騎士団長を育てた親は、白髪の鬼でした
鎧が走っていた。
それは比喩ではなく紛れもない事実として、町の端にある森の中で、全身を金属の鎧で覆った男が走っていた。
「ぐおぉぉぉ~~~……」
鎧は泣いていた。
比喩ではなく、薄暗い森の中をひた走る鎧の男は、重厚な金属の兜の奥から、まるでさまよえる亡者の様な声で泣き叫んでいた。
「…………っ! …………っ!」
遂に喉が涸れたのか、鼻を啜る音と荒い息遣いだけが聞こえた頃。日が昇る前から走り続けていた謎の鎧は、何かがぶつかるような鈍い音と共に倒れた。
身動き一つ見せずうつ伏せに倒れているその姿からは、生きているのか、死んでいるのか、傍目からは判断がつかない。仮に生きていたとしても瀕死である事だけは確かだ。
そんな死に掛けの死体に無造作に近付く化物が一体。
「…………起きろ」
躊躇なく鎧の横腹を蹴り上げる白髪の化物。見るからに重そうな金属鎧の男を片足でありながら軽く浮き上がらせている。恐ろしい脚力だ。
「ガチャッ」
重厚な音と共に地面に落ちる金属鎧の男。暫く待っても反応がなく、溜め息を零す化物。
「もう伸びたのか。だらしのない奴だ」
その時、街の方から今の時刻を知らせる鐘の音が鳴り響き、音のする方へ目を向ける白髪の化物。その隙を少年は見逃さなかった。
嵩張る金属鎧を蛇の脱皮が如く見事に脱ぎ、日本のご家庭において全人類から目の敵にされるあの黒い虫を彷彿とさせる不気味な動きを再現し、静かに逃走を図った。
彼の名は青葉春人、とある国によって魔王討伐の為に異世界から召喚された五人いる勇者の一人である。
彼は今、建前上、ペンドラゴン王国の王様の命令で、始まりの街アルバに潜伏する魔族討伐の為に来ていた。そして現在、王国の騎士団長ラインハルトに紹介された、彼の師匠に鍛錬という名の扱きを受けている真っ最中である。
「馬鹿め、そう簡単にくたばって堪るか! 俺はこの地獄から生還して酒池肉林の日々を送るのだ!?」
凡そ、世界を救う使命を帯びた勇者が吐くには酷い物言いである。恥も外聞もなく、アルバの街に向かって虫のように這う様は余りにも滑稽で、その姿を見た者がいたなら、まさか、これが勇者等と思いもしないだろう。
「……随分と元気そうじゃな」
気が付くと、目の前に立つ白髪の化物が少年を見下ろしていた。
白髪の鬼の名はランスロット。ペンドラゴン王国で騎士団長を務めるラインハルトの師匠であり、幼少の頃、身寄りのなかった彼を育てた父親でもある。
既に一線を退き鍛冶屋をしているが、元はペンドラゴン王国の騎士団長を務めていたこともある豪傑。失礼な言い方になるが正真正銘の人間である。
当時は、その強靭で巨大な体躯と、他国の軍勢を前にしても恐れを見せず、剣一本で敵軍を鬼のような形相と共に蹂躙する姿から『剣鬼』と呼ばれ、剣を志す者の間では知らぬ者はいない程有名であった。綽名ではあるが、名は体を表すとはよく言ったものだ。
「いい加減にしろ! 幼気な少年を拉致したと思ったら、こんな森の中に連れ込みやがって! しかも、動き辛くて無駄に重い変な鎧着せて走ってこいとか、俺を殺す気か! この鬼! 爺の皮を被った化物!」
「喧しい!」
地べたに這いつくばる滑稽な姿のまま、今しがた逃げようとした事などおくびにも見せず少年は逆切れした。
「朝っぱらから休みなく走らせやがって、今すぐに休息をよこせ!」
彼の人間性はともかくとして、この言葉を額面通りに捉えるなら、周囲にいた人間は少年の我儘に聞こえるだろう。だが、青葉春人が走り込みを始めてから、太陽は既に昇り切っている。加えて、彼の着ていた鎧は重厚そうな見た目以上に重い。これを着れば、如何に普段鍛えているペンドラゴン王国の騎士であっても真面に動けない。
「……はぁ。今日はこれ位にしておくか」
深いため息を溢す白髪の化物を尻目に、小さくガッツポーズをとる残念な少年。
「取り敢えず昼食の時間まで休んでもよいが、その後は又、魔道具店で昨日の続きをしてもらうからな」
「うげっ。そうだった」
「その後は、午後の分の修業をするからな」
「……はい」
些細な喜びも束の間、この先今以上の地獄が待っている事を思い出し四つん這いになって項垂れる残念な少年。
「先に言っておくが、逃げるでないぞ」
「…………くっ!」
既に思考を見透かされている残念な少年は、服の襟首を白髪のオーガに掴まれると、片手で無造作に吊るされ、まるで食い逃げをしたらあっさり捕まってしまった薄汚い野良猫を彷彿とさせる惨めな姿でアルバの街まで帰っていった。