85:縛られた巨人
「遅れ過ぎだクレイン、“虫”を前進させろ! いますぐだ!」
上官であるチェルスカ准将のヒステリックな声に、クレインはうんざりした顔を必死に隠す。
クレインは皇国軍騎乗ゴーレム部隊の躁騎兵隊長。ゴーレムを動かす魔導師、躁騎兵たちを取りまとめ、戦闘を指揮する野戦指揮官だ。
「お言葉ですが准将閣下、罠の警戒を行うには、この速度が限界です」
「腑抜けた杞憂だ。魔王の罠とかいう情報を上申したのは兵ではなく、意気地のない魔導師風情。聞くに値しない。現に皇都からの道で、一度も罠はなかった」
公爵家次男のチェルスカは視野が狭く、堪え性がない。いま何が行われているのかは見えているだろうに、なぜそうなっているのかまで見えない。見る気もない。
――魔導師が軟弱だというなら、その魔導師に家柄以外で何ひとつ勝るところのないお前は何なんだ。
「崩落と爆発があったのは報告しました。現場も、ご覧になったはずですが」
「命令は以上だ。日没前に魔都に到達できねば、抗命罪で貴様を更迭する」
「……了解しました、准将閣下」
――なにを偉そうに、能無しの青二才が。皇帝の血縁かなんか知らんが、お前みたいなカスが命令系統に紛れ込むから軍の足並みが揃わないんだよ。
ふんぞり返って立ち去るチェルスカの矮躯を見送りながら、クレインは心のなかで罵る。
抗命罪で更迭となれば、死は免れない。自分はもちろん、皇都に暮らす家族もだ。
ゴーレムの操縦には潤沢な魔力と魔導制御の技能が必要なため、随伴歩兵を除くほぼ全てが貴族家の出で士官待遇という特殊な部隊だ。
貴族家の出とはいっても、実動部隊のトップであるクレインでさえ下級貴族の4男でしかないのを見てもわかるように、貴族とも呼べない最底辺。命令系統が皇帝直轄で独立しているため、階級も横並びで全員が単なる“躁騎兵”だ。
しかし――というかその鬱憤から逆にというか――かつては自分たちが皇国軍の最強戦力だという誇りと驕りから排他的・選民的な考えになりがちだった、らしい。
そんな潜在的問題児部隊の長は、“問題を起こさせないためのお目付け役”、あるいは“問題が起きた場合の尻拭い役”でしかなく、多くの場合お飾りの――ほとんどが満足な魔力も戦闘能力も政治力も持たない――上級貴族が配置される。
公爵家次男であるチュルスカ准将はその典型だ。自分がヒビの入った薄氷の上に立っているということさえ理解していないらしいのが、逆に適任といえなくもない。
実務はクレイン以下の下級貴族が行うのだが、チェルスカはいちいち細かく文句をつけ、あるいは作業の足を引っ張る。その原動力になっているのは、魔力や身体能力や判断力や政治力など、軍で頭角を現すだけの戦闘能力をまったく持たないという劣等感だ。
「アーマイ! 前進だ、もう罠の警戒は必要ない!」
大型の6脚歩行型鉱石質ゴーレムの操縦席から顔を出し、操騎兵アーマイが呆れ顔でクレインを見た。男爵家の3男で、膨大な魔力量を誇る巨漢。無表情で無愛想だが、常に冷静で頼りになる男だ。
「必要ないって、そんなわけないでしょう、引っ掛かったら死ぬのは自分らですよ? だいたい、大規模崩落を行った方法さえ判明していないのに」
「貴様なんぞにいわれなくても、わかってんだよ、そんなもん! 坊ちゃんが焦れたんだ、いわせんな。部隊が日没前までに一戦交えないと俺は更迭、明日からお前が隊長だ。なんなら屋敷もくれてやる」
「要りませんよ、あんなデカいだけのボロ屋。隊長職だって、面倒なだけです。それじゃ、暗黒の森を経路短縮しては?」
「悪くない案だ。ただし、准将閣下のお上品な馬車が付いてこれるならな」
「無理ですね」
アーマイは首を振って溜息を吐くと、わかったとばかりに操縦席で手を上げる。
「了解、警戒を解除し、速度を上げます」
布陣は前衛にアーマイの6脚歩行型鉱石質ゴーレム、中衛に樹木質ゴーレム4体と鉱石質ゴーレム3体を挟んで、後衛に粘土質ゴーレムが20体。
いま運用可能な騎乗ゴーレムは、これで全部だ。
侵攻途上で敵の罠と思われる崩落に巻き込まれた後、謎の爆発で輜重部隊と随伴歩兵、護衛騎兵の他、躁騎兵16名が死傷。
馬車で搬送中だった大型鉱石質ゴーレムを組み上げて騎体はなんとか数を揃えたのだが、残りの騎乗ゴーレムは落下や爆発で半壊したり担当の操騎兵が死亡や負傷して後送されたりで動かせず置いてきた。
初級と中級の躁騎兵22名を粘土質ゴーレムと樹木質ゴーレムに配分、上級操騎兵4名を4騎の鉱石質ゴーレムに乗らせたら、操騎兵の余剰はもうない。
予備は野戦指揮官でもあるクレインだけだ。
死傷はもちろん、主力が魔力切れになった時点でも戦力が十全に機能しない。
「戦闘が始まる前に、この欠員かよ」
「クレイン隊長」
部隊の操騎兵見習いで、クレインの従兵を務めるザルパがメモを持って駆けてくる。魔珠による魔導通信があったのだろう。皇都からの命令を伝えてくる。
「昨日確保された前進拠点で連絡途絶、だそうです。状況不明。部隊から、いくらか確認に回せと」
「これから戦闘だって伝えろ。ウチでお使いに出せるほど手が空いてるのなんて、チェルスカくらいしかいねえよ」
「その拠点に配置された部隊の指揮官、ローエン・チェルスカって名前みたいですけど、准将の係累でしょうか?」
「そんなもん俺が知るわけ……ああ、前に弟が騎兵部隊にいるとか聞いた気はする」
そうだ。憎々しげに語るチェルスカ准将の言葉を思い出す。弟がいかに無能か、いかに脆弱で怠惰か。あの言葉を総合するに、弟は軍人として、そこそこ使える人材だったわけだ。
クレインは少し考えて、ザルパに命じる。
「准将閣下に伝えろ。弟君の部隊が消息を絶った。しかし残念ながら進撃経路から外れるため、捜索は戦闘後になると」
◇ ◇
案の定、すぐに命令変更として拠点の捜索を命じられた。弟に恩を売り自分の部隊を見せびらかす好機だとでも思ったのだろう。
能無しのお遊びに付き合う振りをして、そこでできた時間の余裕を攻撃前の仕込みに回す。
「アーマイ、お前に部隊を預ける。ケースマイアンから3哩まで前進、手持ちの全砲門を発射可能状態で待機。1刻以内に俺からの連絡がなかったら、お前が隊を率いろ」
「了解。隊長は?」
「能無しのお守りだ。御輿にクソ樹木質1騎と、クソ粘土質5騎、随伴歩兵を10ほど持ってく。残りはゴーレムも歩兵も砲も物資も全部持って行っていいぞ」
「気を付けてくださいよ。ずっと隊長なんて御免ですからね」
「気を付けてどうにかなるもんならな。俺の勘じゃ、拠点は潰されてる。こっちが裏を掻かれてる状況だって認識で動け」
「了解。ですが、当然でしょう」
「ああ、なんせ相手は、魔王だからな。……クソが」




