55:目覚めのとき
目覚めれば、教会だった。
いまは戦闘も一段落して傷病者もなく、ギューギューだった物資も各家庭に分配が進んで、室内は閑散としていた。
視線を巡らすうちに、どこかで見慣えのあるエルフの子と目が合った。どこかビクビクした様子でペコリと頭を下げるとどこかへ駆け出す。
「ミルリルさん、ヨシュアさんが目を覚まされました!」
……いまの、誰だっけ。看病してくれてた、みたいだけど。
エルフって(ケーミッヒ以外)型通りの美形揃いなだけに見分けがつきにくいんだよね。イケメン爆発しろ思想が邪魔をして、名前もなかなか頭に入らないしな。
「起きたか、ヨシュア」
鈴の音のように澄んだ声。輝くばかりの微笑み。天窓から差し込む光のなか、タオルの入った洗面器を抱えて、ミルリルが俺を見ていた。
のじゃロリさん、マジ天使。
俺は心のなかで静かに身悶える。
「どこぞ痛んだりはせんか? もう2日も寝ておったんじゃ、よほど疲れておったのであろう」
そうだ。俺は思い出す。本当に、死ぬかと思った。この天使に、もう会えないかと思った。
そして、もう彼女なしでは生きられないことを思い知った。
「ああ、うん。……ごめん、心配掛けて」
「いや、わらわたちも悪かったのじゃ。よもや魔力切れとは、思わなんだ。おぬしは、底なしと勘違いしておったわ」
「そうだな。自分でも、どこが限界か把握し切れてなかった」
「どれだけ無茶をしても、おぬしはいつも、ずっと、ピンピンしておったからのう。だから」
穏やかな笑みを浮かべたまま、彼女の瞳から涙が零れ落ちる。
「こ、怖かったのじゃ。あのまま、ヨシュアが死んだら、わらわ、は……!」
「大丈夫、死なない。ミルリルを残して死んだりしないよ」
泣きじゃくる小さな身体を抱いて、俺は自分がずいぶん遠いところまで来ていることに気付いた。
社畜時代の俺にとって、死は単なる記号でしかなかった。なにも持たない人生だったから、失うものを惜しんだこともない。残されるなにかを案じることもなかった。
なにもないことを寂しいとも虚しいとも感じたことはなかったけど、あれは充足していたわけではなく、まともな人生を送っていなかったからこその、諦観だったのだと思う。
しばらくそうしていると、ミルリルは涙を拭って顔を上げ、健気に微笑んで見せる。
ああ、ミルリルさんマジ天使……このモフモフなクセっ毛をクンカクンカしながら力の限りワシャワシャしたいわー。
そう思ったところで手が勝手に動いていた。のじゃロリさんは怒りもせず受入れ、くすぐったそうに小さく笑い声を上げる。ヤバい。これ以上はヤバい。いろんな意味で、止まらなくなりそうだ。
乱れた髪を優しく整えて、俺たちは見つめ合う。もう大丈夫だ。
きっと、なにがあっても。
「もう動いても大丈夫かの? おぬしが助け出した3人が、礼をいいたいそうじゃ」
「ああ、問題ない。会うよ、まだ話してなかったしな」
俺は身支度を整え、教会前に置かれたベンチのところで、助けたひとたちと再会した。
なぜかヤダルとミーニャも、ニヤニヤしながら横についている。何してんの君ら。
「おう、大活躍だったらしいなあ、ヨシュア」
「大変だった。特にミルリルが取り乱して縋り付いて……」
「わ、わらわの話は、ど、どうでもよいのじゃ!」
「ヨシュア殿」
獣人男性が、ベンチから立ち上がって握手を求めてきた。
「ご挨拶が遅れました。わたくしは皇国で亜人向けの小さな商会を営んでおりました、メレルと申します。このたびは命を助けていただき、感謝の言葉もございません」
救出したときはテンパっていたからあまり記憶はないけど、こんな感じのひとたちだった、気がする。
キツネ系(に見える)獣人の男女と、ドワーフの女性。
見たところ、全員が30そこそこくらい。身なりも表情も落ち着いて、それなりに高い教育を受けてきたような印象を受ける。
「本当に、ありがとうございました」
「「ありがとうございました」」
「いいえ、みなさん無事でよかった」
紹介されたところによれば、獣人女性は奥さんのハーネルさん。ドワーフの女性はメイドのミッファさんだそうな。
獣人の主人に従者のドワーフって、なぜか新鮮。偏見なのか、逆だったらわりとイメージできるんだけど。
「それで、あなたたちは、どうしてまた拉致なんかされてたの?」
「それは……わたしが魔王だから、らしいです。妻とミッファはその傀儡であると」
「は?」
魔王って、いたのか。っていうか、“らしい”って、どういうこと?
「うむ、そうなると暫定魔王のヨシュアは、即位前にお払い箱じゃな」
「慰めてやろうか?」
「慰労会」
「ちょっと、そこの脳筋ガールズ。勝手に魔王ポジション確定みたいな流れで話すの、やめてもらえませんかね? 俺、魔王じゃないから。ただの商人だからね?」
「は? なにいってんだ、ヨシュア?」
「どこの世界に3万の軍を磨り潰す商人がおるのじゃ」
「そんなのがいたら、それはもう、魔王みたいなもの」
「……ぐぬぬ」
早くも3人組は“登極失敗残念パーティ”しようとか盛り上がってるし。たぶん俺のカネで。仕入れも俺で。いいけど。告白してないのに振られた扱いみたいな納得いかない気分ではある。
「なあミルリル、そもそも魔王って、なに?」
「言葉のまま、魔族の長じゃな。まあ、王国と皇国のやつらによれば、じゃが」
「魔族って、いるんだ」
「いるもいないも、その基準もあやつら次第じゃ。少なくとも王国と皇国では、魔力を持った亜人を魔族と称しておるのう」
「そうなの?」
「そんなわけがなかろう。エルフはほぼ全員、ドワーフも半数以上、獣人でも4人にひとりは、ある程度の魔力を持っておる。ケースマイアンは魔族だらけじゃ」
……ん? なんかよくわかんないぞ?
「じゃあ、魔王って誰が決めるの」
「知るわけがなかろう。基準が知りたくば皇国にでも問い合わせるが良い」
俺は首を傾げて、獣人男性メレルさんの方を見る。彼も首を振って苦笑するが、そんな顔をしても落ち着いた雰囲気のままだ。このひと、イケメンというより“品が良い”。
神主と巫女の格好なんかしたらピッタリだろうな、この夫婦。
「彼らによると、魔王は、異世界から召喚されるそうなのです」
「あなたは、異世界から召喚されたのですか?」
「いえ、まったく身に覚えはありません。生まれはケースマイアンで、両親とともに皇国に逃れました」
「じゃあ、皇国軍の勘違い?」
「ええ。我々人狐族は遺伝的に魔力が高いので、目を付けられたのだと思います。商会はそれなりに繁盛していましたから、財産を没収するのに都合が良かっただけかもしれませんが」
ひでえな。全財産を奪った挙句に魔王扱いで処刑か。まるっきり魔女裁判だ。人間の商人からの嫉妬もあったのかもな。
「そもそも、魔王は身体のどこかに召喚された際に刻まれた呪いの印があり、魔導師の呪文で正体を現すのだとか」
「ゲフッ!」
「おい」
いきなり噎せたミルリルを見ると、そっと目を逸らす。
ちょっと、やめて。ホントやめて、そういうの。
俺はミルリルに寄り添うと、耳元で囁く。当然のことながら、そこにロマンティックな雰囲気は微塵もない。
「俺の身体、見たな」
「あ、おう。それは、あれじゃ。看病を、せねばならんのでのう」
「どっかに、印やらいうものはあったか?」
「ナ、ナイ、デスジャ?」
やめろ、そのド下手な優しいウソ、こっちが辛くなるんだよ。
目を泳がせて汗ダラダラ流しながら片言でいわれた時点で、確定である。
「あああああぁ……マジか。ホントに? どこに?」
「ゼンゼン、ミテナイ。ケド、ヒダリムネ?」
「場所まで把握してんじゃん。もう決定だよね、それ!?」
シャツみたいな上衣をめくって覗き込むと、青黒いマークがある。痣にしては鮮やか過ぎ、大き過ぎ、意匠的過ぎる。
なにこれ。呪いの印以外のなにものでもないよね。前に着替えたときに、こんなの、なかったと思うんだけど。
「俺が魔王かどうかはともかく……」
「「「「魔王様……」」」」
「やめて! それはないから。俺個人はなんの力もないし、魔族の知り合いとかいないし、だいたい、やる気もないから。ね?」
「……」
なんで全員が不満そうなんだよ。冗談じゃないっつうの。ケースマイアン魔王城にでもする気かよ。こいつら本当にしそうで怖いわ。
「それは、ともかく、魔王って、なにするひと? いや、ひとかどうか知らんけど」
誰も答えないので、メレルさんが代わりに答えてくれた。
「恐ろしい大量殺人を行い、人間の国を攻め滅ぼすといわれてます。最後は勇者に滅ぼされるのがお話の筋としては決まりですが、たまに勇者を倒す強大な魔王も、いるとか、いないとか」
あ、シーンとしちゃった。
そりゃ、大量殺人は、しましたよ。みんなでね。でもそれ、攻め込んできたの向こうだし。王国は滅びそうだけど、内乱だし。自業自得で俺の責任じゃないし。俺、悪くないし。
「しかし、勇者を殺したのだけは、おぬし単身だったしのう?」
「ミルリルさん、俺の心読むの止めてくれませんかね。いや本当に」
「以心伝心じゃ、ふがッ」
ドヤ顔がイラッとしたので笑顔で鼻フックしたった。鼻も小さくて可愛い。
「定められた試練を達成して魔王の印が浮かぶと、凶悪な眷属が王を迎えに現れると聞きました。ですから、彼らは対処を焦っていたようなのです」
おいおい、狐顔の商会長メレルさん、なんかまたおかしなこといい始めたぞ?
「眷属?」
なにそれ、部下? ペット? なんか激しく嫌な予感がしてきてるんだが……
「……それが、火を噴く鋼の、魔獣だと」




