お約束とは、破るためにある!
『青葉春人君へ
君がこの手紙を読んでいる頃、君は既に王都ペンドラゴンを旅立ち、荷馬車に揺られている事と思う。旅の指針については当日に話すつもりだが、何時もの様に、君が問題を起こして説明することが出来なかった時の為に、この手紙に、君がアルバに着いてからの指示を書いておく。
始まりの街アルバに着いたら、まず、ランスロットいう鍛冶屋を探してほしい。そこが、君がアルバで生活する間お世話になる家だ。その鍛冶屋の店主は、私の育ての親であり、尊敬する偉大な師でもある。決して迷惑を掛けない事。事前に話を通してあるので、鍛冶屋に着いてからは店主の指示に従ってほしい。
この魔王討伐の旅に対して、君にも多くの不平不満があると思う。私達は、君達が無事に元の世界に帰る為に最善を尽くす。その為に、どうか無茶だけはしないでほしい。指導出来る期間が短く、君に魔物との実践を経験させてあげられなかったことは申し訳なく思っているが、私が指導した中で一番の問題児だったが訓練で目覚ましい成果を上げてきた君ならきっと生き残れると信じている。
教えを忘れず、生き残る事を念頭に置いて戦いに臨んでほしい。君とまた会える事を楽しみに待っている。
追伸 店主の言う事をよく聞いて、人道に外れたことはせず、決して兵士のお世話になることが無いよう、普段の言動と行動を自粛することを肝に銘じておくように。
騎士団長 ラインハルト』
手に持った手紙から視線を外すと、青葉春人は目の前の古ぼけた店を見やる。
目的の場所を探して、街の入り口から手紙に同封された地図を頼りに進んできた青葉春人は、多くの宿屋や商店が軒を連ねる通りを暫く歩いていると、見事な店構えの商店が並ぶ中、一際ボロイ店に目が留まった。軒先に吊るされた看板は今にも外れそうになっており、埃で曇った窓から見える薄暗い店内からは人の気配がまるで感じられない。
煤けた看板にはこの世界の文字でランスロットと書かれていた。
「…………見なかったことにしよう」
残念な少年は目の前に広がる現実から目を背けた。
夜襲を警戒しての番を交代で行う様な、過酷な宿無し自給自足生活を強いられた長旅の後で、すぐにでも布団に包まって休みたかった残念な少年は、目の前にある、真面な布団があるかもわからない様な古ぼけた店ではなく、少しでも綺麗な布団がある、普通の宿屋に泊まろうと来た道を引き返した。
「よし、折角だから、さっき綺麗なお姉ちゃんが呼び込みしてた宿屋にしよう」
此処に来るまでの間に通り過ぎた、踊り子のような服を着た美女が店の前で宣伝していた派手な外観の宿屋を思い出しながら、少年は肩に下げた布袋から手の平サイズの袋を取り出すと、袋の中の銀貨を数えた。
見たことのない紋章が刻まれたこの銀貨は、この世界で流通している貨幣であり、現在、青葉春人が持っている全財産である。街で生活する際にないと不便であろうと、旅立ちの日、牢屋から出された時に騎士団長から渡された物だ。
「確か、銀貨一枚で千円位の価値だったよな。……一泊できるのか?」
この世界では、日本円で換算すると、鉄貨が十円、銅貨が百円、銀貨が千円、金貨が一万円位の価値があり、滅多に出回らない白金貨と呼ばれる物は百万円の価値があるらしい。
この世界の物価や貨幣価値について魔術師団長によって一通り教わっていた青葉春人は、袋の中で犇めく銀貨を数えながら、殆どの物価は元の世界より安いが、宿屋の利用料等は富裕層を中心に提供している為、値段が高いという話を思い出していた。
「日本の宿泊費と同じ位だとして、ぎりぎりだな」
銀貨の詰まった小さな袋を肩に下げた大きな袋の中に戻そうとする青葉春人だったが、突然、誰かが背後からぶつかってきた。
「痛っ!」
勢いに押されて前方によろける残念な少年。何とか堪えて、前のめりに倒れなかった事に安堵しながら、走り去るフードを目深に被った黒マントの怪しい人物の背中を睨む。その時、ふと、軽くなった肩と、自身の両の手が空いていることに気付く。先程まで、片手に銀貨の詰まった小さな袋を握り、大きな袋を肩から下げていた筈なのに。
「…………まて、泥棒‼」
逃げる黒マントに向かって声を張り上げた残念な少年は力一杯走った。走りながら少年は思い出していた。目の前でたわわに揺れる乳房と、その豊かな乳房の持ち主が話してくれた、街の中にはスリや泥棒が潜んでいる事もあるから、街中で無暗に財布を開けたりしないよう注意されていたことを。
路地裏。表の大通りから外れた薄暗く濁った空気が立ち込める、入り組んだ細い道の先で、人相の悪い男達は屯していた。
「遅かったな」
男達の許に足早に近づいていくフードを目深に被った黒マントの男に、男達の中で一際人相の悪い顔に傷のある男が語り掛ける。
「悪い。仕事にちょっと手間取ってな」
「珍しいな。それで、収穫は?」
顔に傷のある男の問いに、黒マントの男はボロボロの歯を覗かせながら笑みを浮かべる。
「上々。ついさっきも、道の真ん中でボーっと突っ立ってた餓鬼から頂いたしよ。大収穫だったぜ!」
「そうか。最近は衛兵共の見回りが厳しくなって稼ぎが減ってたからな。他の奴らも調子が良かったみたいだし、今日はついてるな!」
予想以上の稼ぎを前に、不気味に笑いあう男達だったが、その陰で、一人の男が隙を窺っていた事には誰も気付かなかった。
「いや~ほんと、今日はついてる!」
路地裏。先程まで、盗んできた稼ぎを数えて人相の悪い男達が笑いあっていた現場では、今迄の楽しげな空気が嘘の様な苦虫を嚙み潰した様な顔をした人相の悪い男達が纏めて縄で縛られ、その横で一人の少年が木箱に腰掛けて鼻歌を歌いながら戦利品を数えていた。
「てめぇ、俺達にこんなことしてタダで済むと思ってんのか!」
怒鳴り声をあげる顔に傷のある男に対して、溜息を溢す残念な少年。
「先に仕掛けてきたのはそっちだろ、こういうのを自業自得っていうんだよ」
財布を盗んだ黒マントの男の後を付けていた少年は、路地裏で密談をしていた男達を見つけ、物陰に隠れながら隙を窺っていた。そして先程、王都で騎士団長に鍛えられた腕を利用して、油断していた男達を襲撃したのだ。今現在、捕縛した男達から自身が盗まれた分だけでなく有り金全部を巻き上げた残念な少年は、下品に顔を歪めながら金額を数えている所だ。
まさに外道。世界を救うと謳われている勇者に有るまじき行為であり、手紙に書かれた人道に外れた事はするなという騎士団長との約束が一瞬で破られた瞬間であった。
自身のしでかした行為とは裏腹に、憤慨する男達に対して呆れたように肩をすくめる残念な少年は、数え終わった金銭を袋に入れると木箱から腰を上げた。
「それじゃ、俺、もう行くから」
「ちょっと待て! 俺達をこのまま放置していく気か!」
縄で縛られた顔に傷のある男の叫びを無視し、残念な少年は鼻歌を歌いながら歩き出そうとした。
だが、少年は何かを思いついたかの様にふと立ち止まる。
「まてよ、こいつらを衛兵とかに突き出せば、もしかしたら褒賞金とかもらえるかも?」
「なっ!」
少年の発言を聞き、顔面蒼白になる人相の悪い男達。男達の顔色を窺い、人相の悪い男達が衛兵に捕まるだけの罪を犯していたのだと理解した残念な少年は、自分の考えは正しかったのだと、例えるなら、指名手配犯を警察に突き出すような普通ではあり得ない状況を前にして不気味な笑みを浮かべる。その顔は、凡そ一般の男子高校生が出来ないであろう、見事な悪人面であった。
そんな残念な少年の顔を見て、怖い見た目とは裏腹に、小動物の様に震えて縮こまる男達。それなりに喧嘩慣れしていた筈の自分達を、油断していたとはいえ一瞬で叩きのめした少年の所業を思い出し怯えていたのだ。
「……ま、面倒臭いからいいや」
「…………は?」
「じゃ、またね」
あっけらかんと言う少年の言葉に呆然とする人相の悪い男達。戦利品を肩に担ぐ残念な少年は、気が抜けて放心している男達を無視し、陽気にスキップしながら路地裏を出て行った。
「……おいっ! 俺達をこのまま放置すんじゃねぇ!」
暫くして、ようやく立ち直った男達は、少年が立ち去った後で自分達の状態に気付き、人が滅多に通らない路地裏の奥深くで、空しい叫びを上げていた。