夕暮れの破壊者
コリン達と別れた後、ネオンは特にいく宛もなくぼんやりと広場に歩いて来ていた。
まだ高い位置にある夕日が広場全体を照らしており、商人の怒声や人々の笑い声が響いている。その顔には、一転の迷いも見受けられなかった。なんだかんだ言って幸せで、この幸せが永遠に続いていく事を信じて疑っていない。そんな楽しげな顔が、ネオンには気に入らなかった。
「Wも、こんな狂気じみた住民達に嫌気が指したんだろうかな…」
ポツリと呟いた名前は、ネオンの思考に一番影響を与えたと言っても過言ではない人物の名前だ。
――――
今から数百年前の時代に生きていた愚かな科学者『Dr,W』。圧政を敷く権力者と、それをよしとしている住民達に唯一憤慨し、反旗を翻した名だたる罪人を凌駕するほどの『愚か者』。権力者一族のやり方に憤慨したと言うだけで愚か者呼ばわりされた科学者だ。
革命を起こそうとしたWであったが、それは絶対に不可能と言われる物だった。彼が周囲から愚か者と罵られたのを知れば分かるように、Wには協力者など1人も居なかったのだ。周囲は常に神と崇められる権力者達の支持者であり、狂信者だ。Wは常に逃げ回る日々を余儀なくされた。
それでもWは、革命を止めようとは思わなかった。『周囲に味方が居ないのなら、頼れる味方を創作すればいい』。そう言って、彼はなんとホムンクルスを作り出す研究を開始したのだ。7業を背負う権力者に匹敵する程の力を持った、7人の"子供達"をWは作り上げたのだ。
だが結局、Wの反乱は失敗に終わってしまった。理由は単純、ただ単に作り上げたホムンクルスが、1人たりとも目を覚ますことはなかったのだ。周囲から蔑まれ、逃げ惑う日々を送っていたWはついに病床に伏して亡くなってしまった。
Wの死後、人々はWの事を愚か者として語り継いだ。そこには『権力者に逆らうとこうなるから、馬鹿な事は考えるな』と言う抑制の意図が込められていた。
純粋無垢な子供達に大人達はこの伝説を教え込み、結果としてここ数百年、Wのように反乱を起こそうとする人は1人も出てきていなかった。
ネオンも幼い頃に、周囲の大人達からWの伝説については聞いていた。事ある度にその伝説を引き合いに出され、耳にタコができた程であった。
だがそんな風に何度も聞かされ続けたWの伝説は、まだ幼かったネオンの心に深く根づいていった。心に根付いた伝説はやがてネオンの奥深く、思考回路にまで侵食し、やがてネオンのある思考と結び付いて、それを頻繁に刺激するようになっていった。
――異常なのは、この王国の方なのではないか?
そう考え出したネオンの思考は留まる事なく増幅し、やがてその思考が強固たるものとして確立するまでにそう時間はかからなかった。
―――――
人混みを掻き分けて、広場の奥へと進む。
いつ来てもこの広場は色んな人で溢れ帰っている。物を売りに来た商人、それを買いに来た人、散歩を楽しむ人、曲芸魔法を披露する大道芸人、それに通貨を投げる人、近くの池に釣糸を垂らす釣人、讃歌を唄う信者、広場をぶらつく仕事帰りの騎士団員など…。
どこを見てもその顔は笑顔で溢れており、誰もが迷いなど抱えていないようにも見えた。先程も言ったように、この幸せが未来永劫、永遠に続いていく事を信じて疑っていないとでも言うような顔であり、ネオンはその顔が気にくわなかった。
色々勘違いされていることであるが、Wはけしてこの王国に住む住人の幸せを壊したかった訳ではない。
むしろWは誰よりも人々の幸せを願っていた。誰よりも願っていたからこそ、圧政で自らの私服を肥やす七業権力者と、それを信仰し『神のやった事だから仕方がない』と丸く納めている住人達に、Wは憤慨したのだ。
憤慨したからこそ、本当の幸せを教えてやりたいと思ったからこそ、Wは1人で革命を起こそうとしたのだ。
だが、当の住人達はその事に気がついていない。それどころか、Wを愚か者と軽蔑し、始末した。ネオンが気に入らないのはそこだった。
「…まあ、俺1人でこんなこと考えても無駄なんだけどな。」
自嘲気味にそう呟く。
無駄なことは分かっている。自分1人が自棄を起こしても意味がないのだ。
恐らくこの狂気の王国は、未来永劫に続いていくことだろう。Wのような、『本当の幸せ』を知っている者が…『本当の幸せを教えてやりたい』と思っている者が…そんな人が現れない限りは、永遠に権力者一族の支配の元に発展していくのだろう。
分かっている事ではあったが、それはとてもおぞましい事であり、同時にとても虚しいことであった。
いつもと変わらない煮え切らない思いを抱えたまま、ネオンは帰路に付くために広場を出た。
―――出ようとしたのだ。
「―うわっ!?なんだ!?」
突然、大地を揺るがす轟音が走り、一寸先も見えない程の土煙と共に大小様々な大きさの瓦礫が無数に降り注いだ。そのうちのひとつが、ネオンの額に直撃したのだ。
地面を抉る程の勢いを持った小石はネオンに直撃し、額が裂けて流血を起こした。
後から広場中に悲鳴が響き、さらにそれを包むように何かの爆音が響いてきた。よく聞くと、それは人の声―生物の咆哮だった。
反射的に、そちらに目を向ける。広場に建っていた飲食店を、何かが吹き飛ばしたようだ。
砂煙の中から、何かが立ち上がるのが見えた。
立ち上がったそれは姿こそ人の形をしていたが、明らかに人ではなかった。
遠くからでも少し見上げてしまうほどの巨体、恐らく3メートル弱はあるであろう身長だ。ゴツい筋肉で覆われた体を、真っ黒な全身鎧で覆っており、顔はガスマスクのような形の兜で隠されていた。熱を持っているのか、鎧の隙間から覗く筋肉は黒く、赤く発行している。その右腕には、身長に負けないくらい巨大な戦斧が握られていた。
蜘蛛の子を散らすように逃げていく人々と入れ替わるように、何十人もの騎士団が到着。巨人を取り囲むように展開する。
騎士団の作る輪の中央に佇む巨人は動かない。まるで向こうが動くのを待っているのか、あるいは眼前にいる破壊対象を眺めるように首だけを周囲にゆっくり動かしていた。
空気が張り積め、緊張感が増していく。数人の兵士が震え出した。緊張と恐怖に耐えられなくなったのだろうが、それでも、歴戦の戦士が震えて退けるのだ。それほどの殺気を巨人は放っている。
「でぃ……ディストーションズだぁぁぁぁ!!」
兵士の1人が耐えきれず、悲鳴とも発狂とも言える声を上げた。
それが合図だった。
張り積めていた緊張の爆発した兵士達が、雄叫びを上げながら巨人を攻撃し始めた。
空中は無数の矢やら炎やら水やら雷やらで埋め尽くされ、地上は魔力を帯びた剣やら槍やらを盾やらを構えた無数の兵士達が巨人に向かっていく。
空を埋め尽くす程おびただしい数の魔法が、巨人に着弾する。しかし、あれほどの数の魔法を受けてなお、巨人は倒れなかった。
いやむしろ兵士達の魔法は、巨人に傷をつける事すらできていなかったのである。
まるでそれに答えるように、巨人が吠えた。まるで緩い攻撃を放った兵士達を嘲笑うかのように、愚かな人間を嗤う無慈悲な怒れる神のような、地の底から響き渡る声で吠えた。
そしてお返しと言わんばかりに振り上げた斧で、周囲にあるものを手当たり次第に破壊し始めた。
周囲に瓦礫と鮮血が飛び、兵士達の悲鳴の中を血まみれの斧を振り回して、信じられない速度で巨人が大暴れしている。
そして数分後、決死の猛攻も虚しく騎士団は壊滅し、賑わっていた広場は巨人によって破壊の限りを尽くされていた。
「くそっ…!なんだってんだよ!」
1人逃げ遅れたネオンはと言うと、広場の瓦礫の下に隠れて逃げる機会をうかがっていた。
広場を破壊した巨人は瓦礫の山の中心で直立して動きを止めている。まるでつつけばそのまま倒れそうなほどにピクリとも動かないが、騎士団の熟練の兵士が数十人相手で全く歯が立たなかった相手だ。このまま大人しくくたばってくれるとは思えない。
「とりあえず…逃げねぇと…」
重い体を引きずって、瓦礫の下から這い出す。直接的にあの一撃を食らった訳ではないが、吹き飛んできた瓦礫に何度か被弾してしまったために、体は既にボロボロだ。
こうしている間にも巨人が動き出すのではないかと言う漠然とした不安にかられ、とにかく必死に前に進む。しかしこんなときに限って、彼の悪い予感は的中してしまう物で…。
「――――――っ!!」
殺気を感じた。皮膚を突き破って、心臓を直接突き刺すくらい、強烈な『殺意』を。
ギギギギッと機械人形のような音が今にもなりそうな動きで首を動かし、『そっち』に目をやる。
巨人が動き出していた。足元の瓦礫を踏み壊し、横たわる騎士団の残骸を踏み越えながら、こちらを正面に見据えた。
赤く光る兜の下から覗く紅い眼が、ネオンの姿をしっかり捉えていた。その眼が語る意味は1つしかない。
『お前を殺す。』、耳元でそう呟かれた気がした。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「ガァァァァァァァァァ!!!」
助けを求めて逃走するネオンの絶叫と、それをけして生かして返さまいとする巨人の咆哮が、意図せず重なった。
その巨体からは想像もつかないほどの速度で追いかけてくる巨人に対して、こちらは軽症。逃げきれる訳などない。かといって、歴戦の兵士数十人をなぎ倒した相手に勝てるような勝算もない。万事休すだ。
「(いや…なんとかするしかねぇ!でねぇと、ここで無惨に転がるだけだ!)」
なんとかなる方法を探す。敵はもう目の前。真っ黒い鎧と、振り上げられる血濡れた戦斧が眼中いっぱいに広がった。
ネオンはそれを待っていた。
「こんなところで………死ぬかよ!」
斧が降りおろされ、地面に激突する時には、彼はその場にいなかった。
目にも止まらぬ速度で身を翻し、巨人の横へと移動していた。
ネオンはこの王国では珍しく、光魔法を得意魔法としていた。
普段から光を操るだけと思われがちな魔法ではあるが、訓練しだいでは一瞬だけ光の速度で移動することも可能なのだ。
自らが持てる最速で光の魔法弾を作製する。どれだけ大きくしたって意味はない。騎士団の兵士の魔法が、一切通じなかった相手だ。できるだけ弾は細く、鋭く作製し、密度を最大まで上げる。
斧を振り切って無防備な巨人の身体に向き直る。ただ命中させるだけでは意味がない。狙うのは数ヶ所。硬質な鎧ではなく、その鎧の付け根。柔らかい関節の部分。
「せめてもの仕返しさ。受け取りな!」
光の魔弾が放たれる。無数の弾丸は無防備な巨人の関節に一寸の狂いもなく次々に着弾して、その威力で巨人の体を吹き飛ばした。
巨人が吹き飛んだのを確認して、ネオンは一目散に広場を後にした。
相手が伸びている間に、できるだけ距離を取らなくては。
沈んだ夕焼けを背負いながら、ネオンは全力で走り出したのだった。
――――――
「何故だ……。」
広場の瓦礫の残骸の中、遠ざかるネオンの背中を見つめる巨人の姿があった。
間接を狙われて、その威力で吹き飛んだが、それでもなお全くダメージにはなっていないようであった。
「なぜ……それを知っている?」
夕暮れが沈むなか、遠ざかるネオンを見つめながら、意味深なことを呟いたのであった。