67:孤独な疾走
不恰好な機械弓を持った全身甲冑男が、王国の第2王子?
魔導師の第3王子を殺したとき、ミルリルから“第1第2王子は、剣使いと弓使い”だと聞いた気がする。
ミスネルを拉致して人質にしていたのが、たしか王国の第1王子だった。俺がAKMで射殺した男だ。近衛騎兵の格好をしていたが、剣は持っていた、はず。
なるほど、最後に残った弓使いか。いまはデッドコピーの機械弓だけどな。
「……ああ、そういうことか」
「どうしたのじゃ、ヨシュア」
「ずっと、理由がわかんなかったんだ。王国軍が持っていた金貨が、あまりにも多すぎた。褒章やら物資調達やら買収やらにカネは必要かもしれんけど、“奪われたら王国経済が傾く”なんてバカげた額を持ち出すはずがないんだよ」
「第2王子は最初から、皇国軍を引き入れる算段で動いていたということか? その資金として大金を持ち出していたというなら、わからんではない。そもそも金などという貨幣は、数がまとまると馬鹿げた重量になるんじゃ。そんなものを延々と運んできたところで、王都とケースマイアンの間にカネを使う場所などないからのう」
「俺たちに全てを奪われなければ、皇国に対して交渉する材料にはなったんだろうけどな」
問題は、それを失くして、どうなったか、だ。
わざわざ前に出てきた全身甲冑の3人は、そのまま動こうとしない。
ヤダルやミーニャの攻撃に対して余裕を見せているというよりも、まともな精神状態を保てていない印象を受けた。まるで夢遊病者か動いている死体のような。
「のうヨシュア、皇国軍の魔導師がどういうものか知っておるか?」
「どうって、攻撃魔法は見たけど」
「あれは下っ端の仕事じゃ。上位魔導師の本業は、ひとの心を操る術だと聞いておる」
……あいつら、カネも後ろ盾も失って、皇国で操り人形に堕とされたか。
哀れとは思うが、だからどうとも感じはしない。どういう立場でなにをさせられていようと、しょせんはケースマイアンの敵でしかないのだ。
「攻撃して反応を見るしかないか。ミルリル、援護を……」
出ようとした俺を、ミルリルが止める。
「装填完了」
ハンヴィーの銃座でミーニャが手を上げると、ヤダルが満足そうに笑って、こちらを振り返った。
「よおし、いいぞヨシュア! 行け!」
「え?」
「弓兵と魔導師は屠ったから、ここを突破したら敵はウラルを狙えぬ。足止めをしている隙にケースマイアンまで同胞を送り届けよと、いうておるのじゃ」
「そんなこたぁ、いわれなくたって、わかってる! でも、ハンヴィー組を置いてけって、冗談じゃねえぞ!」
「おいヨシュア、さっさとしろよ! 大丈夫だ、こいつらここまで兵力をまとめたんだ、この先に待ち伏せはねえ」
「ふざけんな!」
俺はドアを開けてヤダルを怒鳴り付ける。
笑みを浮かべたままの彼女は、俺を見て首を傾げるだけだ。滴る雨粒が彼女の頬を伝い、剥き出しになった牙を濡らす。
「お前ら、わかってんのかよ! 魔導師やら弓兵やらを殺したからって、まだ敵は100以上もいるんだぞ!? おまけに全身甲冑組がどういうもんなのかもわかってねえ、ここは全員で戦った方が……」
「ヨシュア!!」
それはまさしく、咆哮だった。虎娘が吠える声音に、俺は思わず口を噤む。
森のなか、薄暗がりに溶けるような虎縞の影。穏やかな笑みを浮かべたまま、ヤダルの眼だけが赤く光る。
そこには最初に会ったときと同じ、殺気に満ちた野獣の姿があった。
「お前、なんか勘違いしてねえか?」
「なに?」
「お前が、どう思ってたか知らねえけどな。あたしたちは、こう見えて、遊びに来たんじゃねえんだよ」
「そう。ふたりは、仲間を救出する。わたしたちは、みんなを守る。それが、役割」
機関銃座から頭を出したミーニャが、静かな声で告げる。風の加護の恩恵か、その声は距離を越えてするりと俺の耳に届いた。
「往路は、楽しかった。あれは最高の、報酬」
まだ幼いはずのエルフは怖れも怯えも昂ぶりもなく、無表情に俺を見つめてくる。
それはあの夜、囚われの身から解放されたばかりの彼女が、最初の殺しに手を染めたときの貌だ。
「ごぉおおおッ!」
注意が逸れたことで勝機と踏んだのか、全身甲冑の金属グローブ男がヤダルに向けて突進してくる。
片足は膝を固定され真っ直ぐに伸ばされたままだが、跳ね踊るように距離を詰め低く構えて拳を振り上げる。
「ヤダル?」
「応、やっちまえ」
ミーニャは振り返りざま、片手で宙を指した。全身から帯電したように火花が散り、雨粒を蒸発させて霧が立ち昇る。
賢者の拳がヤダルへと伸びた瞬間、ミーニャの指がふたりに向けられると落雷のような放電が撃ち込まれる。
凄まじい炸裂音と爆風が空気を震わせ、ビリビリと周囲を揺らす。立ちこめた霧が掻き消えると、そこにふたりの姿は残ってはいない。
わずかに飛び退って放電を避けたらしい賢者は、痺れたのか首を振って周囲を見渡す。
「お、おおおぉ!!」
気配を察して飛び退る賢者の横っ面を、漆黒の刃先が薙いだ。ギリギリで躱したらしく致命傷にはなっていないが、呼吸のたびに頬から血が溢れ呼気が湯気となって漏れる。
「まさか、こんなもんじゃ、ねえよなあ?」
いつの間にか賢者の背後に回り込んでいたヤダルの口元に、ゆっくりと三日月のような笑みが広がってゆく。
「もっと、楽しませてくれるんだろ?」
マチェットの刃に残った血糊を見ると、満足げに、ペロリとその舌が跳ねる。
「……なあ?」
予備動作なしで振り回された両手のマチェットは的確に関節部を切り裂いて血飛沫を上げる。
虎獣人の反射神経と膂力で振り抜かれる連撃は、甲冑の稼働部や開口部のわずかな隙間を正確にこじ開けて刃をねじ込むのだ。賢者はガードを固めたまま距離を詰めようとするが、触れるどころか近付くことも出来ない。
「ここからは、護衛の仕事」
手を出しかねて固まっている俺に、ミーニャがそう告げて背を向けた。ヤダルと賢者の勝負に手を出す気はないようだ。ただし……
「なにをしている、突撃だ! さっさと出ろ! あの半獣どもを殺すのだ!」
指揮官らしい男が悲鳴のような声で兵たちに突撃を命じる。動き出した敵陣に、M60が向けられた。近付く者があれば、容赦なく7.62ミリNATO弾をお見舞いするという意思表示だ。
「……護衛、だと?」
「おうよ! だから、お前たちを守るぜ。絶対に、なにがあってもなあ!」
「余計なことは考えずに、役目を果たすべき」
「そんなもん、誰も頼んで……」
「ゴチャゴチャいってねえで、とっとと失せろ! そこのお仲間たちを、ケースマイアンに送り届けて来い! 話は、それから……だッ!」
気合とともに打ち込まれたマチェットを、賢者の拳が叩き折る。すかさず追撃の刃が手首の隙間に差し込まれ、危うく切り飛ばされるところだった甲冑男は獣のような唸り声を上げて後退した。
折れたマチェットを放り投げると、ヤダルは背中から新たな黒刃を引き抜く。
「……まだまだ、いくらでもあるぜ? お前の両手足よりも、たくさんなぁ?」
「クソが!」
俺がギアを入れ走り出そうとしたとき、ドアを開ける気配があった。
「……すまんのう、ヨシュア。先に行っていてくれんか。わらわは、少し、用が出来たのじゃ」
「ミル、リル。……お前まで、なんで」
「わらわは常に、おぬしと供にありたいと思っておった。いまでも、心からそう思う。じゃが、ここでおぬしと行けば、きっと心は置き去りのままじゃ。そんな空っぽのわらわに、ヨシュアと供にある資格などないのじゃ!」
「ごぉおおああッ!」
賢者が雄叫びを上げて、ヤダルへと殴り掛かる。
動き出した軍用トラックを見て、聖女が静かに回り込もうと動いた。M60から連射された7.62ミリ弾は聖女の胴体へと吸い込まれるが、魔導障壁で弾かれてわずかな悲鳴を上げさせただけに終わる。彼女は森の奥に逃れ、すぐに姿は見えなくなった。
M60の銃口が向いたのと逆側に飛び退きながら、第2王子が機械弓を構える。
「させぬわ!」
UZIから吐き出された銃弾が引き金に掛かった指先を撃ち抜き、矢はハンヴィーを掠めて森の奥へと飛び去る。さらに吐き出される45口径拳銃弾が白銀の甲冑へと叩き付けられ、王子は甲高い罵り声とともに逆側の森へと姿を消した。
ふたりとも、死んではいない。おそらく、逃げてもいないだろう。襲い掛かるときを、森の奥で狙っている気配があった。
「さあ行け、ヨシュア! 85と3、どっちを取るかなど考えるまでもあるまい! ここで残るとでもいうならば、まず最初におぬしを殺す!」
ミルリルからの完全な拒絶の意思に、俺は口汚く罵りながらウラルを発車させる。
「くそッ!」
たかが20哩(32km)。悪路とはいえ飛ばせば20分で着く。だが、それだけあれば、転移で戻ったところで決着はついているだろう。
俺は必死でハンドルを操り、慎重にアクセルを踏み込む。わずかに空転した大径タイヤが泥濘を巻き上げるが、すぐにガッチリと地面をつかんで動き出す。
「どけやクソどもが! 全員、轢き殺すぞ!」
大排気量ディーゼルの轟音を上げながら突進してくる巨体を見て、皇国軍兵士たちが恐怖に顔を歪める。
「と、止めろ! 重装歩兵ッ!」
咄嗟に密集陣形でも組もうとしたのだろうが、時間も兵数も能力も足りていない。そもそも騎兵に対してですら無力な歩兵に、騎馬の何十倍もの質量を持った軍用トラックが止められるわけがないのだ。
軽歩兵は倒木で塞がれた正面を守ろうと槍を持って集まってくるが、そんなものはなんの役にも立たない。直前でハンドルを切ると森の際にあるわずかな隙間をこじ開けるように鼻先を突っ込む。ウラルは逃げ遅れた歩兵の一団を跳ね飛ばし、轢き潰しながら皇国軍陣地を難なく突破した。
「な、なにをしておる! 早く追わんか!」
騎兵でも繰り出す気か。この泥濘を掻き分けて軍用トラックの速度に追いつける馬などいない。追いついたところで騎兵が持つ槍や短弓程度ではコンテナに小穴を開けるのがせいぜいだろう。
俺は荷台の避難民たちが怪我をしないギリギリまで速度を上げ、一心にケースマイアンを目指す。
「……ああ、クソが。またかよ。またこんなクソみてえな扱いかよ。勝手に呼び寄せて、勝手に殺そうとして、勝手に攻めてきて、勝手に死んでんじゃねえかよ! ふざけやがって、それが俺の責任かよ!? どいつもこいつも、俺にどうしろっていうんだ! ふざけんのもいい加減にしろよ! もう知るかってんだよ!」
藪を踏みしだき朽木を跳ね飛ばして、俺は軍用トラックを限界まで加速する。
このままでは、耐えられそうになかった。仲間たちを見殺しにして逃げ帰るくらいなら死んだ方がマシだが、そのせいで避難民たちを殺すことになるのは死ぬよりずっと卑怯で屈辱的な行為に思えた。
「ああ、くそッ!」
いまになって、やっとわかった。
街道分岐点での戦闘の、ヤダルの気持ちが。ハンヴィーで殿についた俺たちを置いて、スクールバスを走らせていた彼女の胸に込み上げていた激情が。
永遠とも思える森のなかの疾走の末に、ようやくケースマイアン前の平原が見えてきた。
工事用車両に防水用の布を掛けていたらしいドワーフや獣人たちが、俺の鳴らしたクラクションに反応して警戒態勢を取る。
平原の端、固められた溝の前でウラルを停車させ、俺はドアを蹴り開けて飛び降りる。
「連合からの避難民85名を確保した、後を頼む!」
「任せとけ!」
俺の顔とガールズの不在を見て察したのだろう。余計な質問はない。
俺は来た道を振り返って、短距離転移を開始した。狭く入り組んだ森のなか、有視界範囲しか届かない能力がもどかしい。樹上に転移して上空で方向を定め、そこから一気に飛ぶ。
収納から出したAKMを握りしめ、いまだ続く戦闘の真っただ中へ、一直線に。
「くそッ、勝手に死んでんじゃねえぞ、馬鹿どもが!」




