幕間 白髪オーガは見た
「……マジか」
とある空き地。鍛冶屋の近くにある路地裏の奥にあり、人の寄り付かない小さな空き地の真ん中で青葉春人は重厚な鎧をその身にまといながら、腕立て伏せをしていた。
あり得ない光景を目の当たりにして、空き地の傍に生えていた大きな木の陰に隠れていた白髪のオーガはその場で立ち尽くしていた。
日は既に落ち、暗くなっていた周囲を気にせずに黙々と腕立てを続けている残念な少年。白髪オーガが見つけた時から数えても、カウントは既に100など優に超えていた。
「儂の鍛錬の後で、こんなことしていたのか?」
ポツリと小さな声で本音を吐露する白髪オーガ。彼が、木の陰に隠れて少年を観察しているのには理由がある。
魔道具店に残念な少年が引きこもってしまう事件の起きた後、数日してから普段と何も変わらない態度で鍛冶屋にやって来た少年に怒鳴りつけた白髪オーガは、罰として数日休んでいた分の内容を含めた厳しい鍛錬を少年に課した。
それは、常人はもちろん、精鋭ともいわれているペンドラゴン王国の騎士ですら死ぬかもしれない程に厳しい鍛錬であった。普段の残念な少年を知る白髪オーガは、いつも通り、泣き言をいって、隙をみせたら逃げ出すだろうと考えていた。
しかし、その鍛錬の間、人が変わったかのように少年は無言になり、常人では死ぬかもしれないような厳しい鍛錬を、あっさりとこなして見せた。その時の白髪オーガの顔は、険しい顔ばかり印象に残る彼には珍しい、誰も見たことのないような唖然という感情を前面に表現した顔をしていた。
そんな厳しい鍛錬を終えた後、いつもなら「今すぐに休ませろっ!」と喚く筈の残念な少年は大人しく白髪オーガと共に店に戻り、食事などを済ませて部屋に入って就寝していた。そんな日が数日の間続く。
普段も変ではあるのだが、いつもとは明らかにおかしい少年の態度に不信感を抱いた白髪オーガが、ある日、隠れて少年の居る部屋を観察していると、案の定、残念な少年はこそこそと部屋から出てきて、そのまま店から出て行った。
やはり何かよからぬことを企んでいたのだなと当たりをつけて、残念な少年の後を尾行した白髪オーガ。そして、現在に至る。
「頭でも強く打ったのかあいつは?」
今迄の自分勝手で怠け癖のある残念な少年の姿からは想像もつかない光景を目の前にして、頭でも打ってしまったのかと疑う白髪オーガ。
腕立て伏せのカウントが千を超えたあたりで起き上がる残念な少年を見て、ようやく帰るのかと何故か安堵のため息を溢す白髪オーガ。周囲から厳しいと言われている彼の価値観から見ても、今、残念な少年のしているトレーニング量は異常な数値となっていた。
そんな白髪オーガの気持ちに反して、残念な少年は軽い柔軟をした後、その場でしゃがみ込み手を地面につけた。そのままの体勢で地面を蹴り、足を後ろに伸ばして腕立て伏せをする体勢になる。
『まだ続ける気か!?』と心の中で叫ぶ白髪オーガ。その後、また地面を蹴り元のしゃがんだ状態に戻る残念な少年をみて、ホッと息をつく白髪オーガ。しかし、しゃがんだ状態から素早く立ち上がり、その場でジャンプしながら頭上で拍手をするように両の手を合わせる残念な少年の姿に、空いた口が塞がらなくなる白髪オーガ。
バーピージャンプである。重厚な鎧を身に纏いながら、残念な少年はバーピージャンプを始めた。周囲に金属のこすれるようなガチャガチャという五月蠅い音が響く。
「…………」
息を切らせながらも、喧しい効果音を響かせながら飛び跳ねている残念な少年。それを見て、呆然と立ち尽くす白髪オーガ。
他に人の気配の全くしない路地裏の奥にある小さな空き地の真ん中で、「五月蠅い!」と誰かに注意されることもなく、残念な少年は黙々とトレーニングを続ける。
「……帰るか」
今日見たことを胸の内にとどめて、静かに帰路に就く白髪オーガ。その時、白髪オーガの中で残念な少年に対する評価が少しだけ上がったことは言うまでもないだろう。
そんなことには気づかずに、残念な少年は日が昇るまでの間ずっとトレーニングを続けた。ただ、強くなって女にモテるという不純すぎる動機の為に……。