撮影のお仕事 3
「よし、オッケー」
最後の写真を撮り終えて、沙希さんが満足げな声を出した。アカリはその声を聞いて、抱きかかえていたシロツメクサの花の部分を床にそっと降ろす。
「もういいんですか?」
「うん、ばっちり!」
沙希さんがカメラを机に置いてから、「んっ」と小さく声を出して伸びをして、小さく腕を回し、肩甲骨の辺りをほぐしていた。机の上にカメラを乗せて、そこから同じく机の上に乗っているアカリのことを撮影するために不自然な姿勢になるから、体が凝ってしまうのだろう。
「お疲れ様ってことで、おやつタイムにでもしようか。お腹空いたでしょ?」
アカリが頷いた。撮影用の小道具はアカリにとっては重たいものばかりだったから、体力も使ってしまって、お腹は減っていた。ありがたく沙希さんの取り出したおやつをもらおうと思って、カバンから取り出したタッパーを見つめていると、中身が見えた時に、アカリは急激に気分が悪くなって口元を抑えてしまった。
沙希さんは、そんなアカリの様子には気づかなかったみたいで、タッパーを開ける。中には真っ赤な苺が5つ程入っていた。
「あれ、アカリちゃん気分悪そうだけど、どうかしたの?」
早まった呼吸を必死に抑えながら、アカリはタッパーの方を見ずに答える。
「ご、ごめんなさい、わたしイチゴ、苦手なんです」
アカリの脳裏には、あの日のことが浮かんでしまっていた。地面に投げ出された真っ赤な野イチゴとあらぬ方向に曲がったか細い左足と呻き声を上げる少女の声。その光景が当時のそのままの様子で浮かんできてしまった。まだ、精神的な傷は癒えていなかったようだと思いながら、しゃがみこんで頭を押さえる。喉元までやってきた胃液を必死に飲み込んだ。喉の辺りが酸っぱくなって気持ちが悪い。沙希さんが助けてくれる前の時点での出来事だから、沙希さんはその時の様子は何も知らないのだ。
「アカリちゃん……?」
沙希さんが心配そうにアカリの方を見ているのだろうけど、しゃがみこんだまま、地面を見つめているから、どのような表情なのかはわからなかった。沙希さんに心配をかけるのは申し訳ないから、喉からなんとか声を絞り出す。せっかくアカリが喜んでくれると思って持ってきてくれたのに本当に申し訳ないと思う。事情を知らず勝手に悲しまれては、それはそれで沙希さんに申し訳ないと思い、アカリは事情を伝えた。
「あの日、リリカが楽しそうに収穫していたのが野イチゴだったんです……」
その瞬間沙希さんが息をのむ声が頭上からはっきりと聞こえた。
「ごめんね、アカリちゃん!」
それだけで察してくれたのか沙希さんが大慌てでイチゴの入ったタッパーをしまってくれたことが音で分かった。
沙希さんはまったく悪くないのに、勝手に罪悪感を抱かせてしまったという事実に、アカリはまた罪悪感を抱いてしまう。背中を向けていたアカリの後ろから、そっと優しく包み込むように沙希さんの温かい手が触れる。ゆっくりと上に持ち上げられて、そのまま優しく胸元で抱きしめられた。沙希さんの大きな両手が全てのものから守るみたいに、アカリのことを優しく包み込んでくれた。
「ごめんね……」
柔らかい胸の感触の奥から、辛い気持ちを和らげてくれる温かい心音が聞こえてくる。沙希さんの胸の鼓動のテンポのおかげで、ちょっとずつ気持ちが落ち着いてくる。
「わたしのほうこそ、いきなりごめんなさい……」
ゆっくりと答えると、沙希さんは人差し指でゆっくりと背中を摩ってくれる。沙希さんは少しの間何も言わずに黙って優しくアカリの背中を撫で続けてくれていた。暫くして、気持ちが落ち着いてきた頃合いを見計らってくれてから、沙希さんはアカリのことをソッと机の上に戻して、立ち上がった。
「ちょっとコンビニ行ってこようかと思うけど、何飲みたい? アカリちゃんの分も買ってくるよ」
「あ、いえ。わたしは何も。買ってもらっても飲み切れませんし」
アカリが苦笑いをする。350mlの缶だってアカリにとっては自分の背丈よりも大きな巨大ドラム缶という感じで、とてもじゃないけど一人で飲み切れない。
「大丈夫だよ。アカリちゃんが飲みたいものを言ってくれたら、ペットボトルの蓋の部分に注いで、残ったのはわたしが全部飲むからさ」
「いえ、でも……」
写真を撮ってもらう分の報酬に加えて、ジュースまで奢ってもらうのは悪い気がすると思いながら遠慮していると、沙希さんが付け加えた。
「さっきのお詫びもあるし、モデルやってくれてる子が良い気持ちで帰ってくれるところまでがわたしのお仕事だから、気落ちしたまま帰らせちゃうのはわたしのポリシーに反しちゃうからね」
そう言われるとアカリも断ることはできず、少し遠慮がちに「じゃあオレンジジュースで……」と答えた。
「オッケー。じゃあ急いで買ってくるから」
沙希さんがコンビニへと急いで出かけて行った。