普段から短気な人ほど、意外と打たれ弱かったりする
「……よし! あともう一周!」
森の中。重厚な鎧を身に纏う残念な少年は、息を切らせながらも気合を入れるように声を振り絞った。
「……なあ。もう、やめにせんか?」
息を整えている残念な少年に近づき、白髪オーガが言う。いつも強気な態度で、相手を威圧する覇気を纏っている筈の白髪オーガには珍しい、弱気な態度であった。
「白髪オーガのくせに何を言ってるんだ? まだ、はじめたばかりじゃんか」
「夜中からずっと走っとるくせに、何が始めたばかりじゃ!?」
ため息を溢す残念な少年の発言を聞き、激しく反論する白髪オーガ。いつもなら、少年が泣き言を言い、それを白髪オーガが注意しているのだが、見た所、今回は立場が逆転しているようだ。今迄とは違う不思議な光景である。
「ヤレヤレ、修行は死にかけてからが本番だって言うだろ?」
「誰じゃそんなことを言ったのは!」
「誰って、白髪オーガだけど」
「……儂が悪かった、頼むからやめてくれ」
首を左右に振りウザい態度をとる残念な少年を前にして、頭を抱える白髪オーガ。もしこの場に、剣鬼と恐れられていた頃の彼を知る人物がいたなら、動揺している白髪オーガの姿を見て目を丸くしていた事だろう。
「そうじゃ! マクベスの奴の修業が残っとるじゃろ! そのためにここらで切り上げて少し休め!」
「…………マクベスって誰?」
良い思い付きをしたとばかりに声を張る白髪オーガ。少し前の彼なら、修行を休めなどという言葉は絶対に出てこなかっただろう。
白髪オーガの言った聞きなれない人物の名前に首を傾げる残念な少年。魔道具店の店主の名前なのだが、どうやら、少年にとっては『ゴブリン爺ちゃん』としか認識されていなかったらしい。
「マクベスが誰か知らないけど。修行に関してはゴブリン爺ちゃんに教えることはないってお墨付きをもらったし、皺くちゃの婆ちゃんからも全部教わって、後は復習と自己研鑽しなさいって言われてるから、もう筋トレしかやることないんだよ」
「だからって、ほぼ丸一日ずっと鍛えるバカがいて堪るか!?」
淡々と言葉を紡ぐ残念な少年に対して、辛そうに顔を両手で覆ってから声を上げる白髪オーガ。
現在、ゴブリン爺ちゃんによる魔術操作とその知識の勉強。魔女による魔道具の作成についてすべて教わり、残念な少年の行っている修業は、白髪オーガによる身体能力の強化のみになっていた。
「なんだよ、人がせっかくやる気になってんのに。やれって言ったり、休めって言ったり、白髪オーガは俺にどうしろと言うんだ!」
「儂が悪かった! もう酒もやめるし、文句も言わん! だから、頼むからもう少し修行内容を軽くしてくれ! 見てるこっちがつらい!」
「はぁ~、ヤレヤレ。軽くしたら修行の意味が無いだろ?」
「あぁあぁぁああああああ……」
残念な少年の発言に、両手を地面につき四つん這いになる白髪オーガ。苦境な騎士達でも音を上げる彼の過酷な修行を受けたことのある人物が見たなら、開いた口が塞がらなくなるような光景であった。
確かに、普段の白髪オーガを知る人物は不審に思うかもしれない。だが、ここに至る経緯を知れば仕方ないと言える。
残念な少年の行っている修行内容は、元々、重厚な鎧を着たまま森の中に走るのと、その場で腕立て伏せをするのを繰り返すのがメインだった。この鎧というのは白髪オーガが作った特殊なもので、ただ鎧を着たまま動くだけでも過酷で、騎士団長に鍛えられているペンドラゴン王国の騎士ですら音を上げる内容なのだ。
白髪オーガ自身、修行の内容が厳しいものなのは理解していた。なぜなら、自分も師から同じ方法で教わり、死にそうな目に遭っていたからだ。だからこそ、弟子を強くするために心を鬼にして指導していたのだ。
しかし、そこにスクワットやバーピージャンプなど残念な少年は勝手にメニューを加えていき、今では、ほぼ丸一日、鎧を着たまま過ごしている。
ここで考えてみてほしい。自分が体験しているからこそよくわかる、鍛えられている人間でさえ鎧を着るだけで無理な修行を、弟子は勝手にさらに過酷なものにしていくのだ。そんな光景を目の当たりにして、平静を保てる者はまずいないだろう。
「しょうがないなぁ~、じゃあ、あと10週ぐらいしたら休むか!」
しかも、無理をしているなら無理矢理止める手もあるのだが、質の悪い事に、辛い修行をしている本人はメチャクチャ楽しそうなのだ。体を壊している様子も一切ない。遂に四つん這いの状態からうつ伏せになってしまう白髪オーガ。残念な少年の姿を直視できなくなったらしい。
「……そうじゃ! ギルドでの仕事は良いのか?」
「ん? 仕事って、この間も行ったし別にいいだろ」
「いや! お主に足りんのは実践じゃ! ギルドでの仕事を熟して実戦経験を積め!」
「……でも、前にそれは時間の無駄だって―――」
「悪かった! 無駄ではないから行って来てくれ、頼む!」
今にも修行を再開しそうな残念な少年を前に、ふと顔を上げて提案する白髪オーガ。意地でも修行をさせようとしていた時からは想像もできない姿である。
「全く、我が儘だなぁ~。ギルドに行けばいいんだろ?」
ヤレヤレと両手を肩幅に開いてから首を振る残念な少年。誰が見てもウザいと感じる仕草を前にして、何故か泣きそうになっている白髪オーガ。
重厚な鎧を脱いで冒険者ギルドに向かって歩いていく残念な少年を見つめながら、安堵のため息を吐く白髪オーガ。そんな、剣鬼などという言葉が霞んでしまう程に変貌した白髪オーガに、ツッコミを入れられる人材は、その静かな森の中にはいなかった。