桃香の家にて 1
「さ、ついたよぉ」
桃香が間伸びした声で、リリカのことをポイッと机の上に投げたから、ギャッと小さな声を出してしまった。
「もうちょっと丁寧に扱いなさいよ!」
「えー、モモカ、ちゃんと優しく扱ってあげたよぉ」
「ああ、もうっ。最悪よ。あんたの汗でベットベトだわ」
リリカがため息をついた。桃香が遠慮なくリリカのことをギュッと手のひらの中に閉じ込めながら長時間歩いたせいで、身体中桃香の汗だらけだった。
「その言い方じゃぁ、モモカが汗っかきみたいじゃん! モモカ、全然汗かかないんですけどぉ」
少しムッとした様子の桃香を見て、リリカは反射的に身構えてしまった。何をしでかすかわからない彼女のことは怖かった。少しでも怒らせたら、机から落としたり、踏みつけたりしてきそう。それでも、怖がっていることは察されないように強がって、大きな声で尋ねる。
「ねえ、わたしの家探すの手伝ってくれるって言ってたのに、どうしてあんたの家に来てるわけ?」
「まあ、いいじゃん。ちょっとくらいゆっくりしていってよぉ。小人さんのこと、もっとしっかり見たいし」
ジロリと大きな瞳をリリカに近づけてくるから、びっくりして、背中をついてしまった。それを見て、リリカがクスッと笑った。
「転んじゃったぁ。可愛いなぁ」
桃香がリリカのことを突いてくる。まったく加減のしらない指が勢いよくリリカのことを殴ってきて痛かった。
「や、やめなさいってば。いきなり人のこと殴りつけるなんて最低よ!」
「えー、リリカはツンツンって触っただけだよぉ」
桃香は人差し指を頬に当てて、困ったように首を傾げていた。
この子と一緒にいたら、スキンシップのつもりで触れてきた勢いで殺されてしまわないだろうか、と不安になってくる。それだけ彼女の力は強いのだけど、それを理解してくれるにはまだまだ時間がかかりそうだった。
「でも、本当に可愛いねぇ。お人形さんみたい」
桃香がリリカのことを手のひらの上に乗せて、また瞳を近づけてきた。
「あんまりジロジロ見ないでよ」
可愛いという意味では、桃香の方こそとても可愛らしかった。大きな瞳も血色の良い頬も、ほんのり丸みを帯びた小さな鼻も、全部が可愛らしい。嫌な子なのに、そんなことを思ってしまってムカついている時に、顔を近づけすぎた桃香の鼻先が、リリカに触れてしまっていた。
「あ、ちょっと何くっついてきてるのよ!」
桃香の呼吸が触れて、風でワンピースがはためいている。鼻先をくっつけたままでいる桃香がスンスンと思い切り呼吸をして、リリカの匂いを嗅ぎ始めた。
「なんか臭くなぁい?」
「ちょっと、人の匂い勝手に嗅いで臭いとか失礼すぎるんだけど!」
パチンっと思いっきり桃香の鼻先を手のひらで叩いたけれど、リリカのか弱い力では、とくにダメージも無かったらしい。
「ねえ、なんか少し酸っぱい匂いがするけど、何の匂いなのぉ?」
不思議そうに首を傾げる桃香に、舌打ちをしてからリリカが恥ずかしそうに答える。
「……吐いたのよ」
「え?」
「猫に運ばれてる時に、怖くて吐いちゃったのよ!」
「じゃあ、服に吐いたものもついてるのぉ?」
「そうよ! お気に入りの服だったのに、台無しになっちゃったわよ……」
こんなムカつく子の前で自分の弱みを見せるみたいで、すごく嫌な気分になった。服が汚れて悲しい気分とか、弱みを見せてしまって悔しい気分とか、そういうののせいで、瞳が潤んでくる。けれど、リリカの涙は少なすぎて、桃香からは見えない。
きっと桃香のことだから、ここぞとばかりに馬鹿にしたり、大袈裟に臭がったりするに違いないと思った。なんなら、場合によってはリリカごとゴミ箱に捨ててしまうような、悍ましいことだってやりかねないと思った。けれど、桃香はなぜか悲しそうな顔をしていた。




