プロローグ 【残念な少年と始まりの街】
「おい! 見えてきたぞ、坊主!」
王都から荷馬車に揺られること数日。御者台に座る無精髭の男は、後ろの荷台に向かって威勢の良い声を発した。
御者の声に反応する様に荷台から顔を出す少年。
「へぇ。もう着いたのか」
荒く舗装された道を進む荷馬車の中で、広大な草原の真ん中に佇む巨大な壁を前にして息を飲む少年。
「はっはっはっ!此処が、始まりの街アルバだ!流石の坊主もビビっただろ!」
豪快に笑う御者は手綱を強く握りながら、沈黙する少年を横目に見る。
「基本、殆どの街の周囲には魔物から身を守る為に堀や城壁が設けられているが、その中でも、此処の城壁は魔族との大戦があった時代の名残で、無骨だが恐ろしくデカい。正直、ドラゴンでも来ない限り壊せねぇんじゃないかって位だ。この大陸の中で、王都ペンドラゴンの次に堅牢な場所と噂されているからな。おかげで、初めてこの街に来た奴は、巨大な城壁を目の前にして大抵ビビる。ある意味恒例行事だな」
「……」
「驚きすぎて声も出ないか、はっはっはっ!」
押し黙る少年を横目に、街の説明を楽しげに語る御者。一頻り笑う御者だったが、少年の顔色を見て、ふと疑問に思う。
「……坊主、気のせいか、顔、青くないか?」
「……腹、痛い」
「…………おい! もう少しで着くから、それまで漏らすんじゃねぇぞ!」
顔を真っ青にして腹部を両手で抑える少年を見て、御者は大慌てで叫びながら荷馬車を走らせた。
「いや~、助かった。ありがとう、おっちゃん!」
街を囲む巨大な城壁に設けられた門の前で、荷台に乗る残念な少年は御者台に座る男に語り掛ける。
「全く、街の外観にビビッて言葉を失ってんのかと思えば、腹下してただけとは。正直、がっかりだよ」
深い溜息を溢す御者の男。
「ちゃんと済ませたか?」
「もちろん! 出し尽くしてきたぜ!」
「余計なことは言わなくていいんだよ!」
サムズアップを決める少年に、ツッコミを入れる御者。
この残念な少年の名は、青葉春人。王都ペンドラゴンの国王が異世界より召喚した五人いる勇者の一人である。
国で度々問題を起こした彼は、潜伏していると噂される魔族を討伐する為、という国命に見せかけた厄介払いにより、始まりの街アルバに送られていた。
「守衛に礼は言ったか?」
「言った。けど、凄く睨まれた」
「そりゃ、お前。正門に着いて早々、厠貸してくれなんて言う奴がいたら警戒するだろ」
御者と残念な少年が雑談を交わしながら、大きな門を潜り抜け、関所の前を通り過ぎると、目の前に真っ直ぐ通った石畳の道と、道に沿って建ち並ぶ石造りの建物が目に飛び込んできた。まさに、元いた世界の、中世ヨーロッパを彷彿とさせる景色が広がっていた。
「おぉ、すげぇ!」
「……その反応をもっと前に見たかったよ」
目前に広がる、どこか懐かしくも荘厳な光景に感嘆の声を漏らす残念な少年に対して、手綱を握りながら項垂れる御者の男。
「そろそろ止めるから準備しろよ、坊主」
少年に呼びかけた後、暫くして荷馬車を止めた御者は、荷台から飛び降りる少年を見やる。
「坊主とは此処迄だ。最後まで案内出来なくて悪いが、この後、別の仕事があってな、色々と忙しいんだ」
「おう! 送ってくれてありがとう、おっちゃん!」
「いいってことよ! 坊主がいてくれたおかげで、つまんねぇ一人旅がすげぇ楽しかったぜ!」
笑いあう御者と残念な少年。王都から街に着くまでの数日間、寝食を共に過ごしてきた二人の間には不思議な絆の様なものが芽生えていた。
「また会うことがあったら語り明かそうぜ!…………女体の神秘を」
「ああ!」
御者台から身を乗り出す無精髭の男と固い握手を交わす残念な少年。男同士のコミュニケーション手段において、下ネタが異世界の垣根を超えた瞬間であった。
「じゃあな、おっちゃん!」
「坊主も、元気でやれよ!」
離れゆく荷馬車に手を振る残念な少年は、御者の姿が見えなくなると、唯一の荷物であった肩に下げている布袋の中から一通の封筒を取り出した。
城の中で幾度も見た紋章が描かれた封筒の中には、綺麗な筆跡で綴られた、騎士団長ラインハルトの手紙が入っている。
「それじゃ、あの殺人鬼が行けっていう鍛冶屋を探すとしますか」
街の大通りを歩く残念な少年は、荷馬車での旅路の中、何度も見た手紙の文面を読み返しながら、手紙の差出人である騎士団長に従い、目的地の鍛冶屋を探して歩みを進めた。