どの世界でも、不吉な予想というのは現実になりやすいらしい
――――――ザザーンッ……
とある海の上。イカみたいな化物との激しい戦いからすっかり時間が経っていて、戦後処理の始まった時にはまだ真上にあったお日様も既に傾き、青かった空を赤く染め始めている。
そんなロマンチックとさえ思える夕陽の見える船の甲板で、暗い雰囲気を纏いながら残念な少年は憂鬱そうに項垂れていた。
「…………ハァ~……」
沈んでいく日を眺めながら深いため息を吐く残念な少年。そこへ、美しく無駄のない所作で近づいていき、普段から従者という立場に相応しい表情の読めないポーカーフェイスを決め込んだ毒舌鬼メイドが声をかける。
「どうかされましたか、ご主人様?」
「……俺さ、この船に乗っている意味あるのかな?」
「…………はい?」
慇懃な態度で接してくる鬼メイドの問いに対して、手摺に両肘を乗せながら沈んだ調子で答える残念な少年。
質問に質問を返されてしまい、何とか表情を崩すことは耐えるが困惑した様な声を上げてしまう鬼メイド。
「だってさ、俺達はイカみたいな化物の討伐に協力するためにこの船に乗せてもらってた訳じゃんか? なのに、その肝心の化物退治の時、まったく活躍できなかったじゃん」
「…………」
ため息交じりに語る残念な少年。まあ、一般的な感性を持っている人ならたぶん誰しもが思う事であろうし、落ち込んでいる理由としては至極まっとうなもののように思える。
にも関わらず、沈黙した鬼メイドは「いまさら何言ってんだこの人?」とでも言いたそうな視線を自分の主に向けていた。どうやら、鬼メイドの中では、残念な少年は既にそれ以上の醜態を散々さらしてきていて、それが彼にとって当たり前なのだとさえ思えるような悲しい評価が下っているらしい。
「……それに関しましては、先程ご主人様はこの船の主から感謝の言葉をいただいていた筈です」
気を取り直すかのように一旦咳き込んでみせる鬼メイド。そして、残念な少年が甲板に出る少し前、ついさっき提督と呼ばれている色黒イケメンに呼び出されていた時のことを思い出させるかのように語り掛ける。
実は、イカみたいな化物の討伐に成功した後、すぐさま船の簡易的な修理などが行われたのだが、その際に、討伐したばかりの巨大な化物の死体をどうするべきか船乗りたちは難儀していた。
本来ならそのまま放置して魚の餌にでもするのが得策なのだが、そもそも化物の討伐というのは色黒の青年とその関係者のみのほぼ独断という形で行われていて、無事に化物を退治できたと証明してくれる信頼のおける第三者がいない。
さらには、海の上という特殊な条件下であった事も重なって、後で誰かが確認に来るという方法も難しく、どうしても死体の一部というわけにはいかず、できれば化物そのものを持ち帰る必要に迫られていたのである。
もちろん、ほぼ全海域を支配している魚人族の助けを借りれば、死体の運搬だけでなく討伐の確認というのもいっぺんに解決できるのだが、そう簡単な話でもなく、そうすると人族の中で魚人族との数少ないつながりを持つ商会が相手に弱みを見せる事になって後の商売に影響を及ぼす可能性もあり、選択肢として選びづらかった。
そんな時に現れたのが、まるで未来の青い猫型ロボットの持っているポケットのようになんでも入れることのできる異世界でも異常ともいえる魔法の袋を持った残念な少年である。
「いや、だってあれはさ、ただ単に俺が化物の死骸を袋に詰めるっていう荷物持ちみたいなことをしただけだからな。しょうもない雑事をしただけで褒められても微妙なんだよな」
「…………」
事の重大さを全く理解していない残念な少年は、誰にでも出来そうな雑用をしただけで褒められたのだと、なんとも的外れなことを考えながら気落ちしている。
それを理解した上で、無言のまま少年に冷ややかな視線を向ける鬼メイド。
「……あ~あ。なんかさ~、これから俺が活躍できる事件でも起きてくれないかなぁ~」
「あまり不吉なことを言わないでもらえますか?」
夕陽を眺めながら身勝手なことを口走る残念な少年に対して、表情を変えずに諫める鬼メイド。
そうこうしているうちに夕陽は完全に沈んでしまい、赤く染まっていた周囲も真っ暗な闇に飲み込まれてしまう。それに合わせて、船内をポツポツとランタンの光が照らし始める。
「暗くなってまいりましたし、しょうもない事で項垂れているのもほどほどにして、お休みになられてはいかがですか?」
「……異世界メイドが俺に優しくない……」
手摺に寄り掛かっている主に辛辣な言葉を投げかける毒舌鬼メイド。メイドの発言を耳にしてか、ボソッと小さな声で不満を口にする残念な少年。
その時、先程まで何の問題もなく進んでいたはずの船が急に止まる。
「ん?」
不思議そうに首を傾げる残念な少年。
辺りは真っ暗闇で遠くの方ははっきりと見えないが、船の灯りもあって周囲にぶつかりそうな障害物のないこと位はすぐにわかる。加えて、船の帆はまだ動いていて風が止んでいるわけでもなさそうだ。何とも奇妙である。
しばらくして、船乗りたちによる一通りの確認が始まったのか船内が少し慌ただしくなり始めている。
そんな時、船乗りたちの内心の動揺を表すかのように船が大きく揺れる。
「なんだ?」
船の確認作業をしていた一人の船乗りが声を上げる。その声に反応してか、初めの大きな揺れを最後に徐々に振動は収まっていく。
海上で起きた不可解な出来事を前に、沈黙してしまう船員たち。雲に覆われて月の光も届かない暗い海の真ん中で、ポツンと孤独に浮かんだ船団を不気味な静寂が支配した。
なぜか異様な雰囲気の漂う中、船員たちの間に緊張が走り、冷や汗を流すある船乗りは喉が渇いたのか喉を鳴らしている。
風を受けて帆が揺れているにも関わらず、まったく動く気配のない船。ようやく船の振動も収まるも変わらぬ現状に船乗りたちが動揺の色を強くしていた時、船団を囲むような形で海の中からそれは現れた。
「っ! オイ、何だよあれっ!?」
船尾でランタンを片手に見回りをしていた船乗りが、真っ先に異常に気付き海上の方を指差して叫ぶ。
……そこには、ごく最近も見たばかりの巨大なイカの触手が複数本ニョキニョキと海上から伸びていた。




