どこの世界でも、スポーツマンというヤツは限度を知らない
「虐めだ。これは絶対に虐めだ」
訓練場。柔らかい砂が敷き詰められた床。砂埃が舞い、夜明け前の為に薄暗い広々とした訓練場には、二つの人影。
勇者召喚から数日が経った頃、青葉春人は一人で騎士団長の訓練を受けていた。
「ほら。まだ始まったばかりだよ!」
「うるさい! 俺は褒めて伸ばされるタイプなの! だからもっと甘やかせ!」
「泣き言言わない!」
現在、一人訓練場の内周を走る少年。
「畜生。なんで俺だけこんな目に遭うんだよ。絶対虐めだ!」
「君以外の勇者達はパーティの準備で忙しいんだ。泣き言言わないで真面目に走る」
当初は、騎士候補生の為の訓練内容を基準に、五人の勇者を鍛えていたのだが、王族に深い関わりのある貴族達が勇者召喚の情報を聞きつけ、交流を持ちたいと迫ってきたのだ。その為、勇者達は貴族との交流会に参加することになったのだが、この世界の知識やマナーを知らない彼らを、いきなり参加させるわけにいかず、準備のために、訓練を中断しているのだ。
「そもそも何で俺だけ留守番なんだよ‼」
潜在能力に明らかな異常が見られた青葉春人は、王様の命令で、参加を自粛するように指示されていた。
「多分、君の素行の悪さが問題になったのではないかな。この前も給仕の女性を口説いていただろう?」
「本物のメイドさんが目の前に居たら口説くのが当たり前だろうが‼」
勇者召喚がなされて以降、一部の兵士や家臣達との交流を繰り返した五人の間には、大きな格差が生まれていた。
まず、直接の面識がないにも関わらず貴族の子女から熱烈な好意を向けられている東正義。
次に、逞しい姿が好感を呼び、ご婦人方から高い人気を集めている西場拳翔。
そして、凛々しい佇まいから、男女共に高評価をもらっている南里輝夜。
最後に、可愛らしい仕草と容姿で、色恋に縁のない武骨な兵士達を手玉に取る北見梨々花。
青葉春人を除く四人は、自身のポテンシャルを活かし、既に城の中に確固たる地位を築いていた。
「目に付く若い女性全てに求婚し、玉砕し続けた君と違って、他の勇者達は好意的な印象を集めているというのに。台無しじゃないか」
「うっさいな、生まれた時から顔の良かったお前に俺の気持ちなんてわかるか‼」
走る勢いを落とさず、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら少年は叫んだ。
「まだ半分も終わってないよ。もっと早く!」
「くっそ~。覚えてろよ」
途中から涼しい顔で並走する騎士団長に向かって恨み言を吐きながら、青葉春人は走るペースを上げた。
「はい。取り敢えず、朝の訓練は終了」
訓練場。陽光に照らされ、騎士候補生や兵士達の鍛錬が始まり活気を見せる訓練場の真ん中で、青葉春人は大の字になって倒れていた。
「……死ぬ……」
汗と砂と鼻水で全身ボロボロの少年は、蚊の鳴く様な声を出した。
「これぐらいで値を上げてたら持たないよ。まだ全然基準に達してないんだから」
腹の立つ程爽やかな笑顔を浮かべる騎士団長。青葉春人の訓練の最中、彼以上に動いていた筈なのに、騎士団長は汗一つかかず涼しい顔で立っていた。
広い訓練場の端々から威勢の良い掛け声や金属のぶつかる音が響き、訓練場は若い生気に満ちている。
「俺、もう疲れたよ。なんだか、とても眠いんだ」
どこかで聞いたことがあるセリフが頭を過る少年。
「こらこら。昼からは座学だろ。それに、訓練だってまだ前半しか終わっていないよ」
「……うるせ~」
反論する元気すら湧かない少年。鍛錬を続ける何名かが、醜態をさらす少年に目を向けていると、訓練場の外が騒がしくなってきた。
『――――ルト様』
「……はっ!」
何かに反応するように、唐突に珍妙な動きで飛び起きる少年。
「わっ! 急にどうしたの?」
青葉春人の奇行に驚き、思わず飛び退いてしまう騎士団長。そんな騎士団長の疑問を無視し、訓練場の外へ少年は向かう。
「ラインハルト様~」
「素敵~」
勢いよく何かに躓き転倒する残念な少年。
訓練場の外には煌びやかなドレスを着た女性達が犇めいていた。
「何、あの襤褸切れ?」
訓練場の入り口で俯せに倒れている少年を指差して、一人の女性が言った。
「紛らわしい呼び方すんじゃねぇ‼」
すぐに飛び起き、貴婦人達に怒号を放つ少年。
「まぁ。なんて野蛮なのかしら」
「きっとゴブリンの親戚ですわ」
「誰がゴブリンじゃ‼」
姦しく騒ぎだす貴婦人達に、青葉春人は怒りのボルテージを上げる。
因みに、ゴブリンとは人々に害を与える害獣、魔物の一種である。
「訓練の邪魔だ、とっとと帰れ」
虫を追い払うように手を仰ぐ少年。
「わたくし達はラインハルト様に用があるの、ゴブリンは引っ込んでいてください」
「うるせぇ。帰れ‼」
睨みあう貴婦人達と少年。
「……はぁ。これ以上こんな下劣な者と関りを持つと穢れてしまいますわ」
最後に侮蔑を込めた目で見てくると、姦しく青葉春人に毒を吐きながら、貴婦人達は帰っていった。
「助かったよ。ありがとう」
いつの間にか少年の横に立っていた騎士団長。
「応援してくれるのは有り難いのだけど、周囲に迷惑をかけてしまうから困っていてね」
苦笑いを浮かべる騎士団長。集まっていた貴婦人達は騎士団長のファンだ。
歴代最年少で騎士団長に就任し、他の追随を許さない剣の才能と血の気の多い兵士や騎士達を纏め上げる統率力、そして、同性でさえ見惚れてしまう程の美形であるため、国内で圧倒的な人気を持っているのだ。
一般人の侵入を許されていないはずの訓練場付近でさえ、騎士団長見たさに人が集まる程である。
「取り敢えず騎士団長様は今すぐに名前変えて下さい」
「え、何で?」
首を傾げる騎士団長。
アオバハルトとラインハルト。名前の後半部分が同じであるため、名前を呼ばれた時、中途半端に聞くと間違うことがあるのだ。
もっとも、普通は自分の名前を聞き間違う人間などいないのだが。
「応援をしてもらっている身で、私から注意するのは心苦しいのだけど。最近は君が注意してくれるから本当に助かってるよ」
黄色い声で『ハルト様』と呼ばれ毎回反応してしまう残念な少年、青葉春人。
「……リア充爆発しろ」
心の奥底に堪る妬みの感情が怨嗟となって口をついて出る。
「今何か言った?」
「いえ、別に」
明後日の方向を向いて誤魔化す青葉春人。
「それにしても、ずいぶん体力が有り余っているようだね」
「……あ」
「昼の座学まで時間あるから、もう少し訓練しておこうか?」
憎らしいイケメンスマイルを決める騎士団長。
「そんなの、答えは既に決まっていますよ、騎士団長。……絶対、嫌だー‼」
少年は、満面の笑みを浮かべる騎士団長を前に、決死の覚悟で逃走を図るのだった。