バック・トゥ・ザ・ゴブリン パート1
コンコンコンとドアをノックする魔女。
「坊や、ご飯ができましたよ」
ドアの向こうにいる人物に向かって魔女は呼び掛ける。だが、返事はなかった。小さなため息を吐く魔女。
「……キッチンに置いておくから、後で食べに来なさいね」
悲しそうな目でドアを見つめた魔女は、そのまま店の方に戻っていく。
魔道具店のカウンターに立っていたゴブリン爺ちゃんは肩を落として歩いている魔女に話しかける。
「どうじゃった?」
「駄目でした。坊や、最近は返事もしてくれません」
「……そうか」
魔女の答えを聞いて、残念そうに俯くゴブリン爺ちゃん。
「まさか、あんな理由で小僧が閉じこもってしまうとは予想もせんかった」
「……ええ、軽はずみに知らせてしまった私には責任があります」
「そんなことはない!」
自分の所為だと責任を感じている魔女を強い口調で諫めるゴブリン爺ちゃん。
「自分の娘の結婚を報告してこんなことになるなど、誰が予想できると言うんじゃ!?」
現在、青葉春人は魔道具店の一室に引きこもっていた。その理由は今から数日前に遡る。
「爺ちゃん、この本って何?」
魔道具店の一室。ある日、タイトルの書かれていない古ぼけた本を見つけた青葉春人は、お茶を飲んで休憩していたゴブリン爺ちゃんに尋ねる。
「……ん? おぉ、また随分と懐かしいものを見つけてきたな!」
テーブルの上に置かれた表題のない本を手に取ったゴブリン爺ちゃんは驚きの声を上げる。
「それで、その本って何? 中を見ようとしたけど開かないし。ひょっとして、新種のエロ本?」
「なわけあるか、ボケ!? これはアルバムじゃ!」
タイトルは書かれておらず開くこともできなかったという謎の本をエロ本と主張する残念な少年に、アルバムだと叫ぶゴブリン爺ちゃん。
手に取った本の表紙を掌で軽くなでるゴブリン爺ちゃん。すると、本は淡く輝きだした。暫くの間輝いた後、淡い光が徐々に収まっていくと、何も書かれていなかった表紙に『HIDE』という言葉が浮かんでいた。
「これは儂がまだ魔術師団長だった頃に作った魔道具での、最初に登録しておいた特定の人物の持つ魔力にのみ反応して本の開閉をする仕組みで、部外者に読まれんよう本の内容を伏せることが出来るんじゃ」
「へぇ~、便利だな」
誇らしげに口角を少し上げているゴブリン爺ちゃんは残念な少年に本の解説をした。それに感嘆の声を上げる少年。
「これがあったら、エロ本とか隠し放題だな」
「うむ! なんせそのために儂は魔術師としての長い歳月をかけて、これを作り出したのじゃからな!?」
残念な少年の発言に対して、胸を張って答えているゴブリン爺ちゃん。魔術師としての力の使いどころを間違っている。
「あれ? でもこの家にあるエロ本には同じ魔術かかってないよな?」
「……あぁ、実はこの魔術には欠点があっての」
疑問を口にした残念な少年に、過去の失敗を照れくさく思っているのか、頭を掻きながら苦笑いを浮かべて答えるゴブリン爺ちゃん。残念なことに、この家にあるエロ本の存在を熟知していた少年に対して、ゴブリン爺ちゃんのツッコミはなかった。
「欠点?」
「この魔術はな、最初に使用者を登録した後、別の人間に変更したり、上書きしたりすることは出来んのじゃ」
「どういうこと?」
「つまり、登録した人間にしか本を読むことはできんし、登録者が死んでしまうと、秘匿した本は二度と日の目を見ることはない」
本をテーブルの上に置き、両手を組んだゴブリン爺ちゃんは淡々とした調子で語る。
「別に誰にも見せるつもりないんだから、問題ないんじゃないの?」
「いいや、これには重大な問題がある」
少し顔を俯かせて影を作るゴブリン爺ちゃん。その姿を見てわざとらしく息をのむ残念な少年。まるで熟練の漫才師の様に息が合っている。
残念な少年の態度に合わせるようにして、ゆっくりとした動作でゴブリン爺ちゃんは口を開く。
「これでは……」
「……これでは?」
「……エロ本の、交換ができん!」
「な……に……!」
衝撃を受けた様に固まる残念な少年。雰囲気を作った割にアホすぎる発言を展開したゴブリン爺ちゃんは、まだ発言を続ける。
「この世界に無数に存在し、表紙だけで中身の分からん物の中から、自分の嗜好にあったブツを見つけるのは非常に困難じゃ。そんな中で、同志たちとの物々交換は儂らの取れる数少ない手段の一つ。それを捨てるような行為は自殺としか言いようがない」
「なるほどな、凄い納得した」
ある意味同類であるからこそ、ゴブリン爺ちゃんの思考を理解した残念な少年は頻りにうなずく。普通の人は関わりたくない世界の話である。
「まったく、そんな当たり前の事に作った後で気付くとは。今更じゃが、若さゆえの過ちと言うのは恐ろしいのぅ」
自身の過去を思って憂いているゴブリン爺ちゃん。しかし、全く共感することはできない。
「それじゃあ、何でこの本にはその魔術を使ってるんだ?」
当然として懐くであろう疑問を口にする残念な少年。
「まぁ、儂が生涯をかけて作った魔道具じゃからな、無駄にするわけにはいかん。それにお主の言った通り、他人に見せるつもりが無ければ問題はないからの。この本にはアルバムとして、儂だけの心にとどめておきたい思い出を残しておるのじゃ」
「ふ~ん」
先程までとは違う落ち着いた雰囲気で語るゴブリン爺ちゃん。それに余所を向きながら返事をする残念な少年。
「てっきりエロ本だと思ったんだけどなぁ~」
「まだ言うか! そんなに言うのなら中を見てみるか?」
「……え? その本って他人に見られたくないんじゃないの?」
ゴブリン爺ちゃんの発言に対して首を傾げる残念な少年。
「これを作ったのは随分と昔の話じゃし、儂自身存在を忘れていた位じゃから別に問題はない。それに、このまま誰の目にも触れずに忘れ去られるというのは製作者としては少し心が痛むからのぅ」
「……それじゃ、せっかくだし見せてもらおうかな」
寂しそうな顔をして語るゴブリン爺ちゃんの姿を見て、残念な少年は老人の隣の席に腰を下ろした。