私を牛丼屋に連れてって!
「うっす吉澤。どうした、何か幸せそうだな」
「……まあ、色々あってな」
「彼女が出来たのか?」
「そこまでは行ってない」
「あんま女にがっつくなよー、お前見た目がガツガツしてそうだし」
翌日。普段より幸せそうな表情をしていることを読み取ったのか、友人達が話しかけてくる。『女の子とアドレス交換した』と言いたいところだが、俺にとってはそれが貴重な経験であっても、普段から女子達と飲み会やらに行っている周りにとってはきっとそうではないのだろう、言ったところで恥をかくだけだと胸の内に秘めておく。そうこうしているうちに、講義室に女子達が入ってくる。その中には、彼女もいた。
「それでさ~」
「え~マジで~」
稲本さんは俺の方など全く見ておらず、女子達とキャッキャウフフな会話を楽しんでいる。そりゃそうだ、昨日まで俺の名前すら知らず、ただ牛丼屋に一人で行くのが恥ずかしいから何て理由でアドレス交換をしただけの存在なのだから、日頃から意識するわけが無い。けれども青春とは無縁だった俺にとっては、そんな理由でアドレス交換をすることも、そんな理由で女の子と一緒に食事を楽しむことも、初体験。彼女がそう思っていなくても、俺にとってはデートになるのだからと講義中にイメージトレーニングをしている最中、スマホがブルブルと震える。どうやら彼女からSNSが来たらしい。
『昨日の約束なんですけど!』
中高生時代は真面目に授業を聞いていたが、それは真面目な人間だからではない。授業をサボって笑い合えるような存在がいなかったから。例えこのやり取りが原因で単位を失ったとしても構わない、と決意を固めつつ、どう返したものかと悩む。SNSなので顔文字を使ったって絵文字を使ったっていい。けれども現実問題俺のようなでかい男が顔文字やら絵文字やらを使うのは気色悪いのでは無いだろうか。しかし世の中にはギャップ萌えなる言葉もある。どうしたもんだかと悩んでいるうちに時間は刻一刻と過ぎていき、このままでは俺は既読スルーをする冷たい男となってしまう。大事なのは顔文字や絵文字ではない、相手への気遣いだと悟った俺は教授にバレようが構うものかと猛スピードでスマホをタップし続けた。
『稲本さん門限あったりする? 牛丼屋って深夜もやってはいるから、入るのに抵抗あるなら人の少ない時間帯の方がいいとは思うけど』
気遣いとしては十分だが、いきなり深夜のお出かけに誘うというのは全身下半身と受け止められても仕方がないんじゃないか? と送信してから気づき一人頭を抱える。嬉しいやら悲しいやら彼女は全くそういった事を意識していないらしく、
『一人暮らしなので大丈夫です! 確かに深夜なら人目気にしなくても大丈夫ですね! それにしましょう!』
そんな返事がすぐに返ってきた。まあ、別に俺は彼女に一目惚れしたとかそういうわけではない。彼女が好みのタイプかすらわからないほどに、今まで青春とは無縁の生活を送ってきた、ただそれだけだ。向こうが友達感覚で付き合ってくれる方が、俺も自然に振舞える。それに深夜に彼女と食事をするというのは、俺にとって都合が良かったりする。『大学終わったらすぐに行きましょう!』なんて流れになったら、彼女の目の前で俺はいつものようなペースで牛丼を平らげて引かれてしまうことだろう。意識して食べ方を変えられるほど、俺は器用な人間ではない。けれども深夜なら、時間にブランクがあるのなら、
「牛丼の……キングサイズを」
こうして事前に腹いっぱい食べておくことで、食事のペースを落とすことができる。大学が終わり、お腹いっぱい夕飯を平らげて、まだ消化しきれておらず、それなりに時間かけて並を食べる程度が精一杯なバランスで、約束の時間につい数時間前に来たばかりの牛丼屋へ赴く。
「あ……吉澤さん。どうも」
「ごめん、待たせちゃったかな」
「いえ、大丈夫です」
既にお店の前では、マスクとサングラスをしていない、日頃大学で見かける服装の彼女が待っていた。俺の後ろに隠れるように入店し、店内をキョロキョロと見渡す彼女を微笑ましく眺めながら、向かい合った席について彼女にメニューを手渡す。
「牛丼だけじゃなくて、豚丼とか、鳥そぼろ丼とか、色々あるんですね」
「ここはバラエティ豊かな店だね。おっさんしか来ないイメージあるかもだけど、お出かけ帰りで深夜になった家族連れとかも来るからさ。サラダ牛丼とかあるし、稲本さんが思っているよりも、女の子一人でも入りやすいんじゃないかな?」
「なるほど……でも、やっぱりまずは普通の牛丼ですよね。えと……その……」
メニューを見ながら、口ごもる彼女。ははーんと悟った俺は颯爽とベルを鳴らし、お茶を2つ持って来た店員に向かって特盛を注文する。深夜で客が少ないこともあり、1分と経たずにそれはやってきた。
「はい」
「?」
普通の女の子には少し多すぎるその丼を、スッと彼女の目の前に差し出す。きょとんとする彼女に、俺だけは君のことを理解しているよとでも言いたげな微笑みを返した。
「大食いキャラなんでしょ? いいんだよ、どんなサイズでも俺が代わりに注文してあげるよ」
「違いますよ!? トッピングに悩んでただけです」
「えっ……それは失礼」
しかし実際のところは理解なんてしていなかったらしい。気づかないうちに漫画とかの読み過ぎで『小柄で食べるのが好きな女の子は大食いキャラ』なんていう先入観を持ってしまっていたようだ。早とちりは良くないな、と自分で注文した、今の俺の腹具合的には流石にしんどいそれを、戒めとばかり食べ始める。丁度いいどころか若干遅いくらいのペースだが、彼女がずっとメニューとにらめっこしていたのもあって、特に困るようなことにはならなかった。結局ネギ玉牛丼という無難なチョイスを選択した彼女は、目の前に差し出されたそれを写真に撮ることなく、両手を合わせて食べ始める。
「……! ん~、ほいひいです……米と肉と玉ねぎとねぎと卵……栄養機能食品と言っても過言ではないバランスですね」
「ところで気になってたんだけど……テンション低い? 眠いの?」
「……」
初めて食べるのかはわからないが、牛丼を満足そうに頬張りよくわからない感想を述べる彼女。食事中に会話をするのはマナー違反なのかと考えながらも、気になったので疑問をぶつけてみることに。大学での彼女のテンションは、SNS上での彼女のテンションは、スクールカースト上位のグループにいがちな女子というか、もっと高かったはずだ。彼女はうぐっと言葉に詰まりながらも、牛丼屋デビューに付き合ってくれた恩義もあるしとばかりに、ため息をつきながら話し始めた。
「……これが、素ですよ。周りに誰かがいないと、何もできないし、人目を気にしてばかりで、イケてる女子の輪に入るのに必死で。恥ずかしくて、一人じゃ食事も好きにできない。……ごめんなさい、愚痴ってしまって」
ギャップ萌えというやつなのだろうか、彼女が俺にだけ弱みを見せてくれたような感触にときめいたのか、彼女が勇気を出して言ってくれたのならば俺も言わねば失礼だとでも思ったのか、自己嫌悪し始めて俯きながら震え始める、今にも泣きそうな彼女に精一杯、似合わない笑顔を送る。
「ははは……ある意味似た者同士かもね、俺達」
「そうなんですか? 吉澤さん、身体大きいし、堂々としてそうですけど」
「意外とナイーブなんだよ。身体がでかいからさ、人一倍ガツガツ食っちゃうんだよね。そういうのが恥ずかしくて、逆に俺は他人と食事ができないんだ。実を言うとここに来る前に、結構飯食ってきたんだよ。ガツガツ食わないようにさ」
「そうだったんですか? すみません、私のわがままのせいで……」
「いや、いいんだよ。俺も久々に誰かと食事が出来て楽しかったよ。ご飯が冷めちゃうと美味しくないよ、そろそろ食事に戻ろうか」
お返しとばかりに俺も彼女に弱さを語ったが、それが彼女の母性本能とやらをくすぐってときめかせるなんてこともなく、何だか気まずい空気になってしまう。その後は黙々と食事を続けて、同じタイミングで完食して、無理に奢ってこれ以上彼女を委縮させてしまうのも悪いかなと、何も言うことなく、自然な流れで個別清算して、二人して店の外に出た。
「あの、今日はありがとうございました。……」
「こちらこそ。……」
「……ふふっ」
「……ははっ」
ペコリとこちらに頭を下げた後、何か言いたそうに、恥ずかしそうに口ごもる彼女。どう足掻いても彼女を見下ろす形になってしまいながらも、経験不足からか言葉が出ずに恥ずかしそうに口ごもる俺。お互い考えていることは一緒だとお互い悟ったのか、その先を言うことなく、少しだけ笑い合うと、俺達は背を向けて、それぞれの帰路に向けて歩き出した。こうしてグルメでもない、恋人でもない、よくわからない関係が始まったのだ。