53:空飛ぶハンヴィー
丘の頂点で、ハンヴィーの巨体がごうんとわずかに飛び上がった。緊張感から、アクセルを踏み込み過ぎていたようだ。ここが正念場だ冷静になれと、俺は自分にいい聞かせる。
「ミーニャ! 皇国軍陣地の最前列まで、距離1哩(1600m)を切ったら射撃開始!」
「了解」
「当たると思ったら、おぬしの判断で良いぞ! その弾丸なら人体は抜ける、前列の上半身を狙え!」
「わかった」
振り返って声を掛けたミルリルと違い、バックミラー越しの俺からはミーニャの下半身しか見えない。運転中の俺には、どんな反応が返ってきたのかわからず、自信の程が判断できなかった。
「こんな揺れるなかで大丈夫か?」
「要らん心配じゃな。あやつとて森の狩人エルフの末裔じゃ。風と水の加護を持っておる」
「風はともかく、なんで水?」
「風の精霊魔法で弾丸の抵抗を失くし、風と水の複合魔法で銃身加熱を抑えるそうじゃ。精密射撃ならばドワーフより射手向きじゃな」
おう、すげえなファンタジー。
使ってんのが中古のM60てのが、いささかロマンに欠けるけど。
俺たちが丘を下り始めてすぐに皇国軍は反応し、陣形を整えて防衛戦に入った。重装歩兵の隊列が、たぶん騎兵対策なのだろう横に広い密集陣形を組んだ。それを前面に出して突進を止め、騎兵が敵部隊の柔らかい横腹を食い破るというわけだ。
問題は、こっちが“騎兵”でもなければ“部隊”でもないことなんだけど、そんなもんこちらの素性を知りもしない皇国軍に理解できるはずもなく。銃火器について投降した王国軍将兵から聞いてはいるのかもしれないけれども、こちらに一矢すら報いていない敗軍の報告からでは対策の立てようもない。
「有効射程、確認ッ! 射撃開始、するねッ!?」
やけに弾んだミーニャの声に、期待と不安が同時に高まる。敵陣までまだ1500mはある。ミルリルの指示した1哩には達しているが有効射程には届いていないのでは、と思いつつ俺は射撃の安定のためハンヴィーをわずかに減速させる。
後部銃座からの射撃が始まった。
数発ずつ器用に指切り点射されるM60の銃弾で、敵重装甲歩兵は次々にもんどりうって倒れる。身悶えるさまを見る限り全部が死んではいないようだが、それが却って敵陣の混乱を広げている。
密集陣形に開いた穴は、強靭な甲殻を持った化け物が無防備な内臓を晒すようなものだ。塞ぐ術もないままさらに降り注いだ銃弾でじわじわと内壁を食い破られてゆく。
途端に陣形が崩れ始めた。それはそうだ。重装歩兵の前衛が抜かれたら、その奥には柔らかな軽歩兵しかいないのだから。
後方に布陣した弓兵と、(視認できないが、この規模の部隊なら随伴して居るはずの)魔導師部隊からは、まだ動きがない。
「ヨシュア! 前方左側、機械弓じゃ、来るぞ!」
敵陣右翼から打ち出された杭のようなものが、わずかな山形の軌跡を描いてこちらに飛んでくるのが見えた。射出速度は長弓を超え、狙いも軌道も悪くない。当たれば重装歩兵の2~3人くらいは簡単に屠れるだろう。しかし。
「……なんと愚かだったんじゃ、わらわは」
ミルリルは乾いた笑いを漏らす。重い矢は当然ながら走り抜けるハンヴィーの速度にまるで追いつけず、あさっての方向に飛び去った。
「あんなものに人生を賭けた夢を見て、奪われたことで深い絶望を抱いて」
「いや……あのね、ミルリルさん。愚かなのは運用であって、機械弓自体は有効な兵器なんだよ?」
「慰めんでも良い」
「そうじゃないって。俺のいた世界でも、攻城戦や籠城戦では活躍してたよ。1基だけで戦闘機動中のハンヴィーを射たところで当たるわけないけど、それは武器のせいじゃない」
「……そうかもしれんの。ヨシュア、わらわはもう大丈夫じゃ」
次弾装填にはどう考えても数分は必要になる。クランクを持った兵士が必死で回しているが、それを待つ義理など当然、ない。
せめて後方に配置するくらいの頭は、なかったのだろうか。護衛もないし、盾すら持たされていない。
それが機械弓の、皇国軍での評価か。
「儚い夢よさらば、じゃな」
機械弓を担当していた部隊に最大射程からUZIの全自動射撃が撃ち込まれ、兵たちは崩れ落ちて果てた。ダメ押しでM60の集中射撃が2秒ほど。そのひとつが弦でも切ったのか、台座を遮蔽にしていた兵士の身体が分断されて弾け飛ぶ。
それがミルリルが生み出した超兵器の、ひどく切ない最期だった。
「弾帯交換!」
「了解!」
数秒間の停車後、ハンヴィーはまた前進を始める。
その間に、ようやく追い付いてきた騎兵が間近に迫っていた。長大な騎兵槍で彼らが何をするつもりなのかは、俺にもいまひとつ理解できないが。
たぶん彼ら自身にも、どうしていいやらわかってはいないのだろうと思う。
「ミーニャ、右から来る騎兵は構うな、こっちで仕留める!」
「うん、了解ッ! こっちは、本隊を食うよ!」
ああ、なんかまたキャラ変わってる……。ホント大丈夫か、脳筋ガールズ!?
「ミルリル、騎兵を頼む。AKMは要るか?」
「要らん。わらわの手に“うーじ”がある限り、その蜜月を邪魔できるのは、愛しの“すたー”くらいのものじゃ」
「……あ、うん」
なに、この疎外感。クレイジーの巣のなかでは真人間がクレイジー、みたいな。
己の言葉に違わず、ミルリルがUZIを発射するたびに、騎兵がよろめいて落馬、そのままピクリとも動かなくなる。
単射で1発ごと確実に、1騎が脱落してゆく。速度だけで無防備な軽騎兵はもちろん、拳銃弾くらいは受け止められるであろう分厚い盾持ちの重装騎兵もだ。ひとりずつ目玉を撃ち抜かれ、揺らいでは落馬して、二度と立ち上がらない。
なんだろう。この、なんだろう。うん。
「ミルリルさん。マジ、パないっす。自分、あんま怒らせないようにするっす」
「なにをいうておるヨシュア、さっさと左に回り込むのじゃ!」
「了解っす」
敵陣前、半哩(800m)ほどで左にハンドルを切り、敵右翼を銃弾で削ぎながら後方に抜ける。ハンヴィーの速度と降り注ぐ銃弾に対処できない皇国軍はパニック状態で逃げ惑うが、馬よりも速い乗り物に対して有効な攻撃手段など持ってはいない。まして、分厚い塔状大盾も容易く貫く7.62ミリ弾への防御手段など、いうまでもない。
盾と甲冑で身を固めた重装歩兵ですら蹂躙されたのだ。そのさまを見せられた軽歩兵の恐怖などドラゴンを前にした一般人のようなものだ。
戦列を乱して四方に走り去り、督戦部隊らしき騎士から切り殺されるものまで出る始末。走り抜ける車内から発射したUZIの45口径弾が、督戦騎士の頭を吹き飛ばす。
「ミーニャ、おぬしは逃げる者まで撃たんでよいぞ!」
「了、解ッ! あはははははは……!」
もうホント勘弁して。本当に心から嬉しそうな笑い声なのが怖すぎる。
母親の仇である王国軍将兵(の右腕)を殲滅してたときよりもさらにテンション高いのは、北方エルフの辿った(らしい)苦難の歴史が影響しているのかしらん?
この子のお父さんは助けたからまだ健在のはずなんだけど、こんなんにした責任取らされたら堪らんわ。
俺、ぜったい悪くないと思うんだけど。悪く、ない……よな?
「弾帯交換!」
「了解!」
敵陣後方から左翼側に回り込み、追加の100発を撃ち尽くしたミーニャの声でハンヴィーを停車する。
皇国軍からすると、手が届きそうで届かない300mほどの距離。思い出したように放たれた弓兵からの一斉掃射も、追加装甲と強化防弾ガラスに阻まれて有効打にはならない。当たるとしたら後部銃座のミーニャだ。四方は装甲板で覆われているとはいえ、上は開いているなのだ。
「ミーニャ、装填中は危ないから頭を下げてろよ!?」
「大丈夫、この範囲なら風魔法だけで逸らせる。簡単、問題ない。全然」
問題、ないんですか。全然、ですか。
「いいよヨシュア、出して!」
俺たちが前衛を殲滅後、敵右翼を牽制したまま後方を掠め敵左翼に回り込んだ結果、皇国軍は大きく左翼側に陣形を動かしていた。
「ミルリル、バスは、どうなった!」
「最初の衝突の隙に脇道へ抜けたぞ。後はケースマイアンに向けて一直線じゃ。もう馬でも追いつけまい」
「OK、じゃあ俺たちも撤収……」
「待って!」
後部銃座のミーニャが俺のシートを爪先でつつく。そのままフロントガラスに向けて伸ばされた足先が、敵陣の中央付近を指した。
「たぶん獣人、ふたり捕まってる。その奥のひとりも、兵士の陰になってるけどドワーフじゃないかな」
「ミルリル、視認できるか」
位置を再確認するが、いくら目を凝らしたところで俺の視力では、ごちゃっとしたグレーの塊にしか見えない。
「見えては、いる。おそらく、その通りじゃ。しかし、戦列奴隷にするとしたら、扱いがおかしいのう」
「魔力の使用自体は感じるのに攻撃魔法が飛んでこなかったのは、もしかして、それ?」
「それって、なんだよ」
「その亜人たちの、拘束か尋問か拷問か奴隷化か、わかんないけど、戦闘以外のことに魔導師を使ってたんじゃないか、ってこと」
俺は考えをまとめるため、ハンヴィーを反転させて少しだけ皇国軍から距離を取る。
位置を確認したガールズの報告によれば、獣人とドワーフがいたのは敵本陣の中央、わずかに後ろに張られた天幕の前だという。ふつうに考えて、そこは指揮官か上位貴族がふんぞり返っているような場所だ。彼らが蔑み虐げてきた亜人を置く理由ときたら、捕虜か人質くらいしかない。
亜人でそれだけの価値がある人物というのは、何者だ? 皇国軍指揮官は、なんのために、なにをしているんだ?
いや、それはとりあえず、どうでもいい。
いま考えるべき問題は、おそらく最精鋭に守られているであろう事実と、彼らを奪還するための方法だけだ。
「考えろ、考えろ……いや無理、思いつかない。たぶん、これしかない」
「どうしたんじゃ、なにを迷っておる。突っ込んで奪還以外になかろう?」
「ああ、そうだな。ミーニャ、その獣人とドワーフに流れ弾が当たらない方角の敵を一掃しろ。その後で、弾帯交換だ」
俺が伝え終わるか終らないかのところで、脳筋エルフは敵射程外からの一方的虐殺を再開した。いまや満身創痍の皇国軍で、兵士の多くは物資や馬車や重ねた盾や、ありとあらゆる遮蔽物の陰で寄り添い、あるいは薙ぎ倒された兵士たちの死体に紛れるように伏せて銃弾の雨をやり過ごそうとしているらしい。
俺には遠すぎて見えんけど、ガールズの発する独り言や罵りを統合すると、そうなる。
指揮官や部隊長ならともかく一般兵からすれば、死んだふりでもしていたら、死神が見逃してはくれないかと神に祈っているのだろう。その気持ちは、わかる。
そんな願いが、叶うわけはないのだが。
「弾帯交換!」
「了解!」
その間に俺は、ミルリルとミーニャに自分が思い付いた計画を話す。
やらなくてもいい危険を冒すのだから、俺がひとりで……といいかけたところでミルリルさんから横っ面を張り飛ばされ、ミーニャから背中を蹴られた。
痛いけど、痛いだけで済んだということはたぶん、手加減はしてくれたのだろう。
「今度そのようなくだらん戯言をいうたら、張り飛ばすのじゃ」
「わたしも、蹴飛ばす」
「いや、やったよね!? いま君ら、やっちゃってるよね!?」
「再装填完了、いつでもいいよ?」
「ええ加減、肚を括らんか、ヨシュア。行くときは、一緒じゃ。極楽であろうと、地獄であろうとな!」
ドワーフやエルフの死生観は知らんけど、それを聞いて俺は、少しだけホッとした。
一蓮托生の覚悟を決めて、彼女らへの指示を出す。
「ミルリルは捕まってるひとたちの周囲にいる敵を殲滅、俺は彼らを回収、ミーニャはハンヴィーの防衛と撤退支援」
「「了解!」」
「こんなの、やったことないから、失敗しても怒るなよ?」
恐怖と不安を誤魔化そうと冗談めかしていった俺に、ミルリルとミーニャは優しく微笑む。その目には焦りも動揺もない。微塵も。
「責めないし、怒らない。前向いて死ぬなら、本望」
「聞くまでもなかろう? おぬしと供に向かうのならば、どこでもいいのじゃ。行く先なんぞはな」
畜生、こいつら良い女だなあ。こんなとこで死んだりしたら勿体ないな。なんとかして無事に帰してやりたい。そうだ。最後まで、一緒に。
場違いに幸せな気持ちに包まれながら、俺は転移を開始した。敵陣のど真ん中に。
「さあ行くぞ、つかまれ!」
……車ごと。




