慰めとすれ違い
綾乃は自室で桃香と2人きりになっていた。
「桃香、どうしよう……、沙希に本格的に嫌われちゃったわ……」
またしても、綾乃は桃香の前で泣いてしまっている。つい先ほど、公園で沙希に向けられた軽蔑するような視線を思い出すだけで、背筋が凍ってしまう。涙が収まる気配もなく、ずっと啜り泣いていた。
本当は何度も泣いているところを後輩の桃香に見られるのはばつが悪かったから、スマホのメッセージを介して傷を舐めてもらおうと思っていた。だけど、優しい桃香は何も言わずとも綾乃の家にやってきてくれた。
「わざわざごめん……」
「良いんですよぉ。綾乃さんの辛いできごとは、モモカの心の痛みでもありますからぁ」
桃香が優しく綾乃のことを抱き寄せてくれたから、綾乃は胸元で泣いていた。
「モモカ、この間事務所の先輩にクッキーもらったんで持ってきましたぁ。一緒に食べましょう」
優しく髪を撫でてくれる桃香の包容力はなんだか年上のお姉さんみたいだった。
「ありがとう……」
「良いんですよぉ。モモカは何があっても綾乃さんの味方ですからぁ」
「私が悪いことには味方しなくてもいいのよ」
「しますよぉ。綾乃さんは、一人ぼっちで泣いていたモモカのこと助けてくれたんですから、モモカも泣いている綾乃さんのことは助けてあげたいんですぅ」
「いつの話してるのよ」
綾乃が泣きながら、クスッと笑った。
小学校低学年のとき、クラスの子たちにいじめられてた桃香のことを偶然通りかかった綾乃が助けてあげたことがあった。桃香はぱっちりお目目に筋の通った鼻で血色の良い頬をしていて、昔からとても可愛らしかった。だけど、間伸びしたおっとりした話し方がぶりっ子みたいということで、悪目立ちしていて、クラスの子たちから嫌われてしまっていた。
委員長気質の当時の綾乃は周りのイジメを放っておくことはできなかった。今みたいに背の高くなかった桃香にグループの子たちのランドセルを持たせている姿が可哀想で放っておけなかった。みんなのランドセルを適当に投げ捨てさせて、いじめている子たちを注意してから、そのまま困惑する桃香の手を引いて、家まで送ってあげた気がする。
「モモカ毎日学校行くの憂鬱で、あの時王子様が助けに来てくれたと思ったんですよぉ」
あの日から、桃香は定期的に綾乃の教室にやって来たり、帰り道で会ったら走り寄ってきたりしていた。
「だから、モモカは綾乃さんが泣いていたらギューッてしてあげるんですよぉ」
いつの間にかすっかりスタイルの良くなった桃香の胸に埋まりながら、優しく髪の毛を撫でてもらう。
「でも、今日はせっかく例の小人さんに謝りに行ったんですよねぇ? それなのに、どうして綾乃さんは沙希さんに怒られちゃったんですかぁ? いくら沙希さんでも酷くないですかぁ?」
「沙希は酷くないわ。わたしがアカリを勝手に連れ去っちゃったからとっても怒っているだけなの。アカリにはとっても可哀想なことをしてしまったのだから、怒られても仕方がないの。きっとカバンの中で怖い思いをしてしまったのだと思うわ」
沙希の目の前で、沙希への恋心を打ち明けられるわけもなく、かといってアカリに謝るためには、沙希のことが好きであることは隠すわけにもいかなかった。そんな事情があったとは言え、アカリに怖い思いをさせてしまったのは確かだ。
「連れ去るところまでやって、結局何もしなかったのは綾乃さんの優しさですよねぇ。もっと仕留める方法はたくさんあったんじゃないですかぁ? 公園だったらお菓子をまいて鳩さんをいっぱい呼んで突いてもらうとかぁ……」
「そんな怖いこと言わないでよ!」
咄嗟に綾乃はかなり強い口調で怒鳴ってしまった。つい想像してしまった。自分よりも体の大きなたくさんの鳥に囲まれて、啄まれそうになって泣いているアカリのことを。そんなこと、考えるだけでも恐ろしくて、背筋の震えが止まらなかった。
綾乃が思ったよりキツイ口調で注意したからか、桃香の体がビクッと震えた。綾乃はゆっくりと桃香の体から離れた。前回会った時よりも、今のアカリに対してはかなり情が湧いていた。少し話してみたら優しくて、親しみやすそうな子だったし、沙希への恋心由来の嫉妬心がなければ、きっと友達になれていたと思う。まあ、綾乃がたくさん怖がらせてしまったから、もう会えることもないのだろうけど……。
いずれにしても、もうアカリに危害を加えるなんて考えは少しもなかったから、桃香には悪いけれど、先ほどの発言には嫌悪感があった。
「ねえ、桃香。冗談で言ってるんだとしても、この間から怖い発言ばっかりするのやめなさい」
「モ、モモカは綾乃さんの味方でいたいだけで……」
「それなら尚のこと、怖いこと言うのはやめてよ……。そんな怖いこと言う桃香のことは嫌いだわ」
「だ、だってぇ……。モモカ、綾乃さんに意地悪する小人さんのことは嫌いですぅ……」
グスン、と涙を拭きながら桃香が声を振り絞った。小刻みに震えている桃香に合わせて、可愛らしいピンク色のベロアリボンの髪飾りも揺れていた。
「桃香が私の為に言ってくれているのはわかったけど、もうちょっとその優しさを私以外の子にも向けてあげて欲しいわ。意地悪したのは、アカリじゃなくて、私の方なんだからね」
「……ごめんなさい。モモカ、全然綾乃さんのこと慰められませんでしたぁ。今日はもう帰りますねぇ……」
「あ……」と小さく呟いたけれど、止めることはできなかった。今は確かに一人でいた方がいいのかもしれない。
桃香の持ってきてくれたクッキーが机の上にポツンと置かれたままになっている。
「桃香が私のことを慰めたい気持ちは本物だってことはわかってはいるのよ……」
だからこそ、綾乃のために道を踏み外してほしくはないのだ。




