80:そして彼に枷を
蒼褪め震える白ひげ男は、なんとかこの場から逃れようと必死に視線を走らせる。この岩場は、転移以外では立つことも出来ない場所だ。逃げる手段などあるわけがない。
「話が逆になったが、貴様の名を聞こうか」
「え」
「名前だ。魔王から皇帝へのメッセージを伝えるのだ。貴様の名を知らねば話にもなるまい」
「……皇国軍、神聖魔導師団、エヒミル・ルカチェフ侯爵」
ふん、やっぱ偉いさんか。それじゃ、この辺で本題に入ろうか。
「異界からの召喚を指揮したのは、貴様か」
もはや抵抗手段も軍の後ろ盾もない男は、硬直して言葉を失う。反応を見る限り、首謀者だったかどうかはともかく関与はしていたようだ。
「皇帝陛下の、命……で」
「指揮したのは貴様か、と訊いている」
「そ、それは魔導師団長以下、魔導師たちが。わたしは、その……供給魔力の、取りまとめを」
「……ふむ。生贄の管理でもしていたか」
息を呑んで目が見開かれる。取り繕う余裕がなくなったか、考えていることが丸見えだ。国に数人という希少な存在を召喚するのだ。そんじょそこらの魔法陣やら魔力で達成できるはずがない。どうせたくさんの犠牲者の上に立って成した成果なのだろう。具体的な方法は知らんし、知ったところでもう送還はできないのだ、たぶん。
「関与していたのであれば貴様を殺すしかないな。我が眷属を奪ったのだから」
俺の目線を辿って、白ひげ男はようやくリンコの存在を認識したようだ。
驚いたような困惑したような奇妙に歪んだ泣き笑いの顔になった。なんでか理由は知らん。
「そ、それは、な、何かの間違いでッ! そいつは、能無しの役立た……ずひゅッ!?」
俺はマチェットで、ルカチェフの耳を切り落とす。
「あああぁ、あーッ!」
「聞かれたことにだけ答えよ」
つうか、さすがにお前、勝手に拉致しといて能無しの役立たず呼ばわりはねえだろ。俺を殺そうとした王国の連中も大概だったけど、しょせんこいつらも同じようなもんか。
「力も、知識も、技術も、人材もだ。物を知らず使い道もわからん無能には、役に立たんだろう。だったら、返してもらうだけだ。その不細工な首輪を外せ」
「……し、しかし、それはああああああぁーッ!!」
ゴチャゴチャいい出したので、もう一方の耳を切り落とす。いい加減、俺も精神的に余裕がなくなってきている。リンコの首が吹っ飛ぶのでもなければ、さっさと殺したいとさえ思ってしまう。
「外せ」
ルカチェフは慌ててなにやら呪文を唱え始める。害意を見せた場合にはミルリルさんに撃ってもらうつもりで構えていたが、首輪は細切れに分解するように解けてリンコの首から落ちた。目線で確認すると、問題ないというように頷きが返ってきた。
「これ、で……許して、いただけ、ますか。……どうか、どう、か……御慈悲、……を」
右手と両耳から血を流して震えるルカチェフは、俺の前で平伏した。放っておいたところ、そのまま痙攣し始める。死にかけているのと思ったが、ミルリルさんは呆れ顔で首を振る。どうやら、泣いているようだとわかる。
大の男が、そんなに怖かったのか?
首根っこをつかんで転移で飛び、皇国軍の負傷者ゾーンに用済みのオッサンを放り出す。
道の端に転がされていた負傷者の多くはIEDの爆発によって死者に変わっていた。
死体と肉片が積み重なる上に転がされて呻き声を上げるルカチェフを、俺は興味を失った目で見下ろす。
「皇帝とやらに伝えよ。我らに敵対しなければ、こちらから攻撃はせん。王国も皇国も諸部族連合とやらにもだ。ただし、魔族や魔族領に手を掛けようとする者には、容赦はせん」
「……あ、あう……あ」
「また会うことがなければ良いな」
そんなわけにはいかないんだろうな。わかっていながら俺はまた、大量の死体を生みながらも最後のひとりを殺せずにその場を立ち去った。




