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アンジェ・・・
アンジェ・・・
誰かが誰かを呼んいでる・・・
懐かしい声・・・
耳に心地よく響く低すぎず高すぎない声音
私はこの音が大好き・・・
この声で名前を呼んでもらえるだけで心がときめいて安心できるのにどこかソワソワと落ち着かない気持ちになる。
アンジェ・・・
何度も誰かを呼ぶ声に心地よさを感じながら私は重い瞼を持ち上げる。
瞳を開ければそこにはこちらを不安そうに見つめる紅い瞳と視線が合う。
少し長めの黒い前髪が右の瞳を隠してしまっているが、片方の瞳だけでも充分こちらを心配しているのが伝わってくる。
彼を私は知っている気がする、誰だっただろうか?電車の中で会う片思いの彼と似ている気がする。
電車?
電車てどんなものだったかしら?あれ?私は誰だったかしら?
「アンジェ?大丈夫か?怪我は無いか?」
アンジェ?
思考が追いつかない、私が誰なのか分からない、アンジェとは誰?私は由香里じゃなかった?でも彼は私をアンジェと呼んでいる。
色々な記憶が頭の中でグルグルと混濁してどれが自分なのか分からない。
電車、馬車、スマフォ、ドレス、制服、王宮、学校、魔力、勉強・・・
「アンジェリーク!」
グルグルと目が回る中はっきりと私の名前を呼ばれて、私は現実に一気に引き戻される。
そうだ私はアンジェリーク=アライス、アライス侯爵家の長女で私を不安そうに見つめる彼、カミーユ=ベクラール第一王子の婚約者だ。
ゆっくりと腕を持ち上げて不安そうにこちらを見つめる彼の顔を包み込むように手を添わせると、隠されていた右の瞳が晒されて、紅い双眸がこちらを不安そうに見つめている。
「カミーユ様」
名前を呼べば不安そうに見つめていた彼の瞳が安心したように緩められる。
「アンジェ、大丈夫か?怪我はないか?」
「大丈夫です」
私の返事を聞くと小さく息を吐き出した彼は私を強く抱きしめ『良かった』と呟く。
暖かな温度が私を包み込みその心地よさに私は安心して何が起こったのか思い出す。
七色の羽を見つけてそれを手にした瞬間黒い靄に包まれて気を失ってしまった。
少し頭が重い気がする、それがあの靄のせいなのか夢のせいなのか分からない、でも気を失っている間に見た事は私が由香里だった時に現実に起きた事、前世の私が短い一生を終える瞬間の記憶。
今なぜこのタイミングで前世の自分の事を思い出したのかは分からない、何か意味があるのかもしれないが・・・
そこまで考えて私は前世の私を殺した彼が私をサラと呼んでいたことを思い出す。
自分自身サラと言う名前に何かを感じるようなことは無い、だが前世の自分がよく見ていた夢が深く関わっているような気がしてならなかった。
前にカミーユ様が我が家で話した夢の話と前世で見ていた夢の話は共通する事が有る、それだけではない私はあの時何故かカミーユ様の夢の中で死んだ女性の気持ちが理解する事が出来た。
カミーユ様が見ていた夢はこれから起こりえる話ではなくもしかしたら前世の事なのかもしれない、そんな事を思ったが答えは何も分からない。
「アンジェここまで転移してきたはいいのだが、この森は何やら怪しい魔法がかけられているようだ、ここに入る事は簡単だったのに出ようと転移魔法を試みたがどうにもうまく魔力を練る事が出来ない」
思考に入り切っていた私を心配そうに見つめていたカミーユ様が申し訳なさそうにこちらに見つめている。
今私がこの得体のしれない森の中に居るのは私の軽はずみな行動が引き起こした事で、それに彼を巻き込んでしまったことに今気づいて申し訳なくなってしまう。
彼はこの国の第一王子で次期国王になる人なのに、こんな得体のしれない森に居ていい人ではない。
「カミーユ様申し訳ありません、私が軽はずみな行動をとった為に巻き込んでしまいました」
「婚約者が危険なところに連れ去られたんだ助けに来るのは当たり前だろ、ここに来ることを選んだのは俺自身だアンジェが気に病む必要はない」
優しく微笑みかけてくれる彼に私の中の不安が少し薄れた。
昼間だと言うのに薄暗い森の中、あたりを見渡しても何か目ぼしい目印やここがどこなのかわかる物は何もない。
「取りあえず何処か安全な場所に移動しなければならないと思うのだが、ここが何処か分からないむやみやたらに動くのも危険だろうな」
彼の判断は正しいと思う、私を攫った人の目的は分からないがこの場所が安全でない事は確かだ攫った犯人が近くに居る可能性もある、だからと言って目的もなく森の中を彷徨うのも得策でもない。
二人で辺りを見回すが、鬱蒼と木々が生えているだけの森の中では何か目ぼしい物を見つけることもできない。
この場所が何処で離宮からどれほど離れているのか分かれば対処もできるだろうにと思っていた時何かが近づいてくる音が聞こえた。
「アンジェ俺から絶対に離れるな」
私を背に隠し音が聞こえるほうに視線を向けたカミーユ様は何やら小さく詠唱して私ごと金色の透き通るガラスのようなもので囲い込んだ、それは彼が作り上げた結界だと私はすぐに気づく。
私の魔法は戦闘能力が高いが、このように自分自身を守ったりする結界などを作ることは出来ない、金魔法は何でもできる便利なものだと聞かされてはいたが結界すらもいとも簡単に作ってしまえるのには驚きだ。
ガサガサと何かが近づく音はすぐ近くまで来ている、結界で守られているとはいえ何が近づいてきているのか分からない今恐怖を感じるなと言うのは無理な話だ、カミーユ様も体を緊張させ音のする方を見つめている。
音は私達の近くまで来ると不自然に木々が揺れて、そこに有るはずの木々が何かをよけるように移動する。
普通ならあり得ない事に私も彼も目を見開き今起きている現象をただ見つめる事しかできなかった。
「おや?驚かせてしまったかな?」
不自然に木々が移動し開けたその場所に七色の角を持つ獅子のような見た目の魔獣佇んでいた。
「カーラ様!」
魔獣の森にすむ魔獣の長カーラ様がこちらを心配げに見つめていた。
「彼が魔獣の長?」
カーラ様と会ったのは私とお兄様のモーリスに私の侍女のアンナだけだ、カミーユ様はその姿を私から聞いてはいたが実際に目にするのは初めてなのだから驚くのも無理ない。
「取り乱して申し訳ありません、お会いするのは初めてでしたね、カミーユ=ベクラールです、お会いできて光栄です」
カミーユ様が驚いたのは一瞬で直ぐに結界を解いてその場に立ち上がり胸に手を当て頭を下げてカーラ様にあいさつをしている。
「会うのは初めてだな、会えた事私も光栄に思うよ、こんな形で無ければ良かったが」
カーラ様の言う通りこんな状態で無ければ色々と話も弾んだだろうけど、今は緊急事態で悠長世間話をしている時ではない。
カーラ様がここに現れたと言う事は、ここは魔獣の森なのだろうか?私が前に訪れた時は確かに薄暗く不安にはなったがこんなにも禍々しい感じはしなかったと思うのだけれども?
「カーラ様がここにいらしたと言う事は、ここは魔獣の森なのでしょうか?」
私の質問にカーラ様は首を左右に振り否定した。
「魔獣の森ではあるがここはアンジェリーク様が来た森とは違う、魔獣狩りが行われていた魔獣の森で正確には迷いの森と呼ばれるところだ、私は全ての魔獣の森と繋がっているので転移でどの森にも一瞬で移動できる、人気が少ないところでも私のような者が闊歩していたら人は恐ろしいと感じるだろ」
確かにカーラ様のように大きな魔獣が人里から離れたところでも歩いていたら人々は恐怖を感じてしまうだろう。
「迷いの森となると王都からかなり離れていますね、転移しようと先ほどから何度か試しているのですが妨害されているのか上手くいきません、他の魔法は使えるのですが」
眉間に皺をよせ困ったように話すカミーユ様にカーラ様は辺りを見回し忌々しそうな表情をする。
「森全体に闇魔法がかけられているな、入るのは容易だが出るのはなかなかに難しそうだ、おそらくカミーユ様がアンジェリーク様が攫われる瞬間妨害魔法をしたおかげで彼女はこの場所に居ただけで、攫った本人は自分自身の所に連れてくるはずだったんだろう、犯人がどこまで今の状態を理解できているかは分からないが、アンジェリーク様を探しているのは気配で私には分かるからな、悠長にこの場所に留まるのはあまりよくなさそうだ、この森の事は理解している、森の出口前行けば妨害も無いだろう付いてくると良い」
この場所が何処なのか出口はどこなのか全くわからなかった私達にとってカーラ様の案内はとても助かる、しかしカーラ様は何故私達がこの場所にいる事が分かったのだろう?それにカミーユ様も何故この場所に私が居ると分かったのだろうか?
不思議そうな表情でもしていたのかカミーユ様が優しく話しかけてきた。
「カーラ様が君の居場所を探る方法を教えてくれたんだ、おかげでこうしてアンジェの所に来ることができた」
どんな方法なのかは分からないがカーラ様はさすが長生きしているだけある何でも知っているのだから凄いと素直に思う。
「私はこ奴等に君たちの場所を教えてもらって来ただけだがな」
カーラ様が彼の肩に止まる二体の七色の翼の魔獣の方に視線を向けて教えてくれた。
同じ姿形の魔獣はどちらがピーちゃんなのかは分からない、でもピーちゃんのおかげでカーラ様がここまで来てくれたのだからピーちゃんには感謝してもしきれない。
カーラ様に続く様な形で森の出口へと向かいだした私達は、あたりに細心の注意をしながら森を進んでいく。
鬱蒼と木々が生えている森の中は体の大きなカーラ様では歩きにくそうに見えるのに、不思議なことに何の迷いもなく木々をよける事も無く真っ直ぐに進んでいく。
カーラ様が私達の前に姿を現した時のように根付き動くことが無いはずの木々がカーラ様を避けてくれるからなのだが、本当に不思議な現象だと思う。
迷いなく真っ直ぐに歩いていたカーラ様が不意に足を止める。
「どうかされましたか?」
足を止めたカーラ様に不穏な気配を感じたのか、カミーユ様が険しい表情でカーラ様に話しかける。
「どうやら犯人に我々の事がばれたようだ」
鋭利な刃物のような視線をカーラ様が向ける先に人影が現れる。
私の記憶には微かにしかない人物が無表情でその場に立っていた。
表情は無いのにその眼だけは薄暗い森の中で獣のように光カミーユ様をただ見つめている。
「サムソンやはり犯人はお前だったか」
微かな記憶の中にある彼は身嗜みを綺麗に整えていたはずだが、今目の前に居る彼は無精髭を生やし貴族だったとは思えないほど髪も服装も乱れている。
「今回は兄さんに邪魔されるのかよ、僕の邪魔ばかりするよな貴方は」
サムソンはカミーユ様を見つめながら彼を兄さんと呼ぶ、だが彼の年齢からいってカミーユ様は彼の兄になるはずがない、彼はもう既に四十を過ぎているはず息子ほども年齢の離れているカミーユ様が兄のはずが無いのだ。
「何わけの分からない事を言っている、俺はお前のような弟を持った覚えはない俺の弟はアンセリムだけだ」
テレーズ様の話ではサムソンは前世の記憶があると言うだが前世の彼に兄弟がいたかは分からない、そこで私は前世の自分が殺された時の事を思い出す、あの時彼は兄の話を前世の私に語っていた、兄がなんでも持っていると苛ついていた。
カミーユ様はもしかしたらサムソンの前世の前世で彼の兄だったのかもしれない、だが前世の前世の記憶を私もカミーユ様もそこまで詳しくは知らない、カミーユ様に至っては前世の記憶とも認識していないだろう。
「お前は何も覚えてないんだ・・・」
忌々しそうにカミーユ様を見るサムソンの視線はどこまでも冷ややかで何を考えているのか分からない。
「悪いが俺にとって今の人生が大事なのでなお前のように前世に囚われて生きるつもりはない」
カミーユ様のハッキリとした返答にサムソンの表情が忌々しそうに歪む。
「お前はいつもそうだ僕を苛々とさせる」
怒りを孕んだサムソンの目に狂気じみたものを感じる。
その視線に私は前世由香里だった時のあの光景を思い出す、私の体に何度も包丁を刺した彼と今の彼が重なって見える、見た目は全然違うのに同じ人物なのだと認識したとたん私の体は恐怖に支配される。
グルグルと体の中を魔力が渦巻いているのが分かる、このままでは魔力暴走を起してしまうと必死に渦巻く魔力を抑え込もうと思うのに、渦巻く魔力は一向に思い通りにはなってくれない。
右の口の端を吊り上げて狂気に満ちた笑い顔で何度も私を刺し続けた彼の顔を振り払って心を落ち着かせたいのに、あんな顔を思い出したくもないのに脳裏に張り付いたあの顔を拭い去る事が出来ない。
「アンジェどうした?」
私の異変に最初に気づいたのはカミーユ様だった、私を背に庇い守っている彼が私を心配して視線を向けて声を掛けてくれるが、目の前にはサムソンが居る彼が何を仕掛けてくるかは分からないのだから完全にこちらを向くことは出来ない。
「だっ・・・大丈夫です」
何とか絞り出した声はどこまでも頼りなく、大丈夫でない事は一目瞭然なのだが、それでもカミーユ様達の足を引っ張るような事にはなりたくない、ただその思いだけで声を絞り出した。
「魔力暴走を起しかけている・・・ここは私が彼の相手をいたそうカミーユ様はアンジェリーク様を落ち着かせることに専念していただこう」
何で私はあの時殺されなければならなかったのか?
生まれ変わってまで何故彼に執着されなければならないの?
私はただ普通に幸せになりたいだけ。
好きな人と色々な話をしたりしながら絆を深めて愛し合いたいだけなのに。
家族と色々な事を共有して楽しく過ごしたいだけなのに。
何でこんな事になるの?
何で前世に縛られなければならないの?
私はサラでも由香里でもなくアンジェリークとして幸せに生きたいだけ。
なのに何故それを彼は許してくれないの?
心を落ち着かせようと思うのに渦巻く魔力のせいかそれをさせてはくれない、自分が何故こんな事になるのだと理不尽ではないかと心が暴走し始める。
「アンジェ落ち着くんだ!朱の魔法で魔力暴走を起せば自分自身も傷つける、俺はアンジェに傷ついてほしくはない」
私達をかばう様にカーラ様がサムソンと私達の間にその大きな体を挟み私達を守るようにしてくれる。
カミーユ様は暴走しだした私の思考を必死に落ち着かせようと声を何度もかけてくれる、だけど私の頭の中は理不尽だともうこんな事から解放されたいとそればかり頭の中で渦巻いて、カミーユ様の声が聞こえなくなっていく。
私が貴方に何をした?
私は私の幸せを願っただけじゃない。
何故それを貴方は邪魔するの?
何故?何故?何故?何故?
朱色の魔力が私の中では収まらなくなったのか、私自信を包み込むように広がっていく。




