未婚の人間にとって、知り合いの結婚報告を聞くのはつらい
「お茶を持ってきましたよ」
ドアを開けて入ってくる皺くちゃの魔女。ドアがノックされた時点で老婆の存在をすぐに察知したゴブリン爺ちゃんは、残念な少年の胸倉から手を離すとアルバムを古ぼけた小さな袋の中に隠した。老人の取り出した袋は、一見アルバムを入れるだけのスペースはなさそうなのだが、途中でつっかえることもなく袋の中に入ったことから、老人の所有している収納用の魔道具のようだ。
「すまんのぅ、婆さん」
何食わぬ顔で感謝を口にするゴブリン爺ちゃん。アルバムを入れた袋は既に老人の懐の中にしまわれている。
「いえいえ、構いませんよ。私が好きでしていることですから」
ゴブリン爺ちゃんに微笑みを返す皺くちゃの魔女。この場に残念な少年がいる時は、いつもきまって、ゴブリン爺ちゃんの起こした問題が発覚し、険悪な雰囲気になるのだが、今回はなさそうである。
ある意味で疫病神ともいえるその少年は、今、魔女の方を見ながら静かに泣いていた。
「…………くっ!」
「坊や、どうしたの? お腹でも痛いのかい?」
目頭を押さえている残念な少年に気付き、慌てる魔女。少年の横で何とも言えない顔をしているゴブリン爺ちゃん。
「気にせんでいいぞ、婆さん。間違いなくくだらん理由じゃ」
「くだらんとはなんだ!」
苦笑いを浮かべて片手を振るゴブリン爺ちゃんの物言いに、目に涙を溜めて逆切れする残念な少年。
「俺は今、時の流れの残酷さをひしひしと感じているというのに……」
「……ほれ、くだらんじゃないか」
袖で目元を拭う残念な少年を見ながら、ため息をつくゴブリン爺ちゃん。まさか、残念な少年が自分の昔と今の姿を見比べて泣いていたなどと想像もできないであろう魔女は意味も分からず首を傾げている。
「そういえば先程、面白い物が店に届いたのですよ。せっかくだから、爺さんと坊やも一緒にみませんか?」
そういって、老婆はお茶の乗っているお盆をテーブルの上に置くと、懐から封筒を取り出した。
「何それ、手紙?」
「また随分と豪華な封筒じゃのぅ」
魔女の持っている豪華な手紙を不思議そうにみる老人と少年。
「これは、城で働いているミネルヴァから送られてきた手紙ですよ」
「何!」
嬉しそうに微笑んでいる魔女の発した言葉に、驚愕して席を立つゴブリン爺ちゃん。どうやら、手紙の送り主は城で働いている魔術師団長らしい。
「へぇ~、なんか懐かしいな。そういえば、俺がこの街に来てから結構経つもんな」
ひさしぶりに聞いた魔術師団長の名前に、自身がアルバの街に来てから随分と経っていたことを実感する残念な少年。少年が城を旅立ってから既に二ヶ月は経っている。
「それで、手紙には何と書かれておるんじゃ!」
「まぁまぁ。そう慌てないで、すぐに開きますから」
興奮しているゴブリン爺ちゃんを優しく宥めながら、封筒の中から一枚の紙を取り出す魔女。
ここまで持ってきた者の特権とでも言わんばかりに、老人と少年に見せる前に、その手紙にざっと目を通した魔女は、驚いて目を丸くした。
「何じゃ、何と書かれておるんじゃ!」
手紙に目を通した後に出た皺くちゃの魔女の様子を見て、慌てて質問を投げかけるゴブリン爺ちゃん。
「……お爺さん。今日はごちそうにしましょう」
「はぁ?」
唐突な魔女の提案に、今度は老人の方が目を丸くしている。そんな表情のコロコロ変わるゴブリン爺ちゃんを横でクスクスと馬鹿にして見ている残念な少年。だが、このすぐ後に老婆の放った一言で、少年の発していた楽しそうな雰囲気は一変する。
「ラインハルト君と家のミネルヴァの婚約が決まったらしいの」
「「…………は?」」
この時に発した老人と少年の声のタイミングは完全に一致していた。しかし、この時に抱いていた感情はお互いに全く違うものであった。
「漸くか! いつかはこうなると思うとったが、時間をかけ過ぎじゃぞ、剣鬼の倅め!」
今にも小躍りを始めそうなほど歓喜しているゴブリン爺ちゃん。その横で、膝に手を置いて蹲って沈黙している残念な少年。その場の雰囲気を言えば、まさに対照的である。
「……坊や?」
逸早く様子の可笑しい残念な少年の存在に気付く老婆。声をかけられても少年は返事をしなかった。
有頂天になっていたゴブリン爺ちゃんもようやく暗い雰囲気に気付いた頃、残念な少年はゆっくりと口を開いた。
「―――嫌いだ」
「え?」
「異世界なんて大嫌いだぁあああ!!!!」
号泣する残念な少年は泣き叫びながら部屋を出ていく。あまりにも突然の出来事を前に二人の老人は、ただ呆然と立ち尽くし、勢いよくドアを開けて出ていった残念な少年を見ていることしかできなかった。