95:ドラゴン・オブ・ザ・ウォーター
俺が教会のベッドで目覚めたときには、すべては終わっていた。
傍らにはベッドに突っ伏したまま眠っているミルリル。ふわふわのクセ毛はクシャクシャに乱れて、ベッドに寝かそうと持ち上げると、ぷにぷにの頬に涙の痕が乾いて筋になっていた。
前にも見たような光景。前にもあったような状況。
「ごめんなあ、ミル」
改めて自分の格好を見下ろすと、いつの間にやら見覚えのない下着姿だった。ステテコというかトランクスというか腰にヒモを通したパンツと、手術着というか貫頭衣のようなシャツ。たぶん麻でできたそれは着心地こそ良いものの洗い晒しの古着で少し大きかった。
幸い、大きな怪我はなかったようだ。自爆といっても肉体だったからな。ゴーレムの機体でやられたら無事では済まなかっただろう。
いままで着ていた服はベッド脇の椅子の上に置かれていた。ボロボロに焦げて赤黒い血と泥と硝煙と訳のわからん染みとでまだら模様になったそれは洗われ丁寧に畳まれてはいるが、どう考えても捨てるしかなさそうだ。
その隣に置かれた着替えを身に着ける。いままで着ていたのと同じような、洗い晒した木綿の上下。商人といえば商人、農民といえば農民に見える平民用の普段着だ。
目を覚ましたミルリルは、俺を見て目を瞬かせた。涙の痕でも消そうとしたか、袖でぐしぐしと顔を拭って、困ったような顔で笑う。
「今回も、ご苦労だったのう、ヨシュア。お互い無事で、なによりじゃ」
「また心配掛けてすまん。お前を抱えて転移すりゃよかったんだよな。後で気付いた」
「いや、良いのじゃ。わらわも、おぬしに助けられたことは間違いないしのう。どうにか、みんな大きな怪我もなく済ませられたのじゃ」
「そう、なのか?」
「あの肉弾攻撃には驚かされたし、一時はどうなることかと思うたが、汚らしいもんを引っ被った以外に被害はないわ。ゴーレムにぶっ飛ばされた連中も、打撲やら擦り傷程度で済んだし……おぬしのは、ただの疲れじゃ」
最期に図った命懸けの自爆も不発か。
残念だったな、名前も知らん戦上手の指揮官。魔王相手には役者が足りなかったってわけだ。
「ヨシュア、入るぞ」
ノックの後に入って来たのはエルフのコーウェル……いや、コーネルだったか。とにかく、なんか多種族との連絡やらエルフの調整役やらでよく見かけるイケメンエルフだ。
イケメンという以外に特徴もないので影は薄い。フツメンでしかない俺のなかでは特に。
ともあれ、そのコーネルが俺を教会から連れ出す。あちこちから賑やかな声が聞こえてきて、俺の姿を見つけるとみんな笑顔で手を振ってくれた。
「俺はどのくらい寝てた?」
「昨日の午後からじゃから、半日ほどじゃな」
獣人とドワーフたちは力を合わせて城壁内の修理と復興を始めている。
エルフはというと、M1903小銃を持って歩兵の掃討と死体の回収だそうだ。
居住地域の近くに腐乱死体なんか置いといたら疫病の発生原因になるからな。それ以前に、まず単純に臭いし気持ち悪いというのもある。
「死体は、飛び散ったのは埋めたし、形が残ったのは平野部に運んでまとめてある」
「そっか。埋めるのも大変だろ。こっちで収納しようか?」
「いや、それは重機があるから問題ないんだが、少しばかり別の問題がな……」
……なんのこっちゃ。
降りてみると平野部の造成も変わって、居住地を作る準備に入っていた。ブルドーザーやらパワーショベルやらが動いていて、ちょっとした工事現場のように――というか、完全な工事現場になっている。白い工事用ヘルメットを手に入れておいたのが、ドワーフの爺ちゃんたちにハマり過ぎてて怖いくらいだ。
「おうヨシュア起きたか、気分はどうだ?」
「ありがとうハイマン爺さん、よく寝て気分爽快だ。みんなに残敵の掃討を任せて悪かったな」
「なあに、あの後の生き残りは20もおらんかったぞ。降伏勧告もしてはみたが、みーんな聞かずに突っ込んできて、死んじまったわい」
皇国の兵士は逃げられないように家族が皇都で人質になってるんだっけ。貴族だけなのか平民もかは知らんけど。気分は悪いが、しょうがない。攻めて来たのは向こうだ。
「なあ、さっきからバシャバシャ水音がしてるのが気になるんだけど、堀に水を引いたのか?」
「ああ、それだよ」
それ、とは?
エルフのコーネルが首を振って、外堀の方を指差す。なんか知らんけど、前に誰かから聞いた気がする。暗黒の森から水を引いてくると、人食いの魚だか魔獣だかが混じってたりするんだっけか。
「……って、なんだこれ」
堀には半分ほど水が入っていた。深さと幅は4mってとこだったから、いま水深は2m近くあるってことか。比較的澄んで水底まで見渡せるんだけど、そのなかに群れて泳ぎ回るシャケくらいの(たぶん肉を噛むとか食いちぎるとかいう)魚と、それとは別に成人男性ほどもあるピラルクのような生き物がいた。たぶん魚とは、ちょっと違う。
全身は硬そうな鱗に覆われているものの、首筋から背中にかけて1m近い毛が生えているのだ。
「気持ち悪ッ! ミルリル、なんなんだ、このおかしな生き物!?」
「ううむ……ハイマン爺さんも見たことがないというんじゃが、おそらく魔獣、なんじゃろうなあ」
「暗黒の森の奥にあった沼の水を引いたら、夜のうちに紛れ込んで来たようだ」
「……戻せないのか? こんなもん泳いでたら危ないだろ。子供が水に落ちたら食われちまうぞ」
「その辺は内側に柵を作るし近付かないように周知徹底するさ。戻すのは無理だ。銃剣で突いてみたがビクともしない。30-06も弾いた」
「……ウソだろ。魚が?」
「魚ではないと思うが……それより、役に立つんじゃないかと思ってな」
コーネルが苦笑して堀の脇を俺に示す。
そこには回収したらしい皇国軍兵士の死体が並べられていた。
「……おい、ちょっと待て。もしかして、あいつに食わせる気か?」
「いや、もう食ってるんだ。戦闘後に防衛のために水を引いて、夜明け頃に悲鳴を聞いて駆け付けたら、こいつがいて、水面に脚が浮いてた」
……グロッ!
「寡兵しか持たない我々に必要なのは、敵を寄せ付けない環境の整備だ。幸か不幸か、あいつはその一環として役に立つ」
「それは……まあ、そうだけどさ」
コーネルが死体のひとつを投げ込む。毛長ピラルクは嬉しそうに跳ねてキャッチすると、そのまま丸呑みした。
「役には立つかもしれんけど、さすがにあれ1匹で死体全部を処理するのは難しいんじゃ……って、おい」
「そうなんだよ」
水音か血の匂いか、惹かれるものでもあるのだろう。あちこちから同じ毛長ピラルクが集まって来た。目に入るだけでも4匹。
観察していると正直、かなり気持ち悪い。目が魚のものではなく、瞳孔が縦に割れた猛獣のようなそれなのだ。
「……そうか、あれは龍じゃな」
ハイマン爺さんがぽつりと呟く。
「え」
「あんな生き物がいると聞いたことはないがのう。獣のような目も青白く発光する鱗も背中の毛も、あれは龍種の持つ特徴じゃ。あの舌を見てみい」
新たに落とした死体にパクリと食いついた毛長ピラルクの口のなかには鋭い歯が並び、舌は細長く先が蛇のように割れている。
「伝聞でしか知らんが、東方の龍は飛ばず鳴かず深い淵に隠れ潜むそうじゃ。ミズチとかいうらしいがのう」
自分たちの領土外周をドラゴンが守ってくれるなら、心強いと考えるべきなんだろうけど。
俺にはどうしても拒絶感の方が強い。だってこいつら、俺たちのことも餌だと思ってるような目で見てくるし。
「まさかとは思うけどミルリルさん、これ食ったりしないよね?」
「さすがに人肉を食らった生き物を食いたいとは思わんのう」
それは良かった。ドワーフの爺さんたち“有翼龍も野生種は人を食うんじゃが……”なんつってるけど、全力でスルーだ!




