63:スラム急襲
転移で木陰に飛んだ俺たちは、亜人の集落を見下ろす丘の上で藪に隠れながら状況を確認する。
もしかしたら諸部族連合くらいとは和解の可能性もあるのでは、などと考えていた俺は、たぶん現代日本に慣れ切った平和ボケのジャパニーズだったのだろう。敵の敵だって、この世界では必ずしも味方ではないのだ。
スラムとしか表現のしようがないそこは、被差別種族のコミュニティを絵に描いたような悲惨さだった。タランタレンの小奇麗な居住区から流れ込んだ生活排水が澱んだドブのようにゴポゴポと泡立ち、廃材で組まれた小屋の床を湿らせて汚し、腐食させている。建物はわずかに高床になっているとはいえ、生活排水の流入量が増えたか小屋自体が傾いたか沈んだかで、すでになんの意味もなくなっている。
あんな環境で暮らしていたら、病気にならない方がおかしい。
「……滅びた国の避難民とはいうても、こうまで虐げる必要があるのか? 受け入れに当たって、ケースマイアンの主導者はかなりのカネを積んだと聞いておるが」
「継続的に影響力を持たないのであれば、反故にしたところで責める者はいない。そう思ったんだろう」
これで、2日後の返答を待つ意味もなくなったな。
集落に降りようとした俺を、ミルリルが片手で引き止める。
「待つのじゃ、誰か来よる」
それがどういう相手なのかは、もう察していたのだろう。ミルリルの手にはUZIが握られていた。
「MAC10はヨシュアに返そう。もう……」
「そうだな。逃げ隠れしながら探る意味はなさそうだ」
俺たちが向かうより早く亜人集落に入ってきたのは、薄汚れた装備で武装した10人ほどの男たち。武器も革鎧も着衣もバラバラでだらしないところを見れば、正規兵ではなく――諸部族連合領にそんなものが存在するのかは知らんが――傭兵と思われる一団だった。
「おい、シオニル! 迎えに来てやったぞ!」
「オラ! さっさと出てこい、半獣どもをぶち殺すぞ!」
下卑た怒鳴り声を聞いて、集落の掘っ立て小屋からエルフと思われる女性が姿を現す。
「これは、なんの真似ですか!」
「聞くまでもねえだろ。お誘いだよ、領主さまからのな!」
「ミスネルたちがどうなったのかも知らされていないのに、そんな要求を呑むとでも思っているんですか!」
怒りの表情で詰め寄るエルフの女性をものともせず、男たちはニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる。
シオニルと呼ばれたエルフの女性は、実年齢はともかく見たところは20歳そこそこの美人だ。呼びつけたという領主の目的がなんなのかは聞くまでもない。
「いいや、お前は呑むさ。なあ?」
「おう、なんせそのミスネルが、待ってるんだからな」
「……!!」
「ひっでぇ話だよな。あの女は、お前らを見限ったんだよ。こんなゴミタメでネズミみたいな暮らしはまっぴらだってよ。いまは毎日たらふく美味いもん食って、面白おかしく幸せに暮らしてるぜ?」
「そ、そんなはずが、ありません!」
「いいや、人間は変わるもんだ。それが半獣なら、なおさらだろ。でもまあ、自分だけが贅沢三昧をするのも気が咎めたのか、お前を誘ってやろうと思ったみたいだぜ?」
「……ふざけないで! あの子は、絶対にそんなことは考えません!」
大剣を担いだ男が、懐から何かを取り出す。エルフの女性の足元に投げつけると、彼女は固まったまま言葉を失う。槍を持った大男が、その姿を見て腹を抱えながら笑う。
「見てわかるだろ? そうだ、あのチビの髪だよ。頑固な耳長女も、それを見たら信じるだろうってな。まったく、お優しいこった」
「お前が信じないなら、別にいいさ。ここは、えい……へい……なんだっけ」
「“衛生上の問題”」
「そう、それだ。あんまり汚ねえから、疫病の元になる。領主さまから焼き払うようにいわれてんだよ。……ネズミごとな」
ミルリルが立ち上がって、ずんずんと丘を降りてゆく。身を隠す気は、もう微塵もない。
「ヨシュア、止めるでないぞ」
「馬鹿いうなよ。そんな気分はな、もう、とっくに消えちまったよ。“人間の友邦”って夢が潰えて残念だと思うのが、半分。でも、もう半分はな……」
俺はMAC10を収納し、代わりにAKMを取り出していた。
「正直いうと、嬉しくてしょうがねえんだよ。あんなやつらなら、気兼ねなく殺せるから、な!」
UZIより射程の長いAKMが戦の始まりを知らせる号砲だ。
よく狙って撃った7.62ミリ弾は正確に男たちの膝を砕き、大剣と槍を持ったふたりをドブの水の中に這いつくばらせる。
せいぜいドブの水でも飲んどけ、ゲスどもが。
「おい待て、ヨシュア! わらわの的も残しておくのじゃ!」
「そだな。話を聞きだすのには、ひとり生きてりゃ十分だ。AKMに撃たれたら、ショックで死んじまうかもしれんしな」
「要らん心配じゃ。あいつら、楽には死なせせん!」
あ~あ、怒らせちゃった。
単射で撃ち出された45口径の拳銃弾は男たちをあっという間に薙ぎ倒すが、誰ひとり即死させることなく苦痛の呻き声を上げたまま転げ回らせている。
股間を押さえて。
「……あ」
俺がちらりと見た限り、全弾が男たちの股間に命中している。
ヤバい。これアカンやつや。ミルリルさんは顔に穏やかな笑みを受かべているが、見てるだけでチビりそうな迫力があった。
内股の動脈を傷付けている者もいて出血は激しいし、ここには治療の手段もない。エルフの女性が治癒魔法でも掛けてくれるなら別だが、そんなわけもないので、彼らはもう長くない。
のだが……死までの時間は、地べたで激痛に苦しみ続けるにはあまりにも、長い。
ポカンとした表情で硬直していたエルフの女性が、ミルリルを見て目を見張る。
「ミルリル、さま!?」
「様はやめよ、シオニル。いまのわらわは、ただのミルリルじゃ」
平伏しかけたエルフのシオニルさんを手で制し、ミルリルがもがき苦しむ男たちに近付く。
「残念だったのう、貴様らが王国軍に売り飛ばしたミスネルと仲間たちは、わらわが無事に救い出したわ。どうせその髪も、無理やり切り取ったのであろうが、そんなものであやつの心は微塵も揺るがんぞ?」
「そ、そんな! このひとたちは、丁重に扱うと約束を……」
エルフのシオニルさんは蒼褪めるが、ミルリルは男たちを見たまま彼女に軽く手を振る。
「それよりシオニル、すべての同胞を集めてくれんか。ここに赴いたのは、ケースマイアンへの招待のためじゃ」
「は、はいッ!」
「さて、少しお話をしようかのう?」
膝が千切れた状態で溺れかけていた大剣の男と槍持ちの大男が、憤怒の表情でつかみかかろうとする。ミルリルが伸ばされた手を平然と撃ち抜くと、彼らの顔面は再びドブの水に突っ伏した。
「ミスネルを攫ったのは、貴様らのところの領主か?」
「だ、誰だ、てめ……」
食って掛かろうとした大剣の男の耳を、ミルリルはあっさりと撃ち抜く。
小さな手で支えられたUZIは小揺るぎもせず、彼女の表情はまったくなにも感じていないかのように平静だった。
「聞こえん耳なら要らんじゃろう。もう片方も処分するかのう?」
「わ、わかった! その通りだ! 全部、タランタレン領主の命令だ! これで満足か、この半獣……」
「うむ、満足じゃ」
目玉に打ち込まれた45口径弾は後頭部から抜け、血と脳漿を撒き散らして飛び去る。ゲボリと、男の喉が鳴る。血とドブ水の混ざった最期の息を吐いて、男は仰け反ったまま事切れた。
「それでは、他の者にも訊こうかのう? ここにやって来た、貴様らの目的はなんじゃ?」
「ふざけんじゃねえ! しゃべれば、た、助けるとでもいう気かよ!」
槍持ちの大男が槍を小脇に抱え、差し違える覚悟とともに怒号を発する。
「“そんなわけねーだろ”じゃな」
無事だった方の膝を撃ち抜かれ、槍持ちの男は悲鳴を上げながら突っ伏して転げ回る。だが脛までの水深があるドブのなかでは、悲鳴も泡になってくぐもった水音を立てるだけだ。
必死に立ち上がろうと手をついた男の肘を、ミルリルは銃弾で砕く。
「ごぶぉぼ、ご……ッ」
水中で悲鳴を上げたのだろう、くぐもった音の後で水を飲んだのか気絶したのか、男はわずかに痙攣して、静かになる。
頭をドブ水に突っ込んだまま動かなくなった男を鼻で笑い、ミルリルは残った8人に向き直る。
「もう一度、質問じゃ。貴様らの目的は、なんじゃ?」
いっそ優しく諭すような声色に、残った8人は一斉に口を開く。悲鳴のような声が重なって俺には全く聞き取れないが、ミルリルは満足そうに頷いてUZIを肩に担ぐ。
「なるほど、それは大変じゃったのう」
正体不明の武器が自分たちから逸らされたことで、男たちは安堵の表情を見せる。だがそれは、哀れにも勘違いでしかないのだ。
ミルリルは、弾倉を引き抜いて新しい物に入れ替えたからだ。もちろん、男たちにその意味がわかるはずもない。
「許しを請うが良い。いままで殺してきた者たちに。いままで虐げてきた者たちにのう」
「「「ま、待って……」」」
UZIの銃口が、男たちに向けられる。親指が弾いたクリック音で、連射に切り替えられたことを知る。
俺だけが。
拳銃弾は8人の男たちへと水平に振り撒かれる。射入孔は切り取り線のように彼らの額を走り、口を開き目を見張ったままドサリと崩れ落ちた。
「聞いたか、ヨシュア」
「聞き取れねえよ、全然。なんやら救出に来たから殺すとかいってたみたいだけど……」
「聞き取れておるではないか。こやつらはタランタレン領主ジューシャの私兵で、亜人の処分を命じられたそうじゃ。わらわたちが交渉に来たことで、虐げてきた事実が漏れるのを恐れたのであろう」
「領兵とかいうのも来るのか?」
「ひとりの領主が合議なしに動かせるのは私兵だけじゃ。せいぜい、こやつらぐらいであろう、少なくとも、いまのところはな」
「ミルリルさ、……ミルリルさん」
戻ってきたエルフのシオニルさん、また“様”っていいかけたな。ケースマイアンの地位とかよくわからんけど、やっぱミルリルはただの平民じゃないのか?
また俺の考えを読んだのか、彼女は静かに首を振る。
「剣に長けた獣人の“獅子王”、弓の名手であったエルフの“鷹の眼王”、武具と防具を作り上げる腕では右に出る者がおらなんだドワーフの“鍛冶王”」
「え?」
「かつてケースマイアンの三王と呼ばれた傑物じゃ。前にもいうたが、それも単なる敬称で、3者に王権はない。彼らが話し合い、民にとってより良き道を探るのがケースマイアン流の統治であった。わらわは、それを継ぐことを期待されておったらしいがのう。いまとなっては、見果てぬ夢じゃ」
「そんなことはないだろ。これからのケースマイアンには……」
「うむ、それはそうじゃな。平和な亜人の国が出来れば、統治も必要になろう。わらわがいいたいのは、“ひとには向き不向きがある”ということじゃ。わらわも職人としてはそれなりの腕だという自負はある。しかし、ひとの上に立つ器ではない。分権の長であっても、王と呼ばれるには向かんのじゃ」
「そんなことはございません。ミルリルさんは、いまもご立派な後継者であらせられます」
エルフのシオニルさんへと静かに首を振ったミルリルは、ぴんと尖った耳元になにやらポソポソと囁く。それを聞いてシオニルさんは口を押さえ、急に真顔になって俺を見た。またミルリルを見て、頷きながらまた俺を見る。
なんだ、なにを納得しとる?
「あ、いえ。失礼しました。たしかに、ミルリルさんの仰る通りでございます。“鍛冶王”の後継者に相応しいのは、やはり妹君のミスネル様でございましょう。ええ、まったくもって」
「うむ、苦しうないぞ」
なにいってんだ急に……っておい、のじゃロリ。お前、なに話した!?




