嘘も方便とはよく言ったものである
魔道具店にある物置になっていた部屋の前。ゴブリン爺ちゃんは目の前にあるドアを数回ノックした。
号泣して走り出した少年の奇行を前にして、立ち尽くしていた二人の老人の気付いた時には、残念な少年は魔道具店の二階にあった物置部屋の中に閉じこもってしまっていた。
「起きとるか、小僧?」
返事はない。ただ、何か動いている気配を感じたゴブリン爺ちゃんはドアに向かって語り掛けた。
「そう気を落とすでない、可愛い子は探せばそこら中にいるじゃろ? 何だったら、お主の好みにあったエロ本をタダでやろう」
優し気な口調で、人として最低のことを言っているゴブリン爺ちゃん。しかし、返事はない。
「……まったく、好きな女の結婚が決まったくらいで閉じこもるとは、男としてカッコ悪いとは思わんのか?」
「―――違う……」
ため息混じりに言ったゴブリン爺ちゃんの言葉に反応したのか、かすかに残念な少年がドア越しに聞こえた。
「! ほう、何が違うというんじゃ?」
漸く返事をした残念な少年の行動に気付き、すぐさま煽るような調子で語り掛けるゴブリン爺ちゃん。
「魔術師団長の結婚は確かにショックだったけど、ちょっと嫌な気持ちになるくらいで大して気にしてない」
「そうなのか?」
ドアの向こうで淡々と話す残念な少年に対して、意外な返事に首を傾げるゴブリン爺ちゃん。
「では、何が気に入らないんじゃ?」
「そんなの決まってるだろ。気に入らないのは、この世界でもイケメンしか良い思いをしていないという事実だ」
「……は?」
残念な少年の突拍子もない答えに、ドアを見つめて間の抜けた顔になるゴブリン爺ちゃん。
「異世界にまで連れてこられて、こんな現実を突きつけられるとかあんまりだ! 俺はこのまま勇者なんて立場を放棄して、誰もいない森の奥深くに住み着いてやる!」
「お主は野生児にでもなるつもりかっ!?」
捲くし立てる残念な少年のメチャクチャな物言いに、つい声を荒げてしまうゴブリン爺ちゃん。仮にも、引きこもっている人間の吐くセリフではない。
「大丈夫大丈夫。三歳か四歳くらいの時にも、森の中を一人でサバイバルする生活とか普通にしてたからさ。異世界の森くらい余裕で暮らせるって」
「どんだけアクティブな人生を歩んできたんじゃ! お主の親は野生動物か何かかっ!?」
予想外すぎる残念な少年の半生を垣間見て、頭を抱えてしまうゴブリン爺ちゃん。ドア越しであるにも関わらず、いつもの調子で言い合う少年と老人。もはや、少年が物置に引きこもっているという現状を、当事者である筈の残念な少年でさえ完全に忘れていた。
「と言うかお主、勇者の立場を気に入っておらんのか?」
少し冷静さを取り戻したゴブリン爺ちゃんは、残念な少年に向かって疑問を投げかける。
「逆に聞くけど、こんなのもらってうれしい奴なんているの? 命令する奴が個人なのか国なのかって違いだけで、魔族を倒せだとか無理やり働かせて、奴隷と立場あんま変わらないじゃんか」
「……まあのう」
普段からは想像もできない残念な少年のまともな返答に、キョトンとした顔になるゴブリン爺ちゃん。
「それに、先代勇者のことで散々注意してきたのは爺ちゃんだろ」
「お主、ちゃんと話を聞いとったのか!」
本筋とずれた、まったく違うところに驚いているゴブリン爺ちゃん。
「俺だって最初は、勇者になったらチヤホヤされてモテるかなぁ、とか思ってたのに全然相手にもされないし。結局どの世界でもリア充ばかり良い思いをするようにできているんだと思い知らされたよ。……チクショウ!」
「……それは、リア充とか、勇者と言う肩書以前に、お主の人間性にも問題あると思うぞ?」
ドアの向こうで嘆いている残念な少年に対して、思ったことをそのまま口にするゴブリン爺ちゃん。先程まで真っ当ともいえる理屈をつけていたが、多分、今の言葉が残念な少年の本音なのだろう。
「うるさい! 俺はここで入念な準備をしてから、誰もいない森の奥深くに隠れ住むんだ!」
「…………」
残念過ぎる少年の物言いに対して、呆れて言葉も出ないゴブリン爺ちゃん。ただ、内心で「子どもかっ!?」と激しいツッコミを入れていた。
思い悩むように目頭を揉み始めたゴブリン爺ちゃんは、何かを思いついたのか、目元から手を離した後、その場で深呼吸をしてからドアに向かって話し始めた。
「お主、何で儂が昔、超絶美人じゃった婆さんと結婚できたのか知りたくはないか?」
「!」
ドアの向こうでガタッと物が動く音がした。残念な少年の反応を見てニヤリといやらしく口角を上げるゴブリン爺ちゃん。
「……それって、昔は爺ちゃんもイケメンだったからじゃないのか?」
「違う。もっと単純な理由じゃ」
ドアのすぐ近くから声を出している残念な少年の言葉を、すげなく否定するゴブリン爺ちゃん。しかし、ドアの近くまで来ている少年の行動を見て内心でほくそ笑んでいる老人。
「じゃあ、何で結婚できたんだ?」
「……それはのぅ―――」
ドア越しでも固唾をのんで見守る残念な少年の姿を連想していたゴブリン爺ちゃんは、勿体つけるように、ゆっくりとした調子で言葉を発した。
「―――強かったからじゃ」
「……え?」
声の感じから残念な少年は戸惑っていると理解したゴブリン爺ちゃんは、少年の様子を無視してそのままの調子で続けた。
「小僧よ。いいかよく聞け。お主の世界ではどうだったか儂は知らんが、少なくともこの世界では強い男は女にモテる。これは絶対不変の真理じゃ!」
「…………」
強い口調で言い切るゴブリン爺ちゃん。それを静かに聞き入っている残念な少年。
「儂がなぜ婆さんと結婚できたのか。その理由は、顔のつくりの所為などではなく、儂が魔術師団長と言う肩書を持つほどに強かったからじゃ」
「…………」
「よいか、お主が今モテないのは単純に弱いせいじゃ」
ドアの向こうで衝撃を受ける残念な少年。その様を想像してニヤニヤと笑うゴブリン爺ちゃん。
「リア充だとか、勇者だとか関係なく、お主がモテたいのなら方法はたった一つ。鍛えることしかない!」
「…………」
「こんなところに閉じこもる暇があるのなら、儂らの鍛錬を軽くこなしてみせい! それしか、顔のつくりのパッとせん、お主がモテるようになる手段は存在せんのじゃ!?」
どさくさに紛れて少年の悪口を言うゴブリン爺ちゃん。相当鬱憤がたまっていたらしい。勢いに任せて言ったためか悪口には気づいていない残念な少年。
場に静寂が訪れる。いつの間にか、ドアに向かって人差し指を突き付けていたゴブリン爺ちゃんは、気付かずにしていた恥ずかしい自分の行動を、誰にも見られていないか素早く周囲に視線を遣った後ゆっくりとその手を下ろした。
その時、勢いよくドアが開かれる。思わずビクッとなるゴブリン爺ちゃん。老人の目の前には仁王立ちしている残念な少年の姿があった。
「何をこんなところでボーっと突っ立ってんだよ、爺ちゃん! さっさと修業を始めようぜ!」
元気よく言いたいことだけを言った残念な少年は、素早く階段を下りて行った。その姿は、先程まで物置に引きこもっていたなどと感じられない程に溌溂としていた。
あまりにも突然の変わりように、開いた口が塞がらず、間抜けな顔を晒してしまうゴブリン爺ちゃん。
この時、ゴブリン爺ちゃんの中である一つの結論が出ていた。
それは……
『……あの小僧。儂らの思っていた以上に幼稚じゃ!?』
今迄、自分の言ってきた事実は一切信じなかったのに、自らの吐いた嘘八百を真に受けて元気よく出てきた残念な少年の背中を眺めながら、ゴブリン爺ちゃんは心の中で結論付けた。
彼は、自分達の思っていた以上に純粋で、幼稚な精神の持ち主であると……。
そんなことを思うゴブリン爺ちゃんは、少年の未来について強い不安を感じながら、自分はどうすればいいのかとその場で頭を抱えていた。思い悩む老人に、その答えを返してくれる存在はこの世界にはいなかった。