どこの世界でも、違う種族同士というのは分かり合えない?
―――そして、話は現在へと戻る。
「―――お前たち! こいつを無事に助けたければ、大人しくしていろ!」
鬼族の住まう集落の入り口。額に角のある幼い一人の少年の首に片腕を巻き付ける人族の男は、自分達を取り囲むようにして睨みを利かせながら周囲に展開している額に角のある屈強な大人たちを前にしても、まったく怯むこともなく不敵な笑みを浮かべて立っていた。
鬼族の幼い少年を人質に、その場に集まった鬼族たちに向かって叫び声をあげている人族の男をその目で認識した瞬間、鬼族の族長とともに出てきた鬼メイドは、その場でゆっくりと膝から崩れ落ちた。
「―――おい、どうした?」
「…………」
まるで絶望でも目の当たりにしたかのような表情で崩れ落ちた鬼メイドに、すぐ横にいた族長は、思わず心配そうに声をかける。それに、ただ沈黙で答える鬼メイド。……どうやら、返事どころか、ため息を吐く気力すら奪われたらしい。
そうこうしている間にも、事態は進行する。
「こちらの要求はただ一つ。まず、今から名指しする者達をこの場に集めろ」
周囲を取り囲んでいる額に角のある大人たちに向かって、残念な少年は声を上げる。そして、淡々とした調子で数名の名が告げられていく。
なんとも緊迫した空気の漂う中にあって、何故か表情を消して静かにジトッとした視線を残念な少年の方へと向けている幼い鬼族の少年の姿が、異様に印象に残る。そこには遠目から見た限りでも、人質特有の怯えや緊張感のようなものは一切感じられない。
むしろ、言外に『コイツと関わったのが運の尽きだ』とでも言いたげなその表情は、その幼さとは不釣り合いな、諦めともとれる哀愁を滲ませていた。……その事実を、その場にいた大勢の同族たちの中で唯一、鬼メイドのみがひしひしと感じ取っていた。
「―――以上だ。とりあえず、その者たちをこの場に集めてもらう。……詳しい要求はその後だ」
「ちょっと待て! 今さっき名を上げられていたのは、皆まだ子どもだぞ! それを集めさせて一体何をする気だ!」
「……それを貴様らに話すつもりはない。このお子ちゃまを無事に解放してほしければ、言う通りにしろ」
「……くっ! ……これだから人族は……」
憎々し気に鬼族の少年を人質にとる人族の男を睨む周囲の大人たち。残念なことに、この場には、先程、残念な少年の吐いた『お子ちゃま』という珍妙な呼称に関してツッコミを入れられる人材はいなかったらしい。
鬼メイド以外にも族長など、緊張感の漂うその場の空気とは不釣り合いなその妙な言い回しに目敏くも気付いた者は何人かいたようで、聞き間違いか、という疑問を頭に浮かべて先程までとはまた違った戸惑いをみせている。
しばらくした後、残念な少年の名指しした鬼族の少年たちがその場に集められる。
「……うっわぁ、ブッサイクだなぁ~」
「…………」
集められた鬼族の少年たちの顔を順番にじっと見ていた残念な少年は、ある一人の顔に目を止めてから、思わずいつもの調子で内心を吐露してしまう。その発言に、言われた本人は無言でムッとした表情になる。
「……なぁ、多分だけどアイツがいじめのリーダーだよな? ……もう見るからに悪人面で、大人になってからも生き辛そう顔してるから、言われなくても分かったぞ。……アイツがリーダーに間違いないじゃん」
「……一応、間違ってはいないですけど、他人の顔面を判断基準にするのは失礼ですよ。……あと、仮にも僕はいま人質なんですから、周りに聞かれないよう声を潜めているとはいえ、こんな状況の中で、そんな気さくに話しかけないでください」
徐にヒソヒソ話を始め出した残念な少年と人質の姿を見て、族長を含めた一部の者達はますます困惑して首を傾げてしまう。
「ゴホン! では、これより要求を伝える。とりあえず、お前たちはこっちにこい」
「「「「…………」」」」
気を取り直すように一つ咳払いをする残念な少年。そして、目の前に集められた鬼族の子ども達を手招きし、近くまで来るよう指示する。それに対して、一瞬だけ大人のいる方へ不安気に視線をやった子ども達は、そのままゆっくりと残念な少年のいる方へと歩みを進めた。
時々立ち止まったりもしながら、そう遠くない距離を詰めようとする子ども達の歩調に合わせるように、周囲に気付かれない調子でなぜか後退する残念な少年。
妙な発言をきっかけにして、既に残念な少年の行動に違和感を持ち始めていた族長を含めた一部の鬼族は、目の前にいる子ども達にすら悟らせずに後ずさる残念な少年の奇妙な行動に逸早く気付く。
そして、人族の男と鬼族の子ども達の間にある距離が一向に詰まらないことに、歩いていた子ども達と、周囲にいた他の鬼族も不審に思い始めていた時、それは突然に起こった。
ずっと目の前にいた筈の鬼族の子ども達の姿が、一瞬にしてその場から消えてしまったのだ。
「…………え?」
誰が声を上げたのかはわからないが、あまりにも唐突に起きた不可解な現象に、その場にいた者達の内心を表すように、皆は一様にポカンとした表情になる。
「よしっ!」
ただただ呆然としている者達の中にあって、唯一、人質であるはずの幼い鬼族の少年から手を放して、一人で小さくガッツポーズを取っている残念な少年。解放された幼い少年は、別に歓喜するわけでもなく、なぜかその場から逃げることもせずに、呆れたようなため息を溢している。
子ども達の消失、人質の解放、と立て続けに訳の分からない事態が発生したことで、状況の変化にまったく付いて行けず、その場から動くことも出来ずに立ち尽くしている鬼族。
そんな彼らの存在をまるっと無視して、残念な少年は、先程まで人質にしていた筈の幼い少年の方へ指示を飛ばして、行動を開始した。
「…………はっ! ちょっと待ちなさい、君は何をしているのかね?」
しばらくの間放心していた鬼族の面々。その中で逸早く持ち直した鬼族の族長は、いつの間にかスコップのような物を手に取って、同族の人質であったはずの幼い少年と一緒になって何かをしている残念な少年に向かって話しかけていた。
「は? 何って見てわかんないのか? 穴を埋めてんだよ」
「……穴を埋める」
残念な少年の発言を耳にして、族長はようやく目の前にある地面に奇妙な穴がポッカリと開いていることに気付く。
集落の入り口付近という生活している島民にとってあまりにも危険な場所で、長い年月を集落の中で過ごしてきた族長の記憶にもまったくない位置にある穴。利便性を感じられないその落とし穴を見つめて、族長は一人首を傾げる。
「いつの間にこんなもの……」
「はぁ~、やれやれ。そんなの俺がさっき作ったに決まってるだろ」
「え?」
思わず内心を吐露するように何とはなしにボヤいた族長の独り言に対して、残念な少年は穴を埋めるというよく分からない謎の作業の手を止めて返事をする。それにただただ目を丸くして声を漏らす鬼族の族長。
「……君は一体―――」
「何をしている貴様っ!!」
その時、族長のあげた疑問の声を遮るようにして、鬼族の男が怒号を飛ばした。射殺さんばかりに睨みを利かせている鬼族の男に、残念な少年は臆する様子すら見せず、変わらず飄々とした態度で答える。
「だから、穴を埋めてるんだよ。何度言ったら分かるの? ていうか、そんなことも見てわからないわけ? 脳みその栄養をその角に全部持っていかれてるんじゃないの?」
「何っ!!」
今にも掴みかかってきそうな相手に、残念な少年は何も考えていないのか、いつも通りに素で煽りを仕掛ける。鬼族の男の蟀谷にすでに浮かんでいた青筋が、言葉通り今にも切れそうなほどに、鬼族の男は鼻息を荒くして怒りのボルテージを上げた。
「これ、少し落ち着かんか」
「しかし族長、この人族は鬼族の子どもを人質に……」
「その人質と一緒になって作業しとるようだが?」
「…………へ?」
憤慨する鬼族の男に対して、宥める様な声音で話しかける族長。鬼族の長の発言を耳にして、怒りを忘れてキョトンとした顔を晒す鬼族の男。
そんな二人の目の前では、自分たちの存在など忘れたかのように黙々と穴を埋める作業を進める人族の男と、先程まで人質だった筈の鬼族の幼い少年の姿があった。
「……これは一体……」
「ふむ。それにしても、その埋めようとしている穴には何が……」
状況が呑み込めずに呆然としている鬼族の男。そんな中で、少し考えるように顎髭を撫でる鬼族の族長は、ふと気になって残念な少年が埋めようとしている穴に近づくと、真上から見下ろすような形で、徐に穴の中を覗いてみた。
そして、その穴の中にあったもの。正確には、いた者達を視界にとらえて、言葉を失う。
残念な少年が埋めようとしていた穴の中には、つい先程消えたとばかり思われていた、鬼族の子ども達の姿があった。気を失っているのかピクリとも動かない子ども達に、残念な少年は何の躊躇いもなく土を被せていく。
そんなあまりにも非人道的な行いを、大衆の視線の集まる中、罪の意識なども全く感じさせずに堂々とやってのけている人族の少年に目を向けた族長は、目を大きく見開いて唯々困惑していた。
「……あの、今更ですけど、この穴を埋める必要あるんですか?」
未だ回復を見せず呆然と立ち尽くしている鬼族の中で、唯一動いている先程まで人質にされていた筈の幼い少年が、穴を埋める作業の手を止め、不安そうな顔をしながら残念な少年に話しかけた。
「ほら、よく言うだろ。ゴミはゴミ箱にって」
「……いやいや、この穴はゴミ箱ではないですし、なにより、彼ら、ゴミではないですからね」
「やれやれ。どうせ行きつく先はみんな一緒で、穴の中に放り込まれるんだから。早いか遅いかの差で、別に骨になる前の段階で埋められたっていいじゃんか」
「良くないっ! それ、ぜんぜん良くないですからっ!? 生きてるか死んでるかの差は、かなり問題ありますからっ!!」
「はぁ~。お子ちゃまのくせに、融通が利かないな」
「そういう問題じゃないって言ってるでしょうがっ!?」
ため息を吐きながら左右に首を振る残念な少年に対して、「ため息を吐きたいのはこっちだよ!」とでも言わんばかりに捲くし立てる様にして相手を諫めようとしている幼い少年。
しかし、幼い少年の労力の割に、あまり効果は出ていないようである。
「……おい、これはいったいどういう事なんだ」
そんな時、ふと厳めしい顔をした一人の鬼族の男がやって来る。その存在に気付いて視線をやった幼い少年は、何故か一瞬肩を震わせる。
「どうかしたか?」
怯えた様子を見せる幼い少年に気付いて、思わず声をかける残念な少年。それに反応を示すことも出来ずに、口を噤んでしまう幼い少年。
「お前はこんなところで何をしているんだ?」
そこで、幼い少年に向かって、厳めしい顔をしていた鬼族の男が声をかけた。また、幼い少年の肩がぴくっと揺れる。
「え、なに? もしかしてお知り合いの―――」
「黙れ人族」
「……はい?」
厳めしい顔の鬼族の方を一瞥した後、また幼い少年の方へと視線を戻した残念な少年は、ふと思いついた疑問を尋ねようとする。しかし、それを遮るように厳めしい顔の鬼族が声を上げた。
「卑しい人族風情が、私たち家族の問題に口を挟むな」
「……いやいや、口を挟むも何も、質問しただけじゃん」
睨みを聞かせてくる鬼族に対して、ただただ困惑する残念な少年。
「え、なに? まさか鬼族っていうのは、大人になるとみんなこんな感じでまともに話もできないの? やれやれ。家族だか何だか知らないけどさ、そんなんだから、異様に頭のまわる異常なお子ちゃまをこの世に生み出してしまうんだよ?」
「…………誰が異常ですか、誰が」
いつものようにウザい態度で肩をすくめてから首を左右に振って見せる残念な少年。その横にいて、周囲に聞こえないくらい小さな声で幼い少年はボソッと事も無げに一人呟いた。
「まったく。いい年した大人のくせに、そんな厳つい顔で子どもを睨むんじゃありませんよ。見ての通り、今は大事な作業の真っ最中でもあるんだからさ。鬼族とか人族とかそんなこと言う前に、大人なんだからもう少し空気を読んだらどうですかね?」
「なにっ!?」
まるで呼吸でもするかの如く平然と相手を煽る残念な少年。そんな少年の態度に、相対する一人の鬼族は眉間に青筋を浮かべる。
「お前たち人族が我が一族に対して何をしてきたのか、わかっているのか!?」
「そんなの知りませんし、俺には関係ありません」
言葉通りに鬼の形相で捲くし立てる鬼族の男の発言に対して、残念な少年はどこ吹く風とばかりに素知らぬ顔で、俺には関係ないと平然と言い切った。
「何か文句があるんだったら、それをしてきた奴に直接言えばいいじゃんか。そりゃ、諺にも坊主憎けりゃ袈裟まで憎いなんてのもあるけどさ。単に種族が同じってだけで、俺にまで責任を押し付けてくるのは筋違いだってことがわかんないの? それとも、そんな子どもでも理解できるような常識さえ鬼族の大人は知らないんですかぁ?」
「…………」
さらに相手の怒りを掻き立てるように腹の立つ態度で煽りを重ねてくる残念な少年。すぐ傍にいた鬼族の幼い少年は、先程まであった家族からくる怯えた様子が嘘のように無くなり、その手に持っていたスコップを抱きしめながら明後日の方を向き、目の前で奇行を繰り返していたアレと仲間と思われないよう、必死に他人のふりをしていた。
「それじゃ、話も終わったみたいだから作業を再開しようか」
「…………すみません。今、こっちに話しかけないでもらえますか?」
「お前たち! どこまで我々を虚仮にする気だ!?」
そうして勝手に話を切り上げた残念な少年はスコップを握り直すと、そっぽを向いて必死に気配を消そうとしていた幼い少年に声をかける。それに顔を引きつらせながらも、か細い声でなんとか答える幼い少年。
そんな中、無理矢理に話を終わらせ、自分の存在を無視して穴を埋める作業に戻ろうとする残念な少年に向かって、一人の鬼族が肩を怒らせながら吠える。
「もう何? 何度も言っているように、こっちは忙しいんだけど? 手伝ってくれるわけでもないんだから、邪魔しないでくれる?」
穴に向かってスコップで掬った土を放り込みながら、残念な少年はムッとした表情で言う。
そんな不遜ともいえる態度を目の当たりにしながら、ますます怒りを増大させ、肩を怒らせながら歩いてくる鬼族の男。
「――――――あ」
その時、一歩目である地点に足を下ろした鬼族の男を見て、幼い少年が思わず声を漏らした。その声に誰かが反応を示すよりも早く、目の前にいた筈の鬼族の男はまるでスローモーションでもかけられたかのようにゆっくりと下に落ちて行った。
「……やれやれ。まったく、先に悪ガキどもが落とされる瞬間を目の当たりにしていた筈なのに、なんで気付かないのかな? 罠は複数準備しておくのが世間の常識だっていうのに。そんな常識も知らないから、人族が如何とか、鬼族が如何とか、しょうもないことばかり気にして、こんな風に足元を掬われちゃうんだよ?」
まるで美味い事が言えたとでも言わんばかりにご満悦な表情を浮かべている残念な少年。そして、悪ガキどもの落ちた穴を埋める作業を幼い少年に任せると、淡々とした恐ろしくも自然な動作で先程鬼族の男の落ちた穴に向かってスコップで掬った土を入れていく。
そんな言葉にしがたい事態の連続と今まさに繰り広げられている異常ともいえる光景を前に、他の鬼族たちは族長を含めて困惑のあまり無言で立ち尽くしている。穴に落ちた同族を助けに向かうでもなく、穴を埋めようとする作業を止めに入るでもなく、ただただ放心している彼らの表情からは、「なんなんだコイツは!?」とでも言いたそうな雰囲気だけは、ありありと伝わってきた。
そして、あまりのことに今だに地面に膝をついたまま立ち上がれずにいた鬼メイドは、その場にいて只一人、目前で奇行を繰り返す自分の主についてどう釈明すべきか頭を悩ませ、手のひらで顔を覆いながら静かに天を仰いでいた。さながら、アレの説明に関して、天に住まうであろう神々の助力を求めるかのように……