(閑話)ミルリルと彼女の楽園
わらわの名はミルリル。一国一城の主じゃ。
王国の平民街の外れ、貧民窟の一歩手前にある朽ちかけた工房の脇。住居に指定された安普請の物置を、わらわはケースマイアンと名付けた。
いつか我が手で鍛治王の栄光を取り戻し、帰るべき場所の名じゃ。いつか見ておれ。わらわの覇道はここから始まるのじゃ。
「おいチビ、さっさと灰の処分しろ!」
「了解じゃ!」
「おいチビ、鋼材まとめとけっていっただろうが!」
「昨日分までは倉庫にまとめたのじゃ」
「今日は追加の仕入れがあんだよボケが!」
「すぐ対処するのじゃ!」
聞かされてもおらん予定に対応せよとは無体なことじゃ。とはいえ相手は先輩工夫、文句をいうても始まらん。これでもドワーフの末裔として鍛え上げられたのじゃ。腕力でも技術でも並以上という自負はあるが、それでも長幼の序というものは尊重せねばいかん。
それは、わかるのだがのう。いくら励んでもどれだけ結果を出しても、扱いの差は埋まらぬ。それどころか、どんどん風当たりが強くなっていることに、わらわも気付き始めておった。こと技術職である限り、種族による差別はないと聞いておったのだがのう。
しょせんは下衆どもの建前でしかないと、思い知ることになるのじゃ。
「あのチビ、また何か作ってたって?」
「前にも端材でいろいろ拵えてたな。前にパクった治具ってのは、けっこう役に立ったぜ。今度もそれか?」
「いや、弓だよ。絡繰り仕掛けの弓だ。それ見た工房長が、どこぞの貴族に持ち込んで小金をせしめようとしてるらしいがな」
「へえ、カネになんのか。あの偏屈ジジイも上手いことやったもんだ」
「ああ、それでこっちにお零れでもありゃ良いんだがな。あの守銭奴に限って万に一つもありゃしねえだろ」
倉庫で鋼材を積み直しているわらわの耳に、先輩工夫どもが下卑た声で笑うのが聞こえてきよった。
どうもいくつか見当たらんと思ったら、そういうことか。元は物置とはいえ、いまはわらわの部屋じゃ。ひとの作ったもんを勝手に持ち出すとは信じられん無作法。おまけに工房長に至っては、当人の許可もなく売り払うなどとは恐るべき恥知らずじゃ。雇っておる工夫はもちろん、自分の妻からさえも守銭奴と罵られる業突く張りだけのことはあるわ。
まあ、ええわい。あれも捨ててあった端材で作った動作確認用の試作品じゃ。そのうちカネが溜まれば本格的に実用可能なものを拵えて、商会か領地貴族にでも売り込んでみようかのう。
鳥や小動物を狩るには小さな手持ち式、大物を狩るには大きな据え置き式。もう少し軽くなれば持ち運びができるんじゃが、いまのままでは追い込み猟しかないのう……
「ミルリル!」
倉庫の扉を蹴り開けるようにして、工房長が汗だくで駆け込んできよった。こやつ、いつも太鼓腹でふんぞり返っておるから走る姿なぞ初めて見たわい。
「すぐに、わしと来い!」
「ぬ? どこへじゃ?」
「いいから来い!」
腕を引かれるがままに連れて来られたのは、どこぞの大貴族のお屋敷じゃ。
「工房長、ここは」
「公爵様の屋敷だ。無礼のないようにな」
公爵、といえば王族の末裔ではないか。金屑と灰で汚れきった作業着のわらわは、いまは存在自体が無礼じゃ。どう考えても招かれざる客であろうに、執事やらメイドやらが薄気味悪い笑みを浮かべてわらわたちを奥へと招き入れる。
応接室と思われる広い部屋に通されると、老いさらばえた案山子のような男が長机の奥に座っておるのが見えた。
公爵の第一印象は、ただただ“胡散臭い”というものじゃ。濁った目に締まりのない口元。落ち着きなく組み変えられる指先に、泳ぐ視線。気が狂いかけておるのでなければ、おそらく性根が歪んでおるのであろうな。
「ああ……ドワーフ、ドワーフか。なるほど、それならば納得もできよう」
「トーレイス、公爵様。どうか、これで……」
「わかった。貴様、こやつの功績を奪って私腹を肥やそうとしたか。……ハンス」
「は」
執事が腕を取って部屋からつまみ出そうとすると、工房長はガクガクと震え出した。
「……そ、そんな。製作者を連れて来れば、正当な報酬を渡すと」
「ああ、渡そうではないか。正当な相手にな。そして貴様にも、正当な報酬を受け取ってもらわねばな」
執事と工房長が退出すると、わらわと公爵だけが残った。老人の手には、わらわの作った機械弓がある。なぜかゾワリとした悪寒が背筋を震わせる。恐怖でも嫌悪でもない。強烈な、違和感。その正体がわからぬ。
「さて、ミルリルとかいったな。この弓は見せてもらった。若いのに大した発想、そして見事な腕だ」
「それは試作品なのじゃ。機構の精度を上げんと実用には足らぬ」
「なるほど。では、実用段階にあるものは何日で作れるかね?」
「実用の定義によるのじゃ。射的に使う程度なら一日、猟に使うなら三日……」
「いやいやいや、そうではない。どうやら誤解があるようだ。質問を変えよう」
わらわも、そこで先刻からの違和感が何なのかがわかったのじゃ。
部屋のなかに、誰かがおる。かすかに感じられる気配は、七名。金気臭い武器の匂いと、殺気を孕んだ汗の臭い。この男が指示するだけで、わらわは殺されるのであろう。どこぞに連れ去られた、強欲工房長のように。
「戦場で、使うには?」
そういうことか。こやつは、わらわの武器を人殺しの道具にするつもりじゃ。当然そうなることも考えておくべきだったのであろうな。
「わらわの作り上げた物で、人は殺させん」
思わず出たその言葉に、老人の顔色が変わる。
「貴様に選ぶ権利などない。王都で生まれたものは、全て王国貴族のもの」
「であれば、その出来損ないを手下に命じて使えるようにするのじゃな。わらわは手を貸さぬ」
突き放してはみたものの、それはハッタリに過ぎん。試作とはいえ機構は大方が出来上がっておるのじゃ。見様見真似でも量産は可能であるし、作りが雑でも人殺しの用は足せる。
「トーレイス家に逆らうならば、王都で生きていけなくなるぞ」
「それで、わらわに何の不都合があるというのじゃ? あの工房長を見てもわかるであろうが。わらわが何を成し、どう扱われてきたかをのう?」
「……ふん、しょせんは人もどきか」
老人が指を鳴らすと、飾り棚の陰から短剣が飛んできた。咄嗟に椅子で弾いて逸らし、大きく踏み込んで距離を詰めると男を打ち据える。華奢な椅子は男と棚ごと粉々に砕けたが、脚だけは手の内に残った。追撃を放とうとしていたようじゃが、その機会は二度と来るまい。首が折れ曲がって、ピクリとも動かん。
逆側から窓を開けて新手の二人が忍び寄る。それぞれの手には細剣と手斧。椅子の脚で牽制して爪先で床の短剣を蹴り上げる。刺さりはせんが、そこまでは望まん。身を捩って躱そうとした男の目に椅子の脚を突き入れると、悲鳴を上げて仰け反った。手から溢れた手斧を奪って細剣を持った男の手首を叩き斬る。血飛沫を上げてよろめいた男を蹴り飛ばすと、走り出てきた大柄な男が躓いて身体が泳いだ。横薙ぎに一閃させる。手斧は大男の頭を割ると、そのまますっぽ抜けて老人の頭を掠め後方の壁に突き刺さった。
敵はまだ三人はおる。わらわは二人組の男が出てきた窓から身を踊らせ、木に飛びついて地面まで転げ落ちた。すかさず追っ手が飛び降りて来る。二階から三人と、新手が一階から二人。
ケースマイアン。走り出したわらわの頭に浮かんだのは、その名であった。薄汚れた物置ではない、亜人たちの楽園。父母から聞かされた、本当に目指すべき理想。
わらわは壁を乗り越え、行く当てもなく走り続ける。自分がそこに辿り着ける日など、もう訪れないのだろうと思いながら。




