器用らしいけど、不安しかなかった。さっきまでリリカに対するガサツな扱いを思い出す。ていうか、今もガサツにハンカチに巻かれているし。
「ほら、できたよ」
びしゃびしゃに濡れたリリカのワンピースを目の前に差し出した。たしかに、パッと見は綺麗になっている。そのまま、桃香は自分の鼻先に、ワンピースを持っていき、スンスンと匂いを嗅ぎ出した。
「大丈夫だよぉ。もう臭いも落ちてるよぉ」
桃香は初対面の小人の吐瀉物を気にせず洗ってくれたみたいだ。
「……ありがと。あなたのこと嫌な子だと思ってたけど、意外と優しいのかしら?」
「意外とじゃないよぉ、モモカ超良い子だよぉ」
超かどうかはともかく、一応良い子ではあるみたいで、ホッとする。だけど、ホッとしたのも束の間、すぐに不穏なことを言い始めた。
「じゃあ、次は小人さんのこと洗ってあげるねぇ」
そう言うと、桃香はリリカのハンカチを徐に剥ぎ出した。
「ちょ、ちょっと!」
また裸にされて、桃香に微笑みかけられた。きっと善意で洗ってくれようとしているのだろうけど、先ほどの水道の勢いある音を聞いていたらとても怖い。
(まさかと思うけど、水道で洗うつもりじゃないでしょうね……)
不安な思いは的中した。桃香はリリカのことを水道のノズルの下へと持っていこうとする。
「や、やめなさいってば!」
「あ、そうだね。大事なバレッタまだつけっぱなしだもんね。取っちゃって」
「そうじゃない! そうだけど、そうじゃない!」
確かに勢いのある水道水で洗われたら、ほぼ確実にバレッタは流れ去ってしまう。けれど、やめてほしいのはバレッタを付けたまま洗うことではなく、水道で洗おうとすること自体をやめてほしいという意味だ。絶妙に伝わっていないのでイライラしてしまっていた。
「水道水だと、息できなくなっちゃうから! 勢い強すぎるのよ!」
目の前で滝よりもすごい勢いで流れ続けている水道水を見て、リリカは慌てた。
「そぉなのぉ?」
「そうよ、そう! わたしにとってはすっごく怖いんだから!」
「わかったぁ。じゃあ、手洗い場使うのはやめるねぇ」
ようやく意思疎通ができたみたいでホッとする。だけど、まだ安心はできなかった。




