私に素うどん食べさせて!
講義が始まるまでの、今までは退屈そうにスマホを眺めるだけだった僅かな休憩時間。最近は講義室の一角でお喋りをしている女子達を眺めることが、というか稲本さんを眺めることが多くなった。
「昨日の見た? ダンス凄かった!」
「見た見た、ボックスが凄かった」
昨日やっていたらしい音楽番組の話で盛り上がっている彼女達。この前牛丼屋で彼女が言っていたことが本当ならば、あそこにいる彼女は精一杯明るさを演出しているだけで、実際にはそこまで音楽番組に興味は無いだろう。話題に乗り遅れないためにテレビ番組を見るなんていう、現代社会の闇とも言える部分。テレビ番組を見るだけで友達の輪に入れるのならば、仲良くお弁当を食べながら語り合えるならば、学生時代の俺はずっとテレビを見ていたのだろうけど。
「こないださ、駅の裏にある地下街にあるイタリア系のバルに彼氏と行ったんだけどさ、そこのタパスが美味しくってさ」
「え? え? どんな感じの?」
よーく観察すると、食事関係の話題になると稲本さんのテンションがアップしているように思える。この後の展開が何となく想像ついたので、俺はそのイタリア系のバルとやらの情報をスマホで調べ始める。そのうち講義がスタートして、講義が終わって、彼女達とは受けている講義が違うので別の場所に向かって、女子達を眺めていたことを男子に冷やかされたりして、青春っぽさを満喫していた。そして午前の講義が終わり、各々が学食に行ったり、外に食べに出かけたりする中、俺はいつものように牛丼屋で人目を気にせずに食事をして、大学に戻って人を待っているフリをしながら学食の中を覗く。稲本さん達のグループの席には食事が置かれているが、彼女達はほとんど食べずにペチャクチャとお喋りを楽しんでいるようだ。稲本さんはお喋りよりも目の前のご飯を食べたいらしく、お喋りに参加しながらタイミングを見計らっているように見えた。なんだか待てをされている犬みたいだなあと、ストーカー行為をしていることから目を背けつつ、ほのぼのと昼食の時間を満喫するのだった。その日の夕方、最後の講義を終えて18時になり、丁度腹も空いて来たところで彼女からSNSが送られてくる。
『この後時間取れますか?』
土日はバイトをしているが、平日ならば幸か不幸かいつだって暇だ。見たいテレビがあったって、やりたいゲームがあったって、女の子からの誘いを断れるほど俺は経験値が高くない。経験値が高くないことを自覚しているからこそ、事前に調査だってして計画を練ることができる。俺は彼女からのメッセージに、講義で話していたバルのサイトを添付して返した。
『ここのバルは夜は7時からだね。個室もあるみたいだから人目を気にする必要はないんじゃないかな。タパスは肉盛りが有名らしいけど、稲本さんには量が多いと思うから半分は手伝うよ』
友達からバルのタパスの事を聞いて目の色を輝かせた彼女が一緒に行きましょうと誘って来ることは想像に難く無かったので、事前にやっている時間や店の内装、混み具合、オススメのメニューを講義中にずっと調べていたのだ。その甲斐あって、彼女を待たせることなく即返信することができた。『何で私の言いたいことがわかったんですか? 超能力者なんですか?』という彼女の驚きを期待していたのだが、返ってきたのは、
『いえ、学食に行きたいんですけど。普段使ってるとこじゃなくて、遠くの』
なんていうイタリア系バルやタパスとは全く関係ないお願い。予想が外れてしまい、女子達の会話を盗み聞きした挙句デートの算段をしていたうやべえストーカー男という印象を与えてしまった現実に打ちひしがれながらも、車があるから一番遠いところに行こうと紳士らしさを演出するのだった。
「こっちは初めて来ました。農学部とかがあるんですね。ってことは学食も農学部っぽいメニューに!?」
「いや、メニューは変わらないはずだよ。その代わり昼しかやってないけど喫茶店とかレストランとかがあっちにあるね。あそこのレストランは農学部と連携しているそうだよ」
それなりに広い俺達の通う大学は、講義室と講義室の間が離れていて、車で移動することも珍しくない。知り合いなんて見つからなそうな大学の僻地まで来た俺達は、既に閉まっている牛舎や鶏舎、レストランを眺めながらも学食へと吸い込まれる。学食は普段から彼女は友達と使っているだろうに、そんなに人前では食べづらい料理を学食が置いていたのか? と気になっていたのだが、彼女が注文したのは、
『素うどんを』
女の子らしくない、貧乏臭い注文だった。確かに友達と一緒にご飯を食べに行って素うどんを注文するのはアレだけど、だからってわざわざ……と思いながらも、お腹も空いて来たので彼女に乗っかって、素うどんを2つ注文するという貧乏臭さの極みを発揮する。しばらくして、人もほとんどいない学食の机に、素うどんが計3つで390円の食卓が完成する。
「こ、これが素うどん……。130円でうどんが食べられるなんて、驚きのコストパフォーマンスですよ。自販機のジュースと同じじゃないですか、うどんは飲み物ですか?」
「カレーは飲み物って言うしねえ。しかしなんでまた素うどんを。実はお金無いの?」
彼女の私服は俺からすればオシャレに見えるし、話を聞く限りでは定期的に友達とカラオケに行ったりとリア充生活を楽しんでいるようだが、夕食は素うどんを食べないといけないくらい友人の輪に入るための出費は案外厳しいのだろうか。
「ちゅるちゅる……いやー、そういう訳ではないんですけど……漫画で、貧乏な学生が素うどんだけ食べてるシーンとか見て、無性にやりたくなりまして」
「そんなもんかね……ずるるっ」
「あ、いいですねその食いっぷり、これぞ漫画の1シーンって感じで。あと、コンビニとかに売ってある、何本も入ってるのに100円くらいのスティックパン。今度あれを買って、自分の部屋でもさもさと食べようかと」
「ぐふっ……」
「大丈夫ですか?」
ちゅるちゅると素うどんを啜りながら理由を話し始める彼女。何の漫画が気になりながらも、そういう理由で素うどんを頼んでいるのなら、一心不乱にガツガツ食う方が漫画っぽくて好印象だろうと安心して素うどんを啜っていたのだが、彼女の口からスティックパンという単語が出てきた途端にトラウマを発症してしまいむせてしまう。学生時代、彼女のような小柄な子がコンビニのおにぎり2つで満足しているのを眺めながら、スティックパン2袋をもさもさと食べ続けていた俺の悲しみは、彼女が自分の部屋で独りスティックパンを食べた程度では理解できないのだろう。
「……チョコチップだ。100円の味の無いスティックパンよりも、150円するチョコチップ入りのスティックパンの方がいい。俺がそれに気づいた時は、既に高校卒業を控えていたんだ……それに、あの時の俺は『たくさん入っているからお得』だなんて考えていたけれど、世の中には1つだけでも満足感のあるものもたくさんあったんだよ……シフォンケーキとか、デニッシュとか」
泣きたい気持ちを抑えてお茶を一気飲みし、彼女が一人前の素うどんを食べ終わるより先に二人前の素うどんを完食し、スティックパンの大先輩として彼女にアドバイスをする。彼女もそのうち素うどんを食べ終わり、帰りにコンビニかスーパーに寄って菓子パンを眺めてきます、と手を振って去っていった。身体は大きくても、車でついでに家まで送っていくよなんていう勇気はどこにも無いし、そもそもそんな勇気を発揮しないといけない程に俺は彼女を想っているのかすらわからない。俺以外誰も客のいなくなったその食堂で、悩んでいるうちに物足りなく感じた俺は素うどんをもう1つ注文するのだった。