残念ですが、ビッチさんに男運はなさそうです
「お願い、私の為に争わないで!」
屋敷内に響く北見梨々花の叫び。
貴族との交流会の会場。貴族に相応しい高貴な空間の中、至る所で楽しい会話と食事が行われている屋敷の一角で、不釣り合いな不穏な空気と喧騒が場内を包む。
「梨々花のパートナーは僕だ!」
「黙れ!次に梨々花と踊るのは私のはずだ!」
取っ組み合いをする二人の男。上等な衣服を身に纏う二人の美男子は、その端正な顔立ちを怒りで歪め、お互いに相手の胸倉を掴みながら睨み合っている。
「ライス様!そんな辺境貴族の子息など畳んでしまいなさい!」
「ブレッド様!平民上がりの下級貴族の息子に目に物見せてください!」
二人を取り囲み囃し立てる取り巻き達。元々、主である二人の貴族の仲が悪いのか、二つの派閥に分かれた取り巻き達も睨み合っている。
「そもそも、無益な争いを起こさない様、一人ずつ順番に梨々花と踊ろうと提案したのはお前だろう!」
「うるさい!お前みたいな平民が近づけば、梨々花が穢れる!」
「はぁぁ!?」
男の言い分に怒りを露にするもう一人の男。感情に任せて片側の男が胸倉を掴んだまま前に押し出すと、もう一人の男が勢いに押されて後退し、豪華な食事の盛られた皿が並ぶテーブルに激突する。
その衝撃でテーブルが揺れ、テーブルの端に置かれていた飲みかけのコップや食べ掛けの料理が乗る小皿が落ち、磨き上げられた床や白いテーブルクロスを汚していた。
先程まで、テーブルの周りで食事を楽しんでいた貴族達は、睨み合う二人の剣幕を恐れ、そそくさとその場を離れていく。
「二人とも、もうやめて!」
睨み合う二人に向かって叫ぶ北見梨々花。可愛らしい容姿をした栗色の髪の少女は、必死で辛そうな顔を作り、元いた場所から動かずに、何かに祈る様に両手を組んだまま立っていた。
『男ってホント馬鹿よね。』
周囲に気付かれない様、僅かに口角を上げる北見梨々花。
『ちょっと煽てられただけで、すぐ調子に乗る。ホント馬鹿。』
取っ組み合いをする二人の男を見ながら、内心で薄笑いを浮かべる北見梨々花。
二人の男は、貴族の交流会で毎回行われている社交ダンスを北見梨々花と一緒に踊るため、どちらがパートナーに相応しいか争っているのだ。
『そもそも、何で、ダンスなんて面倒臭いことを私がやらなきゃいけないのよ。』
内心で文句を言う北見梨々花。争いを続ける二人の男とは裏腹に、北見梨々花は踊るつもりなど全くなかった。
『こんなの一回やれば十分でしょ。それを何回もさせようだなんて、こいつら頭可笑しいんじゃないの。』
二人の男を見ながら、内心で毒づく北見梨々花。
『結局、この世界の男共は顔が良いだけで、元いた世界の男共と大差ないのよね。まあ、おかげで、すぐ騙されてくれるけど。』
思わず失笑しそうになる北見梨々花。
百人切りの梨々花。彼女を知る一部の人間は、彼女を言い表すときにこの言葉を使う。
彼女は、持って生まれた可愛らしい容姿と異性を虜にする所作で、元いた世界のあらゆる男を手玉に取り、意のままに操ってきた悪女で、北見梨々花に関わったために、本人の気付かない内に奴隷のように扱き使われ、破滅した男も少なからずいる。
『それに、ガタイのいい男も多いし、断然元いた世界より良い所よね。』
実は、元いた世界に帰ることを望んでいる四人の勇者達と違い。元いた世界ではかなりの面食いで、身体つきが良く、目鼻立ちの整ったイケメンを中心に近づいていた北見梨々花は、外国人の様に体格が良く、色素の薄い整った顔立ちの男が多くいるこの世界に来たことを喜んでいた。
『正直、あの綽名で呼ばれた時は焦ったけど、何時も通り、皆の前で猫被っていれば何とかなったし。後は、魔王なんか放っといて、適当な貴族の男を捕まえて、この世界で好きに過ごしましょう。』
勇者として召喚された時、他の勇者達と集まって行われた食事を思い出す北見梨々花。
北見梨々花は貴族の交流会を利用し、この世界の裕福な男を虜にし、骨を埋める為の生活基盤を作ろうとしていた。その為に、目の前で取っ組み合いをしている二人の男にも近づいたのだ。
「いい加減諦めたらどうだ? お前みたいに野蛮な男は梨々花に相応しくない!」
「平民の血が流れている貴様に言われる筋合いはない!」
『取り敢えず、この二人はないわね。』
今だ、諍いを続ける二人の男を見て、嘆息する北見梨々花。
すると、何処からか能天気な声が聞こえてくる。
「いや~、流石貴族のパーティだけあって料理が美味い。最高!」
テーブルの下。白いテーブルクロスに覆われたテーブルの下から、カチャカチャと物がぶつかる音を響かせ、緊迫した空気をぶち壊す能天気な声が聞こえてきた。
胸倉を掴み合ったまま、キョトンとした顔で目を合わせる二人の男は、思い切ってテーブルクロスを捲り上げる。
テーブルの下には、豪勢な料理を山の様に小皿の上に乗せて自身の周囲に置き、フォークを片手に料理を口に運ぶ意地汚い少年、青葉春人がいた。
「……ひゃあぁ‼」
「「うわぁ‼」」
妙な奇声を上げる残念な少年に、思わずたじろぐ二人の男。
「もう、開ける時はノックしてよね!」
謎のオネェ言葉を口にしながら、テーブルクロスを下ろそうとする残念な少年。今迄の剣幕が嘘の様に、呆然となる二人の男。
「……はっ。貴様、そこで何をしている!」
漸く持ち直した男は、テーブルの下に隠れようとする残念な少年を睨みつける。
「何って、食事してます」
「そう言うことを聞いているんじゃない!」
あっけらかんと答える残念な少年を前に、眉間に皺を寄せる男。
「ここは関係者以外立ち入り禁止のはずだ。部外者は出て行ってもらおうか」
先程まで争っていた男の言葉に追随するように、襟首の乱れたもう一人の男が残念な少年に睨みを利かせて言う。
「甘いな。そこに美少女と御馳走があるのなら、誰であろうと俺を縛ることはできない」
「……意味が分からん」
カッコつけて言う残念な少年の言葉に、困惑する二人の男。
「というか、こいつ、絶対不法侵入者だろ。城の兵士を呼んだ方がいいんじゃないか?」
「そうだな。全く、我々高貴な貴族の集まる場を汚すとは」
嘆息する二人の男を前に、青葉春人は目を丸くしながら告げる。
「いや、お宅らにだけは言われたくないんだけど」
「「はぁ?」」
頭を掻きながら告げる残念な少年の言葉に、困惑する二人の男。
「貴様、どういう意味だ?」
「……え、マジで分からないの?」
「いいから答えろ」
残念な少年の無礼な態度に、怒気を募らせる二人の男。
「いや、こんな所で喧嘩してる二人の方がよっぽど場違いだと思うけど?」
「「…………」」
残念な少年の扱く真っ当な意見に沈黙してしまう二人の男。
冷静に周りを見ると、自分達の取り巻きを除いた貴族達は、遠くから白い目で此方を窺っていた。
争いの原因であるはずの北見梨々花でさえ、此方を心配そうに見つめながら、離れた所で佇んでいた。
「……こんな所に隠れて食事をする無礼者に言われる筋合いはない!」
気を取り直し、顔を真っ赤にして怒鳴る貴族の青年。
「え~、逆切れされても困るんだけど」
「黙れ、不審者!」
「酷い‼」
能天気な態度を崩さない残念な少年を前に、もう一人の青年も怒りを露にする。
「……所で、何で二人は喧嘩してるの?」
憤怒する二人を前に虚空を見つめながら頻りに料理を口に運ぶ残念な少年は、ふと思い浮かんだ疑問を口にした。
「いまさら何を言っている?」
「だって、俺、喧嘩の理由知らないし。普通聞くよね?」
「私達は梨々花のパートナーに相応しいのは何方なのか争っているのだ」
溜息を溢しながら話す二人の男の説明に、目を丸くする青葉春人。
「パートナーってダンスの?」
「そうだ」
「……三人で踊るのは、無しなの?」
残念な少年の物言いに言葉を失う二人。
「貴様は社交ダンスを知らないのか?」
「それは知ってる」
「ならば、そんなふざけた発言をするな」
「でもさ、別に社交ダンス以外を踊ってもいいんだろ?」
「「はぁぁ?」」
首を傾げる二人の男。状況を静かに見守っていた取り巻き達も少し騒がしくなる。
「ダンスにも色々あるし、皆で踊れるダンスにすればいいだけだろ?」
「ここは我が国の王族が主催している交流会の会場だ。そんな神聖な場で下手な踊りが出来るわけがないだろう!」
「じゃあ、一人ずつ順番に社交ダンスしたら?」
怒る貴族の青年を前に、面倒臭そうに答える残念な少年。
「喧嘩して周りに迷惑かける位ならそうした方がいいんじゃない? 馬鹿じゃないんだから」
残念な少年の言葉に再び沈黙する二人。現在、残念な少年が提案した方法を実行し、自分達が言い争っている現状を再認識してしまった二人の青年は顔を見合わせる。
自分達が如何に馬鹿な喧嘩を神聖な場所でしているのかということを、二人は漸く理解した。
「……用事を思い出したので、僕は帰らせてもらう」
「私も、失礼させてもらう」
舌打ちを一つすると、今迄の怒りの様相が嘘のように、落ち着いた面持ちで踵を返して会場から出て行こうとする二人の男。
二人の後を慌てて追う取り巻き達を眺めながら、胸を撫でおろす他の貴族達。
「結局何がしたかったんだ、あいつら?」
離れていく二人の青年の姿を目で追いながら、脇に置かれた豪勢な料理を口に運び青葉春人は首を傾げる。
「こんな所で何をしているのですか? 青葉君」
内心の動揺を押し隠し、引き攣りそうになる口角を必死に取り繕いながら、テーブルの近くまで来ていた北見梨々花は目の前にいる頭の可笑しい男に話しかけた。
「……あんた誰?」
『てめぇと一緒にこの世界に召喚された勇者だよ!今朝から同じ訓練受けてただろうが!ふざけんじゃねぇよ‼』
神経を逆撫でする残念な少年の物言いに、思わず叫びそうになった言葉を堪え、どうにか何時もの笑顔を作ろうとして顔を強張らせる北見梨々花。
「北見梨々花です。今朝も訓練の時にお会いしましたよね?」
「ああ。確か百人切りの人」
『何でそこだけ覚えてんだよ‼』
肩を震わせながら、喉元まで出かかった罵声を、必死で胸の内に留める北見梨々花。
「それで、青葉君はここで何をされているのですか?」
「何って、食事してる」
『そんなことは見りゃ分かんだよ‼』
「そうではなくて、どうしてテーブルの下でお食事をされていたのですか?」
残念な少年の言動に乱された情緒を安定させる為、丁寧な言葉遣いで本音を押し隠し、何時もの様に猫を被ろうとする北見梨々花に対し、青葉春人は溜息を溢しながら告げた。
「だってさ、明日、俺、一人だけ旅立つじゃん」
「はい」
「それでさ、皆と過ごせるのも今日が最後じゃん」
「……はい」
「なのにさ、誰も俺の事、祝ってくれないじゃん」
「……はい?」
「だってさ、言ってみれば今日は、俺にとって最後の晩餐なわけじゃん。なのに、誰も祝ってくれないし、挙句の果てに、皆は俺抜きでこんなご馳走食べてるんだもん! そりゃ、一人寂しくパンを齧っている俺に少しくらい分け前があってもいいだろ! 隠れてご相伴に与っても罰は当たらないと思うだろ‼」
必死の形相で持論を展開する頭の可笑しい男を前に、表情を取り繕うのを忘れて、思わず間抜けな顔を晒す北見梨々花。
「…………そうかもしれませんね」
「そう思うだろ! だからこうして、仕方なく会場に忍び込んで、ひっそりと最後の晩餐を楽しんでたんだ」
「…………」
他人を不快にする青葉春人の自分勝手な発言に対して、破裂しそうになる鬱憤を鎮めようと、両眼を閉じて精神を安定させようとする北見梨々花。
「それにしても、百人切りさんはモテるんだな。多分、さっき出て行った二人は百人切りさんと一緒に踊りたくて喧嘩してたんだろ。男を手玉に取るとは、なかなかやるな百人切りさん」
『誰が百人切りさんだ!綽名で呼ぶんじゃねぇ‼』
「まさしく稀代の悪女、勇者の肩書を持ったビッチ。よし! これからはビッチ勇者さんと呼ぼう!」
『何がよしだ! 変な綽名付けんじゃねぇ‼』
「……おーいビッチ勇者さん、返事してよ。もしかして、立ったまま寝てるの?」
残念な少年を前に、今にも爆発しそうな怒りを抑える為、沈黙を貫く北見梨々花。
「……成程。さっきから言動や態度が少し可笑しいと思っていたが、そういうことか。」
両目を瞑り、険しい顔で何かに耐えている北見梨々花を前に、青葉春人は何かに納得したように腕を組むと、頻りに頷く。
「つまり、俺に見惚れて緊張していると?」
その時、北見梨々花の中で、何かが切れる音がした。
「ふざけんじゃねぇ、誰がてめぇみたいな不細工に見惚れるか! 一遍自分の顔を鏡見てから言えや! 黙って聞いてりゃ好き放題言いやがって、誰がビッチだ! こっちは飽きれかえってるってことがわかんねぇのか! てめぇは大人しく馬小屋で仲良く餌でも食ってやがれ、このクソ虫がぁぁぁ!!!!!」
会場に轟く怒号に、水を打ったように辺りが一瞬で静まり返る。
ある一点を見つめて沈黙する周囲。
暫しの静寂の後、肩で息をしながら怒りで顔を赤くしている北見梨々花が、昂った気持ちを落ち着ける様に深呼吸をすると、呆然と此方に目を向けている周囲に気付き、先程、自分が何をしたのか理解した。
「……」
気付いてからの彼女の行動は早かった。少し乱れたドレスを整え、周囲に視線を向けることなくすぐに踵を返すと、足早に会場を後にした。離れゆく北見梨々花の背中を眺めながら、残された者達は、今迄の楽しげな喧騒が嘘の様に、再び談笑をする気分になれず、暫くの間、明るい筈の貴族の社交場は重い静寂に包まれた。
「……美味い」
ただ一人、空気を読まない残念な少年の咀嚼音を除いて。