徐々に主人公の影が薄くなっている気がするのは気のせいだろうか・・・
「――――――用意はいいか?」
とある海域。波に揺られながらゆっくりと前進していく無人の船を見つめながら、一人の厳つい顔をした船乗りの男が口を開く。
それに無言で答えるように、一斉に首を縦に振る他のオッサン達。その場にいた全員が緊張した面持ちを滲ませている。
ある者は、その手に持った巨大な荷物をより力強くギュッと握った。
ある者は、未だ変化を見せない目の前に浮かぶ船をジッと見つめて唾を飲み込んだ。
ある者は、逆に不気味とさえ思える程に雲一つない気候からくる日差しを疎ましく思いながらも、滴り落ちる汗を拭わずただジッと耐えていた。
そして、ある少年は、そんな周囲の空気など全く気にした様子もなく、木箱の上に胡坐をかいて座り暇そうに欠伸をしていた。
「……テメェ、マジメにやれ」
周囲に聞こえないように声を潜めて、やる気の見えない残念な少年に向かって注意をする顔に傷のある男。
「いや、だって結構経ったのに全然出てくる気配ないじゃんか?」
そんな顔に傷のある男に対して、いつも通りのトーンで話す残念な少年。
慌てて残念な少年に見えるような形で口の前に人差し指を添えると「シーッ」と言って静かにするように促す顔に傷のある男。
「……少しは空気を読め、バカ」
「何! バカと言った方がバカなんだぞ‼」
顔に傷のある男の発言に対して、ムッとした表情をしたまま大声で反論する残念な少年。
その瞬間、その場にいた厳つい顔のオッサン達が一斉に振り向く。
「テメェら、今どういう状況かわかってんのか?」
「す、すいやせんっ!」
緊張感からかより鋭くなっている船乗りたちの視線を一身に受ける顔に傷のある男は、額に青筋を浮かべたその場のリーダーと思われるオッサンの厳しい一言に対して、即座に腰を直角に曲げるぐらい綺麗に頭を下げながら謝罪の言葉を口にする。
そんな中でも、残念な少年はまるで他人事のように胡坐をかいたままボケーッとしていた。
「……どうやら、来たみたいですぜ」
残念な少年のせいでなんとも閉まらない空気の流れ始めていた時、ふと無人の船を静かにずっと見つめていた一人の船乗りの男が声を上げた。
それに反応してか、すぐさま元いた位置に戻ってまた緊張感を滲ませ始める船乗りたち。
この時点で、ようやく残念な少年もマジメに取り組む気になったのか、無人の船の方を真剣な顔で眺めていた。
「なんだあれ?」
今も目の前で何事もなく進んでいる無人の船の後方に、いつの間にか大きな黒い影が出来ている。それを見て疑問の声を口にする残念な少年。
なぜなら、今日は雲一つない快晴で、雲による影が海の上に出来る筈はないのだ。まして何もない大海原の真ん中で、他に影をつくる遮蔽物になりそうな物体もあるわけはなく、唯一なりそうな船団も無人の船からは距離を置いていた。
緊張感もなく頭にクエスチョンマークを浮かべながら、腕を組んで首を傾げる残念な少年。
そんな彼とは対照的に、その場にいた船乗りたちは事態をちゃんと理解していたのか、皆その顔を強張らせていた。
船乗りたちが固唾を飲んで見守る中、どういうわけか無人の船の後ろに現れた大きな影は動き始める。まるで生き物のように徐々に前の方へと進んでいく黒い影は、気が付くと無人の船のちょうど真下に来ていた。
ピッタリとくっつくようにして波に揺られながら進んでいる無人の船とともに動く大きな黒い影。残念な少年が不思議そうに目を瞬かせていたその時、大きな影の中から巨大な触手のような物体が複数本伸びてきて、無人の船に巻き付く。
「ええっ!?」
予想外の出来事を前にして、ただ一人、吞気に驚きの声を上げる残念な少年。
その間にも、マストにある見張り台にいた船乗りの男が他の船に合図を送るなど、配置についていた船乗りたちは動揺など微塵も見せずに、当初の計画通りに動いている。
影の中から現れた巨大な触手が巻き付いた船を、遠くからでも聞こえるミシミシッという不気味な音を響かせながら海の中へと引きずり込もうとしている最中、船団は既にその無人の船を取り囲むような形で配置についている。
デッキを掃除していた時のように一糸乱れぬ動きを見せて、化物に気付かれることなく素早く攻撃できる位置へと船を移動させた船乗りたち。これはまさに歴戦の海の男によるチームワークと類稀な操船技術があってこそなせる離れ業である。
「……俺らは遊撃隊だからな。出番が来るまでジッとしてろよ」
いつの間にか隣にいた顔に傷のある男の助言を静かに聞く残念な少年。
そうこうしているうちに、無人の船の方に変化が起こる。船に巻き付いた触手とは別に、海の中からさらに数本の触手が伸びてきた。
更にそれだけでは留まらず、大きな黒い影の中から徐々に巨大な白い山のような何かが、ザザーッという水の落ちる音と共に姿を現す。
「――――――撃て‼」
瞬間、遠くの方からでもはっきりと聞こえた色黒イケメンの号令に合わせるかのように、無人の船を囲んでいた船が一斉に砲撃を始める。
「……大砲なんて物まであるんだな、この異世界」
どんな動体視力をしているのか、バァンッという猛烈な音を響かせながら白い化物に向かって飛んでいく何かを目ざとく見つけて、残念な少年はボソッと独り言を呟いた。
「〇△■×&%$〇!?&$っ‼‼‼‼」
着弾と同時にもがき苦しむようにして断末魔の叫び声をあげるイカみたいな化物。しかし、致命傷にはならなかったらしく、その触手は今もしっかりと無人の船をとらえていた。
「攻撃の手を緩めるな‼」
どこからかまた色黒イケメンの声が辺りに響き渡る。一瞬、複数の場所からほぼ同時に声が聞こえたことから、おそらく地球で言うところの拡声器や通信機のような魔道具を使っているのではないかと思われる。
提督の命令によってか、今も激しい音を鳴らして砲撃が続いている中、残念な少年の近くにいたその場のリーダーらしき一番偉そうなオッサンが他の船乗りたちに見えるように徐に片手を挙げた。
「……おい、出番が来たみたいだから少しはシャキッとしろよ」
傍にいた顔に傷のある男に肩を叩かれながら言われる残念な少年。そして、船乗りたちの間で話し合いなどが起こるわけでもなく初めから決められていたかのように、先頭にリーダーと思われる男を置いて顔に傷のある男も含めた船乗りたちは、力を合わせて大きな布の巻き付いた棒状の荷物を抱えると一斉に一糸乱れぬ動きでデッキを走り抜けていく。
置いて行かれまいと、残念な少年も慌ててそのオッサン集団を追いかけていく。
「ムサイオッサンとかじゃなくて、できれば可愛い女の子を追いかけたかったな」などという事を残念な少年が内心で思っている間に、少年の乗っていた船も含めた数隻の船が砲撃を掻い潜りながらも別々の方角から白い化物に向かって体当たりを仕掛けた。
その衝撃で船は大きく揺れる。しかし、それでもよろめいたりして勢いを落とすこともなく自然な動作で船の中を走り向けていく船乗りたち。残念な少年が目の前にいたオッサン達に合わせるようにして立ち止まる頃には、見上げる程に大きな白い化物の背中が視界の大半を覆っていた。
「デッカ!?」
思わず驚きの声を上げる残念な少年。船乗りたちもその意見に同意するかのように化物の姿を見上げながら息を呑む。
「よし、お前ら準備しろ!」
「「「「へい!」」」」
先程まで沈黙を貫いていたリーダーが大声を張り上げると、それに応えるようにして船乗りたちも威勢の良い返事をする。
そして、数人がかりで持ってきた大きな荷物に巻き付いた布を剥ぎ取る船乗りたち。その中からは、全長数メートルはあろうかという巨大な鉄の杭が姿を現す。一見丸太のようにも見える黒い杭の胴体には、点々と円柱にはないはずの取っ手のような出っ張りがあった。
船乗りたちは、巨大な杭を挟むようにして両サイドにばらけると、それぞれが胴体部分にあった取っ手の部分を持ってから杭を上げた。
「合図が来たら一斉にあのイカ野郎の胴体に風穴を開けてやれ!」
「「「「へいっ‼」」」」
まだ続いている砲撃と船の体当たりによるダメージが相当こたえているのか、今も断末魔の叫びを上げながら触手を振り乱して苦しむ白い化物。たまに、縦横無尽に動く触手が船首にある飾りや甲板に当たりベキッバキッという恐ろしい音を立てている。
そんな中でも全く動じずに、巨大な杭を持ったまま構えている船乗りたちに指示を飛ばすリーダーのオッサン。
……そして、ついにその時が来た。
「―――行けぇーっ‼‼」
「「「「うおぉぉぉぉぉぉぉぉ‼‼‼」」」」
またどこか別々の場所からほぼ同時に聞こえてきた色黒イケメンの声。その号令を耳にし、息の合った動きを見せて巨大な杭を抱えたまま勢いよくイカの化物に向かって突進していく船乗りたち。
他の船でも同じことが起きているのか、化物に体当たりをしていた別の船の方からも威勢の良い船乗りたちの叫び声が聞こえてくる。
ほぼ無差別に振るわれる触手を掻い潜りながら、ドンドン加速していく船乗りたち。そして、その勢いがちょうど頂点に達したかと思えるような瞬間に、その尖った先が深々と白い化物の胴に突き刺さった。
「〇△■×&%$〇!?&$っ‼‼‼‼」
その瞬間、一際大きな叫び声をあげるイカみたいな化物。悶え苦しむようにその巨大な触手や杭の数本刺さった胴体をしばらく震わせた後、無人の船に巻き付いていた触手を外しながら白い化物はゆっくりと海面に向かって倒れて行った。
それを黙って見守っていた船乗りたち。白い化物がまだ動き出すのではないかと、船首に身を乗り出すようにして数名の船乗りが様子を窺っている。
そして、イカみたいな化物が完全に沈黙したことを確認できると振り返りながら仲間に合図を送った。
「―――私達の勝利だ‼」
「「「「うおぉぉおぉぉぉおぉぉおぉぉっ‼‼‼‼‼」」」」
最後に、色黒イケメンの宣言が放送されると、両手を振り上げながら一斉に勝鬨を上げる船乗りたち。
ある者は、感極まったのかその場で顔を伏せて泣きじゃくった。
ある者は、勝利の余韻に浸るかのように拳を振り上げながら空を見上げていた。
ある者は、喜びを分かち合うかのように近くにいた仲間達と抱き合いながら涙を流していた。
そして、ある少年は、まるで仲間はずれにでもされたかのように、ただその場で立ち尽くしていた。
「………………俺、いる意味なかったんじゃない?」
空しい独り言をボヤく残念な少年。残念ながら、そんな少年の悲しい言葉を聞いてくれる者はその場には誰もおらず、そこにはただ自分には関わりのなかった歓声と波の音だけが響いていた。