プロローグ 【残念な少年とゴスロリを着た幼女】
「――また来た」
何もない空間。壁もなく、天井もなく、床もない、ただ白い景色だけが永遠に続く無機質な空間。
「――今度は誰にしよう」
雑音もなく、匂いもない、真ん中に黒い靄が存在するだけの空間の中で、か細い少女の声だけが響いていた。
「…………」
黒い靄の中、少女は誰もいない空間の中で、口遊む。
「――楽しそう」
虚空をぼんやりと見つめる少女は、目の前にある何かを掴もうと手を伸ばす。
「――彼は、何で楽しそうなの?」
何もない空間。黒い靄の中で佇む少女は、何処までも続く白い景色を眺めながら、ほんの少しだけ口角を上げた。
「――やっぱり、エルフは鉄板だよな」
薄暗い部屋。扉やカーテンは閉め切られ、天井にある蛍光灯が消された部屋の中を、机の上に置かれた蝋燭型の白熱灯だけが唯一照らしていた。
「――いや、ここは猫耳少女一択だ」
坊主頭の少年を見やり、彼は眼鏡のブリッジを中指でクイッと上げる。机上にある唯一の光が、三人の少年の姿を淡く照らしている。
「――ふ、まだまだ甘いな」
薄暗い部屋の中で、沈黙を貫いていた少年が、口を開く。
「おい。甘いってなんだよ」
「そうだ。お前にはこの問題の答えがわかるのか」
二人の少年に詰め寄られながらも、机に両手をつき堂々とした佇まいで二人を見据え、彼は言葉を紡いだ。
「……答えは、ゴスロリ幼女こそ、至高だ!」
「「…………それはない」」
口を揃えて出た二人の少年の言葉で、部屋の中に立ち込めていた空気が一変した。
「なんでだよ! ここはゴスロリ幼女一択だろ!」
「あほか。剣と魔法のファンタジーの話してんのに、ゴスロリの幼女を出すなよ」
「しかも凌辱について談義してるのに、幼女ってお前。……せめて女騎士辺りにしろよ」
机を激しく叩き憤慨する少年を見やり、溜息を溢しながら話す二人。
誤解のないように言っておくが、これはあくまで個人の見解である。
「分かってないな。唯の幼女なわけがないだろう。もちろん、合法ロリだ」
変なポーズを決めて反論したつもりの少年を無視し、眼鏡の少年がカーテンを開けると、室内はオレンジ色の陽光に満たされた。
「うっわ、やべぇ。もう夕暮れかよ。そんな駄弁ってた」
眉を顰める眼鏡の少年を見ながら、坊主頭の少年は机の上を片付けると、身支度を整え始めた。
「そういえば、メガネって今日バイトじゃなかった?」
「ああ。今からだと完全に遅刻だ」
「いや~、本当、大変だな~」
「他人事みたいに言うな!」
学生鞄を肩に担ぎ、慌てて扉に手をかける眼鏡の少年。それを、他人事の様に手を振って見送る坊主頭の少年。
「それじゃ、俺、先に帰るわ」
「おお、バイト頑張れよ」
慌ただしく部室を後にする眼鏡の少年を見送り、忘れ物がないか確認する坊主頭の少年。
「……え。俺、無視」
唯一人、その場で佇む少年に、身支度を整えた坊主頭の少年が告げる。
「俺も帰るから、悪いけど、部室のカギ閉めといてくれ」
「ああ、うん。わかった。ところで――」
「じゃ、また明日」
ひらひらと軽く片手を振り、早々と部室を出ていく坊主頭の少年。
「――俺の意見は無視ですか。……畜生!」
他に誰もいなくなった部室の中で、文句を言いながら少年は膝を折った。
「全く、薄情な奴らだ」
ぶつぶつと文句を言いながら廊下を歩く少年。
部室の鍵を職員室に返し、帰路に就こうとした少年は忘れ物があることに気付き、授業で使っていた教室に向かっていた。
「大体、あいつ等の考え方は安直すぎる。エルフも猫耳少女も確かに素晴らしい。だが、そこから一歩踏み出すことがエロの探求に繫がるのだ」
日が暮れて薄暗くなった廊下を歩きながら、少年は一人愚痴を零す。
改めていうが、これは個人の見解である。
「しかし、改めて考えると、ゴスロリ幼女もちょっと的外れな気がするな」
授業が終わってから随分と経ち、誰もいなくなった教室の中は、朝の喧騒が嘘の様に寂寞としていた。
目的の教室の前に来た少年は、扉に手をかけ、ゆっくりと横に引いた。
「……でも、まぁ、可愛ければ何でもありだな!」
この時、周囲の薄暗い空気とは不釣り合いな、馬鹿に陽気な声音を残し、少年は姿を消した。
「――あなたは、誰?」
何もない空間。ただ、白い景色だけが続く空間。
「何処だ、此処?」
気が付くと、少年は、何もない空間の真ん中で横たわっていた。
戸惑いながら辺りを見回すと、まっ白な景色が続いているだけで、他には何もない。
「――あなたは、どんな人?」
「……ん?」
誰かに呼ばれた気がした少年は、声のした方に視線を向けると、目の前に、今までなかったはずの黒い靄が発生していた。
「なんだこれ、何処から湧いてきた。……いや、今はそれより重要なことがある」
「――あなたは、誰?」
突然現れた黒い靄に驚いた様子を見せる少年は、何かに気が付くとすぐに表情を引き締め、声のする方に向かって歩き始めた。
臆することなく黒い靄の中を少年が進むと、目の前に、この世の者とは思えない程に綺麗な顔をした少女が現れる。見た目は小学校低学年位だが、青白く能面の様に全く表情のない顔と身に纏う黒いゴスロリから、見た目から感じる年齢とは不釣り合いな異様な雰囲気を醸し出している。
「やはり、そうだったか」
不気味な黒い靄の中、ゴスロリを着た少女の前に佇む少年は、何かに納得したように頻りに頷いた。
「――あなたは、どんな人?」
「俺のことなど、如何だっていい!」
感情を一切感じさせない声音で少女が淡々と紡ぐ疑問に、強い口調で少年は答える。
「俺が言えることはただ一つ」
片膝を地面につきゴスロリを着た少女の手を両手で握りしめると、額に汗を滲ませながら、真剣な顔で少年は告げた。
「結婚を前提に俺と付き合ってください‼」
「…………」
沈黙するゴスロリを着た少女の前で、やり遂げた様に満足感を滲ませる少年。自然に上がる口角を押さえ、少年はゴスロリを着た少女の返事を聞こうと少女を見つめるが、突如、謎の浮遊感が少年を襲う。
「……へ?」
まるで、床が抜け落ちた様に少年は落ちた。空中に浮かぶゴスロリを着た少女を残して。
「うわぁぁぁぁ。幼女カンバーク‼」
奇怪な言葉を最後に、少年は何もない空間から消えた。