(閑話)ミーニャと彼女の嘘
わたしは故郷を喪い、母を喪い、心を喪った。エルフとしての誇りも、生きてゆく気力も。
壊れた欠片を繋ぎ合わせた人形でしかなかったわたしを、救ってくれたのはミルリルからもらった短剣。母の仇に自らとどめを刺し、わたしは生きる意欲を得た。生きなければいけないのだと、強く思った。
復讐のために。わたしと同じ思いをする同胞たちが現れないために。
ヨシュアからもらったショットガンが、わたしの人生を変えた。ミルリルとヨシュア(と、条件付きでヤダル)が、わたしを高みに、恍惚の世界に導いてくれた。
「つかまれ」
ヨシュアの転移がわたしを虚空へと誘い、お腹の奥がスウッと軽くなる。それは癒しのとき。魂の、解放のとき。
戦場の奥深く。敵陣の真っ只中に侵入したわたしたちは、武器を構えてわずかに散開し、全周警戒に入った。
「……右翼ヤダル、ミルリルは左翼だ。ミーニャは俺と中央天幕」
「「「了解」」」
何度も繰り返した手順を、ヨシュアは口頭で繰り返す。わかっているから必要ない、なんてことは誰もいわない。わかっているから、同じ手順を踏むのだ。それで気持ちが落ち着く。心が研ぎ澄まされる。
左翼と右翼では既に戦闘が開始された。わたしたちも正面の灯りのなかに踏み込んで左右を確認する。
王国軍の天幕には指揮官らしい貴族と平民上がりの副官。戦闘職ではない輜重隊長という話だから、副官には護衛の役割も持たせているはず。
死角に回り込んで剣を抜こうとした副官の右手を振り向きざまに撃つ。腰の柄に当てていた手を撃てば自ずから腹にも当たり致命傷になる。やむを得ない犠牲だ。崩れ落ちる副官に背を向け、非常呼集用の呼び鈴を鳴らそうとした指揮官の右手も撃つ。いずれにせよ銃声で敵は呼ぶことになるのだから、好きにさせてもよかったのだけど。
「っぎ、ぁああ……!」
「これで右手は使えない。故郷に帰って、静かに暮らしなさい」
これも、決まり切った手続き。返答もまた、既定の手続きのように同じだ。
「ふ、ふざけるな貴様ら、覚えておけ……」
わたしは銃身を折ってショットシェルを放り出し、新たな散弾を装填する。
「覚えておくのは、そちら。わたしたちは、いずれまた来る。そのとき残っていれは、もうひとつの手も使えなくなる」
息を呑むのも怯むのも、目が泳ぐのも同じ。
戦闘部隊の指揮官ほど、この手続きは早く済む。戦う力を持ち鍛え上げた者ならば、すぐに彼我の実力差を知り抵抗は無意味と理解するからだ。
「それでも戻って来たときには、右膝を潰す」
いまいる陣は輜重部隊なのだから、武に秀でたものは配置されていない。身体は細く、武器もお飾りで、戦う力も弱い。
事務方の兵士だ。物の道理を学ぶという意味でなら頭は良いのだろうが、引き際を知るという意味では愚かに過ぎる。
そして、亜人の捕虜に嗜虐的思考を漲らせるのが決まってこのタイプだった。
「王国軍の誇りを……」
机上の剣を取ろうとした指揮官を見て、わたしは密かに溜め息を吐く。ドゴンと、散弾が左手も吹き飛ばす。これで、故郷に戻ってもまともな仕事には就けない。
算版も帳面もペンも扱えない。手綱も剣も弓も、工具も農具も、何も。
「こんな結果になって、残念」
わたしは背を向けながら、この日だけで何度目かの嘘を吐く。輜重隊長はひしゃげた指に燭台を絡み付けて、両手で抱え込んだままわたしに突進して来る。蔑み侮った亜人の小娘相手に、一矢でも報いねば生き恥を晒すとでも思ったのだろう。
息遣いだけで、どうするかはわかった。逃げることもできたし、制圧することもできた。安全に冷静に対処することは、簡単にできたのだ。
わたしは最後の一発を、男の胸に撃ち込む。
「左、脅威なし」
「右、脅威なし」
「後方、脅威なし」
仲間たちが戻って来た。彼らはきっと、わたしが何をしたか、何をしようとしたかを知っている。
予定と違う二つの射殺死体を見て、ヤダルが小さく首を振った。必要もないのに、わたしはまた嘘を吐く。
「……降伏勧告に、従わなかった」
「いいさ。しょせんは敵だ。怪我はないな?」
わたしは頷いて、ショットガンを革帯で背中に回した。これで終わり。そしてまた、新しい復讐が始まる。
――でもそれは、いつまで?
急に不安になる。世界が、自分から遠ざかってゆく。
「……ミル、リル?」
「どうしたんじゃ、ミーニャ。わらわは、ここにおるぞ」
「うん」
「大丈夫じゃ。みんな、おぬしと供におる」
「うん」
わたしは、ミルリルの手を取る。小さくて柔らかくて暖かな手は、わたしの心に少しだけ熱を注ぐ。
「ありがとう」
「礼には及ばん。わらわたちが、望んでしておることじゃ」
いままでも、いまも、これからも。わたしは、いくつもの嘘を吐く。たくさんの人を殺す。そうするしかない。他の方法がわからない。無数の嘘を重ねて、無限の復讐を続けて、自分の胸に開いた大きな穴を埋めようと足掻くのだ。




