私に前菜を食べさせて!
俺……吉澤一色は昔から、身体が大きかった。
男の子にとって身体が大きいというのはそりゃあメリットだ。
当然のようにガキ大将にだってなれたし、スポーツだって活躍できた。
が、中学生、高校生あたりになってデメリットが出てきた。
とにかく腹が減るのだ。ただでさえ食欲旺盛な成長期、人一倍身体の大きな俺は常に飢えていた。
毎朝親からお金を貰って自分で昼食を買うタイプの家だったが、全額使うなんてことは勿論しない。
なるべくなら貯金して、漫画やゲームを買う資金にしたい。皆そんな感じで毎日お小遣いを増やしたはずだ。
だが俺は他の連中よりも食う量が多かったから、必然的に昼食に選ぶのは、味なんてほとんどないがとにかく安い、スティックパンを2袋だとか、そんな悲しいチョイスだった。
食事を楽しむなんて感情はそこにはない。ただ空腹感を満たすための行為。
つまらなそうに、けれどもがつがつとパンを貪るその姿は、菓子パン2つとジュースで満足するようなそこらの男や、小さなお弁当で会話をおかずに昼食を楽しむ女子からすれば受け入れ難いものだったのだろう。
机を合わせて談笑しながら食事を採っていた友人達の輪の中から、気づけば俺は消えていて、お昼に自分の机で黙々と食事をするような子になって、自然と孤立していた。
大学生になって食欲もある程度は落ち着いたが、そういった経緯から俺は食事に一種のトラウマを抱えていた。大学で新しい友人を作ることはできたし、アルバイトとかでお金に余裕もできて、美味しいご飯をそれなりに楽しむことが可能になった。けれども俺は誰かと一緒に食事をするという行為が出来なかった。自分が食事をしている様子を見られたら、あの時のように引かれてしまうんじゃないかって。
「っしゃー午前の講義終わりー! うーし、学食行くべ学食」
「俺午後ねーからミールカード全部使うわ」
「まじか! デザート奢ってくれよ」
「ねーねーあそこのパスタ屋さん行かない?」
「いいねいこーいこー。リサも行くよね?」
「ごめーん、あそこ混んでるし、アタシ1時から講義だからパス。最悪間に合わないし」
「あーそっかー、じゃああそこ行かない? ほら、デパートの中の……」
午前の講義が終わり周りがそれぞれ食事のために皆で移動する中、俺はそそくさと教室を出て、コンビニでスティックパンを一袋とコーラを買い、大学近くにある自分のアパートでそれをもしゃもしゃごくごくと飲み食いする。さっきは自分で『新しい友人』なんて言っていたが、一緒に飯も食えない関係を友人関係と呼べるのだろうか。一緒の教室にいるだけの、講義前にちょっと話すだけの関係は、何て呼ぶのだろうか。そんなことを考えているうちにあっという間に目の前の食事が消える。なかなか早食いは治りそうにない。例え恋人が出来たとしても、一緒に食事をして、彼女より多い量を注文したのにすぐに平らげて、やることないしとスマホをポチポチしていては、すぐに愛想を尽かれてしまうだろう。
午後も講義が終わるので大学に戻るが、まだ30分も時間がある。悩んだ末に、俺は学食へと向かった。学食へ入るわけではない。学食の外から中を眺めて、美味しそうにご飯を楽しむ連中を眺めて、つまりは予行演習だ。まあ学食の外から中を眺めるくらいなら、誰かを待っている人に見えるだろう、決して俺は不審者ではないと自分に言い聞かせながら中の様子を伺う。お金が無いのかかけうどんだけ食べている男と、そいつのトレーにそっとおかずを置いてやるミールカード持ちの男。1つずつケーキを頼んで、皆でちょっとずつ好感している女達。ああ、羨ましい。
「……」
ふと、窓際にいた女の子がこちらを向く。俺とは違って小柄な、まあそこらの女子大生なんて俺からすれば小柄なのだが、それを加味しても小柄な子だ。あのくらい小さければ、すぐに空腹を満たせるだろう。高級料理をちょびっとだけ買って楽しむようなこともできるだろう。羨ましい限りだ。
「……」
窓際の彼女も何か人がいるな、程度にしか考えていなかったのだろう。すぐに目の前の食事に、目の前の学友とのお喋りに戻る。やっぱり人の食事をじろじろ見るのはよくないよな、と俺も次の講義の前に教室へ向かうのだった。
「あー腹減った。お前今日車だっけ? あそこの居酒屋行かね?」
「おーいいよなあそこ。お洒落だし。おーいお前ら、俺達これから居酒屋行くんだけど一緒にどうよ?」
「あー知ってる! すっごいインスタ映えするんでしょ!? 行く行く!」
「お酒の種類も多いって聞くしーゴチになりまーす」
「奢るとは言ってねーぞ」
午後の講義が終わり、講義の前は談笑していた学友達が、もう俺を誘うことすらなく、女の子達と夜の街へと繰り出していく。悔しさやら情けなさやら、色んな感情に心を押し潰されそうになる。こういう日は、外食に限る。大学を出た俺は、近くにある牛丼チェーンへと向かった。
「メガのサラダセットを」
牛丼屋はいい。俺のような人間がいても目立たない。ここにはお上品に食べるレディなんてまずいない。会社帰りのサラリーマンや、体育会系の大学生が、俺とそこまで変わらない連中が、目の前の肉と米を貪っている。違いがあるとすれば、彼らは俺と違って、別の場所では別の食事の楽しみ方ができることくらいなものだ。
「お待たせしました。メガ牛丼のサラダセットになります」
カップラーメンよりも早く目の前に置かれたそれに手を付けて、カップラーメンよりも早くそれを食べ終える。やっぱり早いか。スマートフォンでも眺めながら食べるのが、現在っ子としては正解なのだろうか。セルフサービスのお茶をゴクゴクと飲み干して、会計に向かうために席を立ち振り返ったところで、
「……」
窓の外にサングラスにマスクという、いかにもな不審な人間がいるのを目撃してしまいむせてしまう。なんだあいつは。見た感じ女性だろうか。誰かのストーカーでもしているのだろうか。見なかったことにしようと目を逸らすが、
「……!」
相手の方は俺に見られたことに気づいたらしく、即座にその場から逃げ出す。何がしたかったんだろうあの人は、と再び逃げる不審者の背中を眺める。あの服、どこかで見たような。いや、あの体系もどこかで見たような。デジャヴに悩まされながらも、会計を済ませて家に帰り、おっさんが一人で飯を楽しんでいる漫画を読みふける。俺にはこうはなれそうにない。孤独が平気な人なんて、そんなにいないんだ。
「……あの子だ」
翌日。講義のために教室に入り、講義中だけの学友達の輪の中に入り辺りを眺めていると、昨日感じたデジャヴの原因が判明する。間違いない。昨日の不審者は、あの時学食で俺と目が合った、今同じ講義を受けている、同級生らしきあの子だ。
「どうした吉澤。目当ての女がいるのか?」
「いや、その、目当てというか……あのちっこい子がな」
「ああ、あの子ね。彼女は稲本果林さんだね。まあ見ての通り、イケイケ系女子グループの一員だな。ちっこいが確かに可愛いな。だが、お前には不釣り合いだと思うぞ?」
「誰も付き合いたいなんて言ってないだろ。お嬢様なのか?」
「いや、体格差がありすぎて、裂ける」
「アホか」
名もなき友人達のおちょくりやセクハラは無視して、お洒落そうな女の子達と一緒にキャッキャと話をしている彼女を見やる。絶対昨日の不審者はあの子だ。いくらサングラスやマスクをしていたって、顔全体が隠せるわけではない。一目惚れとかそれ以前にあんな不審な姿を見せられて気にならない訳がない。とはいえ女子集団に割って入るような勇気を持ち合わせてはいない。昨日のあの牛丼屋、他の客がどんな人かなんて覚えていないが、きっとその中に片想いの相手がいて、ついついストーキングして眺めていた、ただそれだけの事だろう。そう自己完結しながら講義を受け終えるが、やっぱり気にはしていたのだろう、自然と俺の足は牛丼屋へと向かって行った。
「メガのサラダセットを」
今日も彼女が来るなんて保証はない、そもそも目的もわからない。それでもつまらない、食も楽しめない日常を変える何かを期待していたのだろう、昨日と同じ席で、同じ物を頼んで、二匹目の泥鰌を目論んで牛丼をかっ込みつつ、こっそりと俺は後ろを振り返る。
「……」
いた。昨日と違わず、サングラスにマスク姿の不審者がそこにいた。けれども今日は俺が振り返っていることに気づいていないのか、目的が俺では無いからか、その場から逃げようとしない。俺が振り返っていることに気づいて逃げ出したのなら淡い期待を描いてもよかったんだけどな、とため息をつきながら完食し、会計をする間にまだいるのだろうか? ともう一度彼女の方を見やる。
「……! ……!」
そこには警察らしき人に詰め寄られている彼女の姿がいた。こちらは店内で向こうは店外なので声は聞き取れないが、違います怪しい人じゃないんですとかそんな感じのやり取りをしているのだろう。あんな不審者丸出しな格好でいれば当たり前だよな、と笑いつつ、会計を済ませて外へ出て、彼女と警察の間に割って入る。
「ああ、すみません。その子俺のツレなんですよ。同じ大学で。ね、稲本さん」
「……! そ、そうです! 私は稲本果林です! ほら、学生証もあります! ほら、今感染症が流行ってるじゃないですか! それでマスクしてたんですよ! サングラスは紫外線対策です!」
俺の助けもあって無事に警察から解放される彼女。警察が見えなくなったことを確認すると、ペコリとこちらに向かってお辞儀をする。
「ありがとうございました、よく一緒の教室にいる大きい人ですよね?」
「……吉澤って言うんだ。まあ、覚えなくていいよ。住む世界が違うんだろうし。誰をストーキングしてたかは知らないけれど、もう少しフランクな恰好でいることだね。それじゃあ」
名前すら知られていないという悲しい現実に心を折られながらも、ロクな交友関係が作れなかった昔に比べれば、良いクラスメイトAとして女の子の記憶に残るなんて素晴らしいことじゃないか、と自分を慰めつつその場から去ろうとする。そんな俺の裾を、彼女が後ろからぎゅっと掴んだ。
「あ、あの! 明日! 私を牛丼屋に連れて行って欲しいんです!」