幕間 白髪オーガとゴブリン
「まったく。何なんじゃあの小僧は……」
ガンッ!と木製のジョッキをカウンターに叩きつけながらぼやく白髪オーガ。
「まあまあ、そうカリカリするな。剣鬼の名が泣くぞ」
隣の席に座る白髪オーガを必死に宥めているゴブリン爺ちゃん。夜遅く。人の寝静まった時間に店を閉めた二人は行きつけの飲み屋で一緒に飲んでいた。
「お願いですから、今度は飲み過ぎて暴れたりしないでくださいよ」
サングラスを掛けた色黒の店主は追加の酒をカウンターに置きながら二人に話しかける。
「安心せい。今日はセーブするから」
「……そう言って、何度この店で暴れたと思っているんですか?」
「すまんのぅ。いつも迷惑をかけてしまって」
今日は抑えるといった傍から勢いよくジョッキを傾ける白髪オーガを、呆れた目で見ているマスター。その横で、マスターを拝むように手を合わせて、只でさえ小さい体を余計小さくさせているゴブリン爺ちゃん。
「そう思うのなら、もう少しお酒を控えるか、飲む店を変えてくれませんか?」
「ここ以外の店はすでに出禁になっておるんじゃ。それに―――」
「酒は儂の数少ない趣味の一つじゃ。やめることなど死んでも出来ん!」
早くもジョッキの中を空にしてカウンターに叩きつける白髪オーガ。呆れたようにため息を吐くマスターとゴブリン爺ちゃん。
「それより、先程から口にしているその少年というのは、そんなに酷いのですか?」
とりあえず気持ちを切り替えようと考えたマスターは、気になっていたことを二人に尋ねる。
「ああ、酷い」
「正直、誰がどう育てたらあんな坊主が出来上がるのか聞いてみたいものじゃ」
今頃は、鍛冶屋にあるボロイ寝室で大の字になって寝ているであろう残念な少年の姿を想像して、俯いてしまう二人の老人。
「しかし、鍛錬の方は順調なのですよね?」
「うむ。最初はどうなることかと不安じゃったが、今のところは上手くいっておるな。泣き言は吐く癖に思いのほか良い根性をしているからのぅ」
「そうか、こっちは全然じゃぞ?」
マスターの疑問に対して、その点は肯定して答える白髪オーガに反して、否定的な態度をとるゴブリン爺ちゃん。
「儂の教えとる魔力操作に関しては問題ないんじゃが、魔術の発動に関しては壊滅的にできん。魔力の操作も魔術式も完璧にできとるくせに発動させようとすると必ず不発しよる。何か悪いもんにでも憑かれてとるとしか思えん」
ジョッキを軽く煽り、淡々と語りだすゴブリン爺ちゃん。魔力とは、魔術を発動させるために必要な力の事で、A型やB型とある血液のように性質や量の差はあっても全ての生き物の体の中に流れている。普通は目に見えないのだが、訓練をした者は他人の魔力を見ることも出来、自分の体内にある分を操作することも出来る。
魔術式は、自然に干渉する魔術を発動するために必要なプロセスの事で、不可思議な絵柄や文字列を決められた形で描くことを言う。これとは別に、文字列を決められた順序で声に出す方法を呪文と言う。この魔術式や呪文を正確に行い、そこに決められた量と性質の魔力を流すことで魔術を発動できる。
「まぁ、婆さんが言うには、魔術付与のセンスはズバ抜けとるらしいから、将来は魔道具職人にでもさせようかと思っとるところじゃ」
「何を言うとる、奴は鍛冶職人にするべきじゃ! 儂が見てきた中でも小僧の才能は群を抜いとる!」
「……でも、冒険者なんですよね、一応?」
マスターの吐いた言葉に反応して、ほぼ同時に頭を抱えてしまう二人の老人。
「儂が目を離した隙に勝手に試験を受けおって……。まったく、現役時代に鍛えておった騎士見習いの中にもあそこまで酷い問題児はおらんかったぞ」
「おかしいと思ったら、やっぱりお主の許可なくやっておったのか」
「あたりまえじゃ! 何の準備もなくあんなのを世間様に出すなど、まともな神経をしている人間が出来るものか!」
「……そんなに酷いんですか」
必死の形相で叫ぶ白髪オーガの言い分に、思わず困惑してしまうマスター。
「言いたいことは分かる。しかし、お主のその発言はこの街にあの坊主を派遣することを強行した第一王子の考えを否定することになるから、不敬と取られんよう気を付けた方がよいぞ」
「そんなことはわかっとる。儂だって『慧眼の王子』のお考えに文句があるわけではない」
先程までの弱々しい態度とは違う厳しい顔つきで語るゴブリン爺ちゃん。慧眼の王子とは、ペンドラゴン王国の第一王子につけられた呼び名である。虚弱で城からほとんど出ることはないにも関わらず、自国だけでなく他国の内情にまで詳しく、智謀に長け、異常ともいえる優れた洞察力を持つことからそう呼ばれているのだ。
「あのお方が何を考えておるのか、元とはいえ騎士団長として国の上層部にいた儂ですら全く分からん」
「それは仕方ないじゃろう。今もこの国が健在なのは、その異常なまでに優れた才を持つ二人の王子と二人の姫君のおかげなのじゃからな」
建国された時代より国力は衰えているにも関わらず、ペンドラゴン王国が他の国を押さえて大国として今も繁栄しているのは、愚王と呼ばれている現国王の子供達の持つ異常なまでの優秀さに理由がある。
幼くして国政に関わり、改革を推し進める第一王子。非凡な魔術師としての才を持って魔術の面で他国に圧力をかけている第一王女。そして、自国の軍事から他国の商業まで全てに関わる、兄と同等の英邁を持つ第二王子と第二王女。そうした、生まれながらに優れた才を持っていた王子や姫君の影響でペンドラゴン王国は繁栄しているのである。
「そもそも、本当に魔族がこの街に潜伏しておるのかも疑わしい」
「あの、そういった話は店の中で軽はずみにしないでください!」
白髪オーガの発した魔族と言う発言に対して、注意をしながら慌てて周囲を見回すマスター。
「なに、もう閉店して他の客もおらんし、問題なかろう。それよりも、おかわりを頼む」
あっけらかんとした態度でまた酒を注文する白髪オーガ。白髪オーガの態度に、サングラス越しからジトっとした目を向けるマスター。
「第一王子は問題ないと言うとったらしい。しかし、冒険者ギルドはその件で騒いでおるし、肝心の鬼族や魔族も見つかっておらんからな。判断の正確さに関しては、今のところはなんとも言えんのぅ」
「……そういえば、そのことでちょっと気になる話を聞いたのですが」
難しい顔で話すゴブリン爺ちゃんの前に、持ってきた追加の酒を置いてマスターが口を開く。
「気になる話?」
「ええ。私の持っている伝手から手に入れた情報で、何でも、魔族を奴隷にした商人がいるそうで……」
実は、この店のマスターは昔から情報屋をやっており、店の経営の傍らで、街のいたるところに潜伏している情報を売り物にしている同業者と連絡を取り合っているのだ。
「……魔族を奴隷にするとは、また随分と悪趣味な商人もいるのぅ」
「まったくです。ただ、普通の人間ではまず手に負えない強さな上に、ここ最近は魔界から滅多に出てこない魔族を捕まえたというのが少々気になりまして」
「ふむ。まぁ、魔族と鬼族の違いなぞ儂らには見分けられんじゃろうからな。ひょっとすると、その奴隷にされた魔族と言うのが王子の予想しとる鬼族のことかもしれんな」
「ええ。恐らく、ギルドで噂になっている魔族もその奴隷の事ではないかと思います」
何かに納得したように頷きあうゴブリン爺ちゃんとマスター。その横で白髪オーガはジョッキを煽っている。
「しかし、魔族の目撃情報なぞどこから出てきたのか、もし一般人が目撃しとったらその時点でパニックじゃからな。情報の出所に関しては少し気になるのぅ」
「それに関しては、ギルドでも不審に思っているようで、必死になって情報の出所を探していますよ」
「お主の所に、その情報はきておらんのか?」
「ええ、残念ながら」
考え込み始めるゴブリン爺ちゃんとマスター。その横で、白髪オーガはジョッキを煽っている。
「……それより、何をさっきから無言で飲んどるんじゃ!」
「あ゛?」
会話に参加せず、先程からずっと酒を飲んでいた白髪オーガにツッコミをいれるゴブリン爺ちゃん。
「ヒック!」
「……まさか、お主、もう酔ったのか?」
「ヒック! 馬鹿を言うな、まだ酔っておらん!」
「……完全に酔っていますね、これ」
真っ赤な顔をして怒っている白髪オーガを見た後、視線を合わせるマスターとゴブリン爺ちゃん。白髪オーガはすでに出来上がっていた。
その後、泥酔した白髪オーガが暴れ出すといった顛末はあったものの、無事に勘定を済ませたゴブリン爺ちゃんは一人で家に帰っていった。……眠りこける白髪オーガと、膝を抱えて蹲るマスターを店に残して。