43:宴と酒と彼女の思い
戦闘の後始末がひと息ついた夕刻、教会前に設置した宴会用のテーブルに、俺は収納から戦利品を出す。
「「「「うおおおおおぉ……!!」」」」
積み上げられた酒瓶の山を見たドワーフの熱狂は異常。まさに、異常。
「わかる、わかるぞヨシュア、これは酒じゃな! それも、かなりの逸品と見た!」
「いや、悪いけどたぶん、安物だ」
「いいや、酒というだけで素晴らしいぞ!」
……なんでもいいんかいな。
どうも、こっちの世界で蒸留酒はあまり一般的ではないらしいが、ドワーフの里では秘伝の製法で作り上げた“火酒”と呼ぶ強い酒を愛好しているのだとか。幸か不幸かケースマイアンにそんなものはなく(というか、落ち延びてきた当初は食い物の確保に必死で酒どころではなく)、故郷を追われて以来ご無沙汰だった強い酒に爺ちゃんたちは厳めしい顔をクシャクシャに歪めて大喜びしている。
そんな姿に苦笑しながらも、エルフたちは比較的冷静。酒瓶を手に取ってはあれこれ話しているが、どちらかというと酒そのものではなくガラスの成形やらペットボトルの材質やらが気になっている風だ。
「エルフは、ふだん酒を飲まんの?」
「飲まないことはないが、ドワーフたちほど思い入れはないな。自家製の果実酒を嗜む程度だ」
「ほんじゃ……とりあえず、これかな。葡萄酒、だと思う。状態がわからんから、悪くなってたら他のにしてくれ」
サイモンが持ってきた酒は銘柄も生産国もバラバラで、ほとんどが俺も見たことがないものばかりだ。辛うじてわかるのはゴードンのジンと、緑ボトルに黄ラベルのJ&Bってウィスキーくらいだ。わかりやすい安酒。しかも、おしなべてキツいものばかり。30近いボトルのなかで、ワインは数本しかない。12本パックのビールもふたつあるが、銘柄は知らないものだ。
「そっちの“かんづめ”は、なんじゃ?」
「酒に合う食い物だと思うけど、なんなのかは俺にもわからん」
大きな缶詰は、ひとつ開けてみるとソーセージと豆の煮物みたいな代物だった。名前は知らん。書いてあったけど読めん。他のも概ね酒肴として悪くないチョイスだったらしく、酒飲みたちにはそれなりに喜ばれた。
袋や筒に入ったスナック菓子みたいなものがいくつかと、フィルムに包まれたでっかいサラミとボローニャソーセージ。あとは、煉瓦ほどもある真空パックのチーズがあった。黄色っぽい、たぶんチェダーの塊。焚火で焼かれていた(大きさからしてたぶんワイバーンの)リブ肉に削って載せてみたら、獣人の女性陣や子供たちに好評だった。
「美味ッ! ヨシュア、このトロトロしたの、すうっごい美味いよ!」
「味が濃くなるのね。変わった匂いがするけど、身体に力が付きそう」
「そのまま食べても美味しいけど、やっぱり焼いた方が好きかな。ねえヨシュア、これ、なに?」
「チーズだよ。知らない?」
「聞いたこともないわ」
そんなもんか。こっちに来て以来、俺は逃避行続きで王国の飯を食ったことがない。この世界の食文化がどんなものか知らない。乳製品くらいありそうなもんだけどな。
「ミルリル、チーズは知ってるか?」
「王都には、似たようなものがあったはずじゃが、わらわも馴染みはないのう」
獣人やドワーフは畜産をしないので、乳製品に接する機会もあまりないそうな。エルフの場合は、ヤギやら羊やら飼っていたというが、それもまだ彼から森のなかで独自の暮らしを維持できていた古き良き時代のことだ。
「森で暮らすエルフは、なんというのか知らんが、ドロドロの酸っぱい乳に果実を入れて食うという話を聞いたぞ?」
それは、ヨーグルトかな。エルフって、やっぱベジタリアンぽい食い物が好みなのか。いずれは各種族の独自文化を取り戻せるようになるといいんだけどな。
ドワーフなのに酒を飲んだことがないというミルリルは、あれこれ試しては微妙な顔をしている。
「なにか好みの物はあったか?」
「う~む……不味くはないのじゃが、酸っぱかったり辛かったり、腹のなかが熱くなったりで落ち着かんのう。お茶か果実水の方が好きじゃ」
あんまり酒好きではないようだ。祝い事だからちょっと付き合うだけでいいと伝えておく。なにせ、この子まだ17歳だしね。この世界での成人が何歳かは知らないけど、無理に飲むことはない。
生粋のドワーフたちは、いよいよ盛り上がっているようだけどな。
「うはははは……! ヨシュアー! これは、実にニガ美味い! いや、ウマ苦いぞ!」
なんのこっちゃ。ドワーフの爺さんたちは1リットルのペットボトルに入ったなにか(たぶん酒)をラッパ飲みで回し飲みしている。転がってる空き瓶(空きペットボトル)を見たが……うん、読めん。基本的な英語以外だと、書いてあっても俺にはわからん。
自分では日本語で話しているつもりなんだが、かなりブロークンな英語で話しているらしいサイモンとの会話が成立しているのは、異世界転移の余禄かなんかなのかな。そういやこっちの世界に来てから会話で困ったことはないもんな。
「せっかくの酒じゃ、おぬしも少しは飲まんか?」
ペットボトルを持ったミルリルが、俺のカップに注いでくれた。お返しに注いで、ふたりで乾杯。
慣れない仕草に恥じらうような感じが女の子っぽくて、ちょっとほっこりする。
「出会って以来、なかなかこんな機会はなかったのう?」
「まあ、な。生き延びるのに精いっぱいで、酒どころじゃなかった」
「こういう時間を持てたのも、おぬしのおかげじゃ。感謝しておる」
「やめてくれ、みんなで成し遂げたことだ」
う~ん……それはいいんだけど、これドワーフの爺さんたちが飲んでたのと同じやつだよね。ホントに苦いな。ニガ美味い、とかいってたけど、俺にはサッパリ美味くはない。
酒ではあるんだろうが、薬草なのかなにやら得体の知れない味がする。しかも、えらい強い。
「フェルネット、コーラ……」
ペットボトルには、そう書いてある。たしかにドワーフ連中はデブがコーラでも飲むみたいにグイグイいってるが、酒だよな? 見るとプルーフ……45度とか書いてないか、これ!?
「ミルリル、こんなの飲んで大丈夫なのか?」
「うへへへへ……らいちょうぷ、じゃ!」
みみみ、ミルリルさん、目が座ってるーッ!?
◇ ◇
なんだかんだで酒も食い物も行き渡り、ケースマイアンの住人たちは束の間の休息を楽しんでいる。
ミネラルウォーターを飲ませて血中アルコール濃度を薄めたことで、酔っ払いモードだったミルリルも落ち着いてきた。まだ少し上気したような頬が、どこか幼げで可愛い。
焚火の近くに座っていた俺の横に腰掛け、ミルリルがチラチラとこちらを窺ってくる。なにかいいたいことでもあるのかと目線で促すが、その度に目を逸らされてしまう。
黙って一緒に座ってるだけでも、気持ちが落ち着くから、いいんだけどね。
「のう、ヨシュア」
何度目かの逡巡の後で、ミルリルが俺に話しかけてきた。やっぱり、気に掛けてたことがあるのだろう。彼女の声は、少し硬い。
「おぬし、なんぞ悩みでもあるのではないか? わらわで良ければ相談に乗るのじゃ」
「……え? いや、ないけど」
「その割には、たびたび王都方向や暗黒の森方向を振り返って気にしているではないか。あそこまで済ませたんじゃ、敵を警戒しているわけでもあるまい?」
宴会の前に、残敵の確認と死体の収容を行い、王都からケースマイアンに入る進路上にいくつか、使わずに残った手榴弾と手作り爆弾で仕掛け罠の設置を行っている。
偶然通りかかった無関係な人間――いまのケースマイアンに来るとは思えんが――に死なれても寝覚めが悪いので、その手前には馬車の残骸でバリケードを築き、大きな看板を立てた。エルフに共用語とやらで警告を書いてもらった。“即死の罠あり、用があるものは大声で呼べ”だったか。
これで爆死しても、そこまでは責任取れん。
「あ、うん。いや、大したことじゃないんだけどな……」
ミルリルは怪訝そうな顔で首を傾げるが、本当に大したことじゃないのだ。
これからについて、何も思いつかないというだけで。
王国軍のなんだかいう将軍が自然に行っていた“戦後”を考えるという発想が、俺にはなかった。
いま、ここにいるのは状況に流されてのことで、何かの大義や目的があったわけではない。王都でミルリルを助けたのも、ケースマイアン再建に手を貸したのも、さほどの意味はなかった。あえていえばその場その場での仁義やら人道やらなのかもしれないが、その根源にあるのはただ目の前の障害にその場凌ぎで対処しただけ。
王国から脱出さえ出来れば、それでよかったのだ。
「……いまは、どうなんだろう」
「なにが“どう”なんじゃ。ええ加減、腹を割ってわらわに話すが良い。こう見えても悩みを聞くくらいのことは出来るのじゃ」
「それは、わかってる。ずいぶん助けてもらってる。感謝してるよ」
お礼をいって笑顔を見せても、ミルリルの表情は晴れない。むしろ、自分の思っていた懸念が当たっていたとでもいうように首を振る。
「……おぬし、よもやひとりでどこぞに立ち去るとか思ってはおらんじゃろうな」
ふむ。鋭いね。女の勘かドワーフの超能力なのかは知らんけど。
「思って……なくはないけどさ。だからって、どこかに行く先があるわけでもないんだよね。目的もないし、身寄りもないし、食い扶持も……」
「ん? 他はともかく、おぬしは商人なのではないのか? それも、凄まじいまでの異能を持っているようじゃが」
「おう、そうだな。忘れてた。俺、商人だよ。うん」
「……大丈夫か、おぬし?」
懸念事項のひとつは解決、と。
取り扱い商品が偏り過ぎてるのと、この世界の知識がなにもないのが依然として問題ではあるが。
商人は商人でも、死の商人だもんな。だいたい、この世界の人間に銃やら爆弾やらを売るわけにもいかんだろ。どうすんだ。
幸か不幸か金貨銀貨には困っていないけど、ここから先の展望に繋がる気はしない。
「そうだな。商人として、やってくしかないのかな」
「……ヨシュア、折り入って頼みがあるのじゃ」
「おう、任せとけ」
「わらわとここに残って、ケースマイアンの再建に力を貸してくれぬか。この通り……んぢぁッ」
ペコリと下げようとした“のじゃロリ”のフワフワ頭をアイアンクローで止める。不満そうに上げた彼女の顔を、俺は真正面から見つめた。
「俺に対して、そんな真似すんな」
「し、しかしの」
「任せとけって、いっただろ。お前の頼みなら、なんだって応えるに決まってんだろうが。頭なんか下げんな。お前は俺の……」
……俺の、なんだ。
そういや、考えたことなかったな。ミルリルって、どういうポジションなんだっけ。
何度も一緒に修羅場を潜って、ずっと一緒に笑って泣いて、会ってからの時間はまだ短い筈なのに、離れたくないと強く思うようになってしまった。
とはいえ恋人というのも、なんか違う気がする。俺がミルリルに話したことも自分の全てではないとはいえ、彼女の方が俺についてはずいぶん多くのことを知っている。
でも俺は、こいつのことを、まだ何も知らないのだ。
「わらわは、おぬしの、なんじゃ」
「それは……」
期待と不安と、なんかわからん色々な感情に鼻をフンカフンカいわせているドワーフ娘を見て、俺は首を傾げる。
「……なんなんだろうなあ?」
「ふんがーッ!」
「げふッ!?」
のじゃロリの急角度フックが脇腹に突き刺さる。くの字どころかクの字に折れ曲がって地べたに這いつくばる俺を、ミルリルさんはポカポカと拳で叩く。
「そこは! ちゃんと! せんかー! ウソでも方便でも! アレなり! コレなりを! ナニするところであろうが! アホー!」
「あッ、ちょッ、みるッ、りツ、るッ、さッ、ギブギブ……げうっ!」
見た感じは、ほのぼのした光景かもしれんが、成人男性を片手で振り回すようなドワーフパワーで俺のHPはゴリゴリと削られてゆく……
グッタリとダウンしかけた俺の頬を両手で包み込むように持ち上げ、ミルリルはまっすぐに目を見据える。
身長的には小学生くらいしかない女の子に顔を押さえられブラーンと吊り上げられている中年男という、傍から見ればロマンティックには程遠い姿なのだが、俺の目は彼女の澄んだ視線に引き寄せられてしまう。
「わらわは、ヨシュアとともに居りたいんじゃ。おぬしの望み、おぬしの願い、おぬしの求めるものがあらば、わらわもそれに向かって一緒に進みたいと思っておる。おぬしは、どうなんじゃ! さあ、答えよ!」
なんか文言は告白というより完全に尋問チックではあるが、それは彼女なりに正直に誠意をもって発した言葉だった。
ここは、適当に流すわけにもいかないだろうな。
優しく手を押さえると、彼女は俺の両頬を手放した。
俺は再び俯せに倒れたまま手招きする。屈み込んだミルリルの顔は思ってた以上に幼く儚げで、そして思ってた以上に凛として美しかった。
「なんじゃ! なんぞ申し開きがあるなら、いうてみよ!」
俺は、彼女の耳元に唇を寄せる。ほんわかと甘い香りがして、胸の奥が小さく高鳴った。
「……俺には、欲しいものが、ひとつだけある」
「うむ、そうじゃ。なんだっていうてみよ。わらわが全力でそれを支え、その思いを叶えさせることをここに誓うのじゃ!」
「……この戦争が、終わったら」
「ふむ」
「……お前が、欲しい」
「む?」
――あら? 反応がない。
しゃがんだまま硬直したミルリルさんの顔がどんどん赤くなって口元が震え始める。握りしめた拳が開かれて握られてまた開かれて、顔を覆って身悶え始めた。
ヤバい。これアカンやつや。逃げな……
あ、つかまれてる。ちっこい手で思っきり首根っこハンギングされてる。無理無理無理……
「むきゃあああああああぁーッ♪」
恥じらいながら甲高い雄叫びを上げたミルリルの超高速往復ビンタを食らった俺は、縦回転でブッ飛ばされ、クルクルと宙を舞いながら意識を失った。




