旅立ちの前日を牢屋の中で過ごす勇者?
「昨日は、よく眠れたかい、青葉春人君?」
薄暗い部屋。蝋燭による僅かな灯りだけが周囲を照らす空間の片隅で、騎士団長の声に反応して蹲る人影がゆっくりと動き出した。
「……よく眠れたかって? …………牢屋の中で熟睡出来るわけがないだろうが‼」
鉄格子の奥で憤慨する少年、青葉春人。
昨夜、出入りを禁止されていた交流会の会場に無断で侵入し、城内で騒ぎを起こした残念な少年は、異常に気付き駆けつけた騎士団長を含めた数名の騎士達に捕縛され、騒動を起こした罰として、城の牢屋に幽閉されたのである。
「むしろ、一晩牢屋の中で過ごす程度の罰でよかったじゃないか。国の重鎮が集まるパーティで騒動を起こしたのだから、死罪になっても不思議はなかったよ」
「うるさいな! 大体、俺が犯した罪は、不法侵入と無銭飲食だけで、騒ぎの原因は殆どビッチ勇者と言い寄ってた貴族のボンボン達だろ! 不当な扱いに断固抗議する!」
「神聖な場所への不法侵入と無銭飲食だけで罪としては十分なのだけどね」
残念な少年の物言いに対して深い溜息を溢す騎士団長。
事実、会場で起きた騒動の原因は、北見梨々花と彼女を取り合った貴族達なのだが、彼女達は牢屋にはいない。
王族の主催する交流会で問題が発生したとなれば、周辺諸国や貴族達に対し示しがつかない。その為、今回の騒動は規模も小さく、偶然にも参加者の殆どが王族の関係者であった為に、話し合いの結果、内々で揉み消されることになった。ただし、騒動の原因となった者が無罪放免になったというわけではない。
足早に会場を後にした貴族達は、王族主催の交流会で問題を起こしたことをそれぞれの家の両親から厳重注意を受け、暫くの間、謹慎処分になると昨晩の内に連絡があった。
北見梨々花は、今までは、異世界から召喚された勇者という立場から目を瞑っていたが、昨夜騒動を起こした者以外にも、既に複数の貴族の令息と恋仲になっていたようで、今回は流石に見逃すわけにもいかず、精神を鍛え直す罰として、普段の騎士団長の訓練に加えて個別に苛烈な訓練をすることが決まった。
「……やっぱり、お前は人間じゃない。人間の皮を被った悪魔だ」
「本人を目の前にして、よくそこまで言えるね」
彼女達の処遇を騎士団長から聞いた青葉春人は顔面蒼白になり、牢屋の隅でガタガタと震えていた。
異世界から召喚された勇者達の中で最も騎士団長の訓練を経験してきた青葉春人は、騎士団長の訓練がどれほど厳しいものか理解していた。騎士団長の基準で苛烈と判断する訓練など、普通の人間にとって地獄に送られるのと同義である。ある意味、最も重い罰を北見梨々花は負うことになったのだ。
青葉春人はその場で正座すると、ビッチ勇者のこれからの冥福を祈り、静かに両手を合わせた。
「……君は何をしているのかな?」
「この度は、牢屋の中で一晩過ごす程度という騎士団長様の深い温情に心より感謝いたします」
「君の態度に関しては言いたい事が山程あるけど、取り敢えず出てくれるかな」
急に態度を豹変させた残念な少年に対し、額に青筋を立てる騎士団長は頬を引き攣らせながら、牢屋の鉄格子を開け、外へ出るように促した。
「今日が君の旅立ちの日だ。準備が出来次第、謁見の間で陛下に謁見した後、目的地まで馬車で送らせてもらう」
「……ちっ。あの爺と話さなきゃいけないのか」
あからさまな舌打ちをする残念な少年。
「陛下を爺呼ばわりとは。頼むから、国王陛下の前でそのような口の利き方をしないでくれよ。最悪の場合、君の指導者であった私の首が飛ぶ」
「よし、分かった。思いっきりふざけてやるぜ!」
「……言っておくが、私だけでなく、魔術師団長であるミネルヴァの首も飛ぶぞ」
「…………自粛します」
元気よくサムズアップを決めたかと思うと、騎士団長の言葉を聞き、再びその場で正座をする残念な少年を見やり、ラインハルトは天を仰いだ。
「こんな勇者を世に解き放って本当によいのだろうか」
薄っすらと蝋燭の火に照らされる無骨な石の天井を眺めながら、魔王の配下に加わり婦女子を誘拐する残念な少年の姿を幻視し、こんな少年を生み出してしまった名も知らぬ異世界の存在に対して、世界の不条理さを改めて実感する騎士団長であった。